夢じゃなかったらしい
「夢だよな?」
アレンは朝目が覚めて、最初に確認するように口にする。
非常に生々しい夢だったが、きっと今から親睦会の日が始まるに違いない、それならば不吉だからパーティー会場の勝手口には近付かないようにしようと方針を決めて立ち上がる。
カーテンを開けると気持ちの良い日の光が差し込んできた。庭の緑も美しい色合いで、惹かれてつい窓を開けるが、空気は領地のものに比べるとイマイチだった。心地よい涼しさはあるが、清々しさはない。少しホームシックになりながら窓を閉め直す。
制服に着替えて身嗜みを整えてから食堂に行く。食堂といっても、フィード家では特別な日や客が来た時でなければ調理場の隣にある小部屋で摂る。ここはフィード家の食事が終わった後、使用人達の食事をする所でもある。掃除が楽と言ってくれるし、使用人との距離も近くて良い。
「おはようございます」
「おはよう、アレン」
中に入ると既に当館内の家族が揃っていた。
兄二人は既に学園を卒業しているので仕事をしている。長男は領地で伯爵の仕事を手伝い、次男は義務の兵役に就いており王都で勤めているが、宿舎で寝泊まりするので居ない。その為、ここに居るのは両親と姉だけだ。
ちなみに両親は夏の社交に来ているだけなので、領地に一月もすれば帰る予定となっている。
食事が配膳され、使用人が下がったので食べ始める。今日も食事が旨いと、アレンは笑顔になった。その様子を見た姉、クロレッサがアレンに話し掛ける。
「アレン、もう大丈夫そうね。昨日は結局なんだったの?」
クロレッサの質問にアレンの手が止まる。嫌な話が始まった気がしての反応である。
昨日はまだ授業があって、楽しく1日を無難に過ごして終わった日だと、アレンはまだ信じていたかった。
「何の話?」
「やっぱりまだ大丈夫じゃなさそうね。あなた、そんなに察しは悪くないでしょう?」
昨日の話なんてしたくないとアレンは切実に思うが、クロレッサにしてみれば言動のおかしい弟を心配するのは当然の事だ。体調次第では学校を休むべきではないかとさえ思っていた。
「パーティーの最後に私を廊下に連れ出したじゃない。それで壁に向かって鏡がどうとか言ってたじゃないの」
「鏡……?」
両親の手も止まる。娘の言葉に呆然とする息子と、鏡というこの国にとってのパワーワードを聞いて、伯爵は目を細める。
「う、うん。あの場所に普段見かけない鏡が掛かってあったんだよ。でも姉上を連れて行った時にはもう無くなっちゃってたから何でかな~って思っただけだよ」
「それだけ? 鏡を一時的に掛けてて、あなたが居ない間に用務員か誰か知らないけれど持って行っただけでしょう?」
「そうだよね! そう! そうだ。きっとそうだ」
アレンは鏡の問題を居なくなっただけにすり替えようとした。あの場で鏡と会話なんてしなかったと思い込もうとしていた。
しかし、伯爵は息子の反応を見て、見かけない鏡を見たという話では済まないのではと当たりを付ける。聞いたことがあったのもある。建国の鏡は時折お出掛けと称して宝物庫から居なくなるという話を。そして、誰彼構わず話し掛けては一人で喋り、満足したらまた戻ってくるのだと。
ただ、その声を聴くことが出来る者が居ないだけだ。しかし、もしアレンが声を聴く能力の持ち主なのであれば、王の臣下として捨て置くことはできない。
「アレン、もしかしてその鏡と会話をしたのか?」
グッとアレンの喉が詰まったような音を出した。食卓の何も載っていない場所を見つめているようで、集中して何かを考えているようにも見える。
家族にしてみれば、それが答えだった。
奔放に育てたのもあり、アレンは腹芸が出来ず非常に分かりやすい。貴族として生きていくのであれば致命的だが、アレンは平民になっても構わないと豪語していたので家族もそのつもりでいたからだ。
アレンの様子から建国の鏡と会話したと憶測できるが、であれば一大事だ。伯爵は詳細を確認したいが聞くには時間が掛かりそうだと判断する。自身には執務があるし、アレンは終業式に出なければならない。
「アレン。鏡の件で、当主としてもっと詳細な話が聞きたい。今日は午前に用事があるが、午後は空いている。学園も早く終わるだろう?」
確認するとクロレッサが頷く。
「はい。昼前には帰れます」
「では、昼食が済んだら私の執務室に来なさい。いいね、アレン」
「……はい」
当主としての父の言葉に、これ以上逃げられないと観念してアレンは返事をした。
朝食が終わって外に出ると馬車が用意してあった。普段は体を動かしたいアレンは歩いて登校しているのだが、今日はそんな気になれず、姉と同乗させて貰う事にした。
クロレッサは前に座るアレンの顔色を伺う。思い詰めた表情に不安を覚える。しかし、当主が話を聞くと言っているのに先に聞いてしまっても良いか悩んだ。それに、鏡と会話するという、何やら大事に発展する予感がする話だ。
軽く頭を振り、クロレッサから話を振るのは止めにした。
「前期は今日で最後ね。休暇中の予定はあるの?」
アレンが難しい顔からパッと普段の顔に戻る。
「フィード領に戻るけど、早めに王都に帰ってきて友達と遊ぶ予定だよ」
夏は暑いのでさっさと領地に引っ込むが、折角出来た友人達の中でフィードに避暑にやって来ない子達とも交流したい為、早めに王都に帰ってきて遊ぶ予定としていた。これについては伯爵も了承済みだ。
「そう。私はギリギリまでフィード領に居るわ。私も昨年はあなたと同じようにしたけれど、暑さに慣れなくて後期が始まる前からとても疲れてしまったのよ。そのせいで期首試験で成績を落としたのは痛手だったわ」
クロレッサは少々暑さに弱いところがある。領地の方が過ごしやすいだろうことは容易に察せられた。
アレンは頷くと、姉の交友に興味が湧いた。昨日の親睦会は任意参加なので来ていない人も居た筈だ。挨拶を済ませた人も、済ませていない人も、フィード領に来るのであれば自分も顔を会わせたい。
「姉上のご友人方も避暑に来るの?」
「ええ、来るわよ。そういえばあの方も来るのよ。我が校唯一の侯爵家の方!」
きちんとおもてなししないとね、と意気込む姉の目の前で、アレンの顔色が変わる。我が校唯一の侯爵家といえば、記憶に新しい名前が思い浮かぶ。
「……もしかして、ジーケルド・リイデアルマ様か?」
「当然よ。あら? でもあなた、よく名前を把握してたわね。少しは貴族の自覚があったということかしら」
クロレッサが失礼なことを言うが、アレンはそう言われる程に興味がないことも確かだ。言い返せないがアレンの気にするところは別にある。
「ご友人、なのか?」
「そうよ。あの方もあなたと一緒で身分に拘りがないみたいなの。私はあなたで慣れているから、ジーケルド様に話し易いって言って頂けたわ」
なんてことだと頭を抱える。まだ細い糸だが既に繋がっていた。名前呼びを許されているなんて、かなり親密じゃないかと焦る。
そしてハッと気付く。
「もしかして、我が家にいらっしゃる?」
「ええ、最低でも一度はお招きしたいと考えているわ。あなたとも会いたいっておっしゃっていたし」
アレンの気分がズンと沈んだ。
会いたいと言われている以上、少なくとも挨拶はする必要があり、関わらずに生活するという未来設計は露と消えた。
「あら、アレンにしては随分と気にするわね。大丈夫よ。粗相があっても気にする方じゃないわ。何かあったら私がフォローするわよ」
まだ話してないから仕方がないとはいえクロレッサの見当違いの励ましに、それでもこうやって心配してくれる姉がいるのだからと気を持ち直した。
(そうだよ。俺は姉の後ろに隠れていればいいんだ。まだ自立も出来てないのかって呆れて貰うのが手っ取り早そう)
雑なプランだが無いよりもマシとアレンは前向きに考えた。それに、親密な様子の姉と上手く行けば引っ付いてくれるかもしれない。二人が良い雰囲気になるように頑張ろうと意気込む。
そうして気を取り直して窓から外を伺えば、建物の合間に学園が見えてきている。生徒が300人しか居ない割に大きな学舎だが、一クラス20人で教室を広々と使用している。
学園の裏門にある停車場に着き、既に着いていた馬車の後ろに停めて降りた。クロレッサに手を貸して馬車から降りたのを確認すると、分かれて教室に行った。
昨日野次馬でついてきていた友人達が早速アレンに声を掛けてくる。
まだ父に相談していない内から広めるのは悪手と判断し、なんでもないとはぐらかすと、興味を無くしてくれる者が大半だった。しかし中には好奇心が強い者やしつこく気にする者もいて、アレンは辟易した。
嫌な目立ち方はしたくないものだなあと思いつつ、全生徒が集まる講堂へと移動した。アレンはなんとなく壁を見てしまうが、どこにもあの鏡は無くて安心していた。
そうやって油断して講堂に入ると、ふっと目が留まった。少し癖のある美しい金髪と涼やかなアクアマリンの虹彩を持つ目に整った容姿、服を着ていても分かる筋肉の付いた身体、長い脚。どこを取っても文句が無さそうな男、ジーケルド・リイデアルマが歩いていた。
(なんでこんな時に目に入っちゃうかな)
高位貴族が持つ優雅さで動きが一々洗練されていて、本当にあの人が我が家に来るのかと疑ってしまう。
『素敵な男だろう? アレンの結婚相手にぴったりだ』
コウゼリカの声が耳に甦る。
(ああ、見た目があれで実は才能があるんだろ。姉上の結婚相手として考えるなら、これ以上無い人だよなあ)
そうしてぼんやりと眺めていると、アクアマリンがアレンに向いた。少し目を開いた後、フッと笑ってヒラヒラと手を振ってきた。アレンも振り返しそうになったが、相手は高位貴族であることを思い出し、軽く頭を下げてから列に混じった。
式が始まり、先生方の話を聞き流しながらジーケルドを思い起こす。笑った笑顔は後光が差しているのかと思う程に美しくキラキラしていた。
(あれが高位貴族か……)
アレンは高位の貴族はあのようにキラキラしているのだという判断をしていた。他を知らないが故の、勘違いだった。