1話.酒場の看板娘
木造の温かみのある小さな酒場には麗しい妖精がいる。
雪のように美しい真っ白な髪に、全てを見透かすような凛とした水色の瞳。どこかのおとぎ話から出てきたような美しい容姿。
酒場で働いていることが不思議なくらい酒場の雰囲気には不釣合いな妖精は、酒場の看板娘であるフラン。
だが、そんな妖精と称される彼女は、れっきとした人間だ。
フランの美しい容姿から、妖精というあだ名がつき、今や妖精を人目見ようとたくさんの人が訪れる。
一年前。この酒場の女将さんがぎっくり腰になってしまい、その場に居合わせたフランが手伝いを申し出たことが酒場で働くきっかけとなった。
最初は、女将さんの腰が治るまでという短い期間だった。
しかし、フランの可愛い笑顔と明るい声にお客さんが増えたこと、何よりフランが働き者で能力も申し分ないことから、女将さんと旦那さんが続けて欲しいと頼んだ。
フランもちょうど働き口を探していたと、二つ返事で了承しここで働き始めたのである。
最初はぎこちなかったフランも、今では手馴れた様子でフロアを走り回っている。
時にはお客さんと雑談をしたりとても楽しく過ごしている。
お客さんの一番多いお昼を切り抜け、お客さんがまばらになり、余裕が出てきた頃。
カランとドアに取り付けられているベルが鳴った。
「いらっしゃいませー!」
いつものように元気に挨拶をしながらドアの方を振り向く。
そこに立っていたのは真っ黒な髪を緩く編んだ男性。
この酒場の常連客であり、魔術師でもある、ノワールだった。
ノワールだと気づいた瞬間。フランがノワールの元へとパタパタと走っていく。
「ノワール様、いらっしゃいませ!」
「こんにちは。フラン。今日もフランに会いたくて来てしまいました。」
「フフっ。ありがとうございます!いつものお席に案内しますね。」
ノワールがいつものようにフランを口説くが、フランは一切気にした様子を見せることなく席へと案内する。
「お冷を準備するので、メニューを見てお待ちください!」
「ありがとう。」
パタパタと走っていく様子を見ながらノワールがはぁーとため息をつく。
「随分と大きなため息だな。まぁ、好きな相手に全然相手にされなければ大きなため息が出てくるのも分からなくはないがな。」
男性が放った『全然相手にされない』という言葉がノワールの心に刺さる。
ノワールに話しかけてきたこの男性は、酒場の常連客。
ノワールがこの酒場に訪れるようになったのは、フランと酒場で出会った半年前からだが、この男性はこの酒場ができた頃からずっと通っている。女将さんと旦那さんからしたら家族も同然のような人だ。
「それにしても、魔術師さんも飽きずによく通うね。そんなにフランちゃんが好きなのかい?」
ノワールがお冷を準備しているフランを見る。
笑顔で出迎えてくれるところも可愛いが、一生懸命な姿も可愛らしい。
「ええ。大好きです。」
「ははっ!その顔はもうぞっこんだな!」
フランがお冷をノワールの前に置く。
なんて事ない動作さえもノワールからすれば可愛くて仕方がなかった。
「ノワール様。ご注文はお決まりですか?」
「それでは、ビーフシチューを。」
「かしこまりました!」
笑顔を浮かべるフランにノワールは胸を鷲掴みされたような気分になる。
魔術師は魔力故に不老だ。魔力の力で老いることがない。
だから、魔力を持たないフランに恋をしたのは間違いだとノワール自身の気持ちを否定し続け、恋に落ちていないと認めていなかった。
しかし、フランに会う度に、言葉を交わす度に、もっと無邪気な表情が見たい。もっとフランのことが知りたい。
柔らかな笑みはノワールにだけ見せて欲しい。
できることなら、触れたいと思うようになった。
そこまで想っている自分を誤魔化すことができず、口説かれているフランを見ていたくなくて、ノワールは自分がどうしようもない程に、恋に落ちたのだと悟り、自分の恋を認めることにしたのだ。
覚悟が決まったノワールは早かった。
恋心を認めた翌日からフランにアプローチを始めた。
『フランの笑顔はいつも可愛らしいですね。』や『フランに会いたくて来てしまいましたよ。』など、たくさんの言葉をフランに送った。
しかし、フランが顔を赤らめたりすることはなく、いつも『ありがとうございます。』や『もう、ノワール様は冗談ばかり。』と相手にされないのだ。
フランが本気で嫌がるのなら辞めようと思ったが、会話も以前よりグッと増えて、試作品という名のサービスまでしてくれることから、どうやら嫌われてはいないらしいと想いを伝え続けているノワールだが、なかなか上手くいかない。
「お待たせいたしました!ビーフシチューです。」
ノワールが物思いに耽っている間に料理ができたらしい。
熱々のビーフシチューが目の前に置かれる。
「お熱いのでお気をつけください。」
「ありがとう。」
「ごゆっくりどうぞ。」
ノワールが運ばれてきたばかりの熱々のビーフシチューを口に運ぶ。
女将の作るビーフシチューはやっぱり美味しいなと思いながら黙々と食べ進めるのだった。
ビーフシチューを食べ終えて、ノワールが立ち上がる。
もう少しここに居たいが、お昼休憩が終わってしまうため渋々立ち上がった。
「女将。今日も美味しかったです。」
「そう言ってくれると嬉しいねぇ。ありがとう。」
「フランもご馳走様。」
ビーフシチュー代をフランに渡す。
「いいえ。ノワール様が喜んでくれて私も嬉しいです!」
「また、フランに会いに来ます。」
「フフっ。はい!ぜひ、また来てください!」
ノワールが帰ったあと、辺りを見渡してからフランが女将さんの傍に寄る。
お客さんは常連客の男性ただ一人であるため、そこまで周囲を気にする必要は無い。
「お、女将さん!今日の私も変じゃなかったですか!?」
「大丈夫。フランちゃんはいつも可愛いわよ。」
「ノワール様に変に思われてなかったでしょうか?」
その問に答えたのは、常連客の男性だった。
「ははっ!魔術師さんはいつも通りフランちゃんにぞっこんだったさ。」
「そうですか……?」
フランが不安げな表情を浮かべる。
そんなフランを見て、女将さんと常連客は顔を見合わせて心の中で呟いた。
(そんなに好きなら早く気持ちを伝えるか、応えてあげればいいのにね……。)
(そんなに好きなら早く気持ちを伝えるか、応えてあげりゃあいいのにな……。)