魚屋と猫の物語
〜登場人物〜
魚屋→初田
初田の娘→芽衣
隣の店主→八洲
のら猫→マチ
マチ「にゃー」
のら猫が一匹。魚屋の売り場の一番端っこから魚が並べられているテーブルの上にぴょんっと乗ると魚を一匹咥えて立ち去っていく。
名前はマチと言う。三毛のメス猫だ。
とくに急いでる様子もなく実に優雅な足取りだ。
この人は怒らないと分かっているのだ。
マチとは初田が付けた名前だ。
マチは定期的に同じ魚屋から魚を盗んでいた。
しかし当の魚屋の店主、初田はけろっとしていた。
マチを決して怒らなかったのだ。
それには理由が二つあった。一つは猫が好きなこと。
二つ目は盗まれているのが自分の店だけだったこと。
八洲「初田さん、またマチに魚を盗まれてしまいましたな」
話しかけてきたのは隣の八百屋の八洲さんだ。
初田「あはは」
八洲「よく怒らずにいられますね、俺だったら追い払ってますよ」
初田「つい可愛いくてね」
八洲「しかし珍しいこともあるもんですな、
初田さんのところ以外から盗んでるって話を聞いたことがないんですから」
初田「ええ、俺もそれが不思議なんですよ」
八洲「商売上がったりなんじゃないんですか?」
初田「ああ、赤字も赤字、大赤字さ」
八洲「何でそんな楽しそうなのかね」
呆れる八洲とあっけらかんとしている初田は数年前までは全くの赤の他人だった。
しかし、偶然にも同じ時期に仕事を辞め、同じ時期に店を始めた。
それも店が隣同士。仲良くなるのに時間はかからなかった。
それから3年後のこと。
初田「寒いな」
10年前に妻が亡くなってから初田はアパートを借りて一人暮らしをしているのだがこの日、熱を出してしまった。
娘の芽衣は俺と妻が24歳の時に産まれた一人娘だ。
今年31歳になる。仕事をバリバリこなしていていわゆるキャリアウーマンだ。
ちなみに同棲中の彼氏がいるのだが、彼氏は猫アレルギーらしい。
カリカリ。
初田「ん?何の音だろう?」
ベッドに横たわる初田が音のする方へ目をやるとマチが窓をカリカリ爪で引っ掻いていた。
初田は重い腰を上げてよろよろと窓の方へ歩いていく。
そしてカラカラと弱々しく窓を開ける。
マチは三年前と比べ、毛並みもしっかりとしており、すっかり大人びた顔つきになっている。
初田「どうした?」
マチが家に来たのはこの日が初めてだった。
マチ「にゃあー」
初田「ひょっとして心配して来てくれたのか?」
部屋に入るように促す。
初田がベッドに気怠そうに座ると、マチはちょこんと膝の上に乗った。
初田「ありがとう、温かいよマチ」
マチは返事をすることなくそのままスヤスヤと小さな寝息を立て始めた。
次の日、娘の芽衣がアパートに来た。
芽衣「何でお父さんは風邪引いたこと私に言わなかったのよ!八洲さん心配してたよ」
ぷりぷりと怒る芽衣。
初田「すまんすまん、言い忘れていたよ」
芽衣「もう、相変わらずお父さんは呑気ね!お父さんもいい歳なんだからもっと自分を大事にしてよね」
初田「ああ、分かったよ」
マチ「にゃー」
その時、初田の後ろからマチが顔を出す。
芽衣「あれ、マチも来てたの?」
初田「ああ、そうなんだよ、ちょうど俺が寒いなと思っていたら窓の外に来ててカリカリ引っ掻いてたから中に入れたんだ、そしたら膝の上に乗ってきてな、この子のおかげで暖が取れたよ」
芽衣「そっか、パパの面倒を見てくれてありがとねマチ」
マチは娘に撫でられゴロゴロと鳴いている。
初田「はは、すっかりお前にも懐いてるな」
芽衣「ふふ、そうみたい、あーあ、私の彼氏が猫アレルギーじゃなかったらマチを飼ってあげられるのに!」
初田「いや、マチはのら猫でいたいんじゃないかな?」
芽衣「どうして?」
初田「うちに魚を盗みには来るが来るタイミングはいつもまばらだったし
もしずっと面倒を見てもらいたいとか寂しいとかそんな風に困っていたら今までだって家に来ていただろうし、
マチは自由でいたいんじゃないかと思って」
芽衣「そうなのマチ?」
マチ「にゃー」
何となくマチが頷いたように見えた。