壱 記憶 感覚
思い出すと思い出せること。
そういえば。
そういえば、学徒の頃は。
学徒の頃は、人が居ただろうか?
景色は思い出せるけど、しかしそこに人が居た記憶がない。
イメージがない。
高校の帰り道、バスに揺られて、イヤフォンで耳に栓をしながら、雨の降る窓の外を見ていた。
夕方の外は雨のせいもあってか既に碧く、木々は『黒々とした』とも言えるような、深い蒼へと姿が変えていた。
あの時人はいただろうか?
バスに乗っていたということは運転手が居たのだろうか。
しかして自動運転という可能性もある。
今だってそれはあるんだから、あの頃あってもおかしくない。
そもそも自分は一体いくつなのだろうか。
今は何年?
何もわからない。
デジタル機器に表示される日付表示は、何故か年数の表示が1970年になっている。
どうしてこんなことになっているのだろう。
記憶にある最後の最新の日付表示は、どうなっていただろうか、と思い出そうとしても、思い出せない。
20という先頭二桁の表示は思い浮かぶのに、そのあとの二桁が一つも思い出せない。
いつからこうなったのかもわからない。
人が居ないから、誰かに聞くこともできない。
ただいつも、冷蔵庫を開ければ無機質な食材が現れているので、誰かがいるような気もして『気持ち悪い。』
最初の数ヶ月は警戒していたが、今やもう諦めて、そう、『諦めて』受け入れることにした。
『絶望』しても仕方がないが、絶望せずには居られないが、それにも慣れて、絶望し『飽きて』いる。
まぁもうそんなこと『どうだっていいんだ』と言い聞かせて、なんとか感情をやりくりしているが、『いずれ限界が来るかもしれない。』
寂しいとは思わないが、時々『苦しく』なる。
別に誰かに会いたいわけじゃないが、誰も恋しくはないのだが、ただ単に、どこからともなく『苦しく』なる。
だって『途方も無い。途方に暮れて』しまう。
これが全部夢で、起きたら全部なかったことになったらどうだろう、とよく思う。
でもそうだったら、こういう思索━━━のようなもの━━━も全部無かったことになってしまうのだろうか、と思うと、それはそれで『遣瀬ない。』
ま、いっか。
そうして再び味に集中する。
どうも、変なことを考えていると味のことを忘れてしまうと言うか、意識の外に追いやられてしまうきらいがある
いつからこうだったか思い出せないが、これが変なことだと感じているということは、多分、前は違ったんだと思う。
定かではないけれど。
ということで、味に集中する。
箸で名前のわからないそれをつまみ取って頬張った。
不味くも美味しくもない。
食べられるし、何でか食べ飽きないけど、よくわからない。
よくわからないものを、よくわからないけど火に掛けて、よくわからないけど食べている。
『別にもう全部どうだっていいので、これが毒だろうと何だろうと関係ない。知らない。』
ただそこにあるし、お腹が空くし、食べられるから食べる。
でもどうしてか、心の中で発声して言葉で思考する時にも、口に出そうとしても、紙に書き出そうとしても、これがなんであるか、そしてどういう形をしているか、どういう色であるかなどが何一つ形容できない。
この感覚を表すことは非常に困難なのだけれども、なんとか表したいところである。
しかして出来ないので仕方ない。
『もう諦めた。』
『どうでもいいよ。』
『知らないよ。』
『やっぱり今日もダメだった。』
『集中してみようとしたけど上手くいかなかった。』
『仕方ない。』
『切り替えよう。』
『切り替える。』