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第1話「勇気・ひと口 500円」

放課後の路地裏で、夕焼けが割れたラムネ瓶みたいにくすぶっていた。

細い道を抜けると、小さな白い屋台が現れる。看板にはこうある。


「勇気・ひと口 500円」


結城琴音、十六歳。

彼女はアルバイトでも喫茶店員でもない。

学校が終わるとこの屋台を組み立て、人々の“感情の小瓶”を並べて売っている。


店先には、色や匂いの異なる小さな瓶が整列していた。

蜂蜜色に輝くものは「懐かしさ」。

透明な粒が舞う瓶は「ほんの少しの自信」。

蓋を開けると、潮騒が遠くで聞こえるものもある。


「いらっしゃいませ。本日のお品書きは……勇気、あと二つで売り切れです」


淡く微笑みながら、琴音は小さなガジェットを手に取った。

銀色の円筒で、先端には波形を映す小さなモニター。

感情を採取し、瓶に閉じ込めるための道具――エモグラフ。


「……あの、これって、本当に効くんですか」


声の主は、セーラー服の襟をぎゅっと握った女子生徒だった。

下を向き、目だけがこちらを覗いている。


「効くかどうかは、あなた次第です。

 ――これは、魔法じゃなくて後押しですから」


琴音は柔らかい商談口調で答えた。

屋台のルール。その一つは“他人の心を書き換えない”。

売るのはきっかけだけ。変わるのは、買った人自身だ。


「……あの、明日……好きな人に告白しようと思ってて」


女子生徒の手が震えている。

琴音はすぐに理解した。依頼は単純、でも切実だ。


「では……勇気、ひと口ですね」


彼女はエモグラフを起動し、引き出しから小瓶を一つ取り出した。

瓶の中には、蜂蜜を少し焦がしたような金色の粒がゆらゆらと浮かんでいる。


波形を調整しながら、琴音はほんの少しだけ上下に揺らした。

瓶の中の粒が光を帯び、ほのかに柑橘系の香りが立ち上る。

勇気は、オレンジ色の匂いがする――琴音はそう信じている。


「使い方は簡単です。明日の朝、深呼吸しながらこれを開けてください。

 体の中で、小さな鐘が鳴るような感覚がしたら、それが合図です」


「……鐘、ですか?」


「ええ。たぶん、あなたにしか聞こえませんけど」


女子生徒はおそるおそる財布を出し、500円玉を差し出した。

その手を受け取った瞬間、琴音は相手の指先の震えと肌の温度を感じる。

人の心は、手のひらに宿る。


客が屋台を去った後、琴音は商品棚の空きを元に戻し、深く息を吐いた。

今日の勇気は残り一つ。

その時――


「おーい、またやってんのか」


声がして振り返ると、同級生の佐伯陽斗が立っていた。

彼は手をポケットに突っ込み、笑いながら瓶を覗き込む。

陽斗は常連だ。だが彼は何も買わない。いつも冷やかすだけ。


「今日のおすすめは、自己肯定感です。おひとついかがですか?」


「いや、俺は……そういうの、自力でなんとかする派だから」


琴音は微笑んだが、その奥でほんの少しだけ胸が軋んだ。

彼の目の奥に、色の濁った波形が見えた気がした。

あれは――疲弊、か。


夜が深くなる頃、屋台にもう一人の客が現れた。

黒いフードに顔を隠した長身の人物。

手に分厚い封筒を抱えている。


「……“絶望”、ありますか」


声は低く、無機質だった。

琴音の背筋に冷たいものが走る。


「……絶望は、取り扱っていません」


店のルール。売るのは心を支える感情のみ。

奈落へ突き落とすような感情は、危険すぎる。


「そうですか。ではまた」


フードの人物は立ち去った。

残された空気は、瓶の中の香りさえ薄めてしまうほど冷たかった。


閉店の準備をしながら、琴音はふと思う。

もしも誰かが“絶望”を大量に集めているとしたら――それは、何のためだろう。


遠くで夜風が吹き抜け、屋台の照明がわずかに瞬いた。

その光の中、蜂蜜色の勇気の瓶が、一つだけ取り残されていた。


その瓶は、明日の朝、誰かの背中を押す。

そして、街のどこかで、別の誰かの心が静かに蝕まれていく。

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