いい加減、婚約解消に応じてくださいませ!!
「婚約を解消していただけませんか?」
わたくしがそう申し出た時、カーラ様は呆然としたお顔でただ立ち尽くしておりました。
わたくし、クルミナ・ドレスは12歳、対するカーラ・ステビアーノ様は20歳。小娘にそんなことを言われ、彼が驚かれたのも無理はございません。
伯爵令嬢であるわたくしと、次期侯爵となられるカーラ様、年齢差のある婚約は当然互いの家のためだけになされたものです。
それでも10歳の時に彼と婚約してからわたくしが解消を申し出るまでの2年間、カーラ様には大変、それは大変よくしていただきました。
はっきり申しますと、それが問題なのです。
カーラ様のご趣味はお菓子作りで、彼はわたくしのために毎日のように愛情の籠ったお菓子を作ってくださいました。
わたくしは見る見る肥えてゆき、2年で歩くのも大変なほどの肥満体に。それはもう、見るも無惨な姿です。
いえ、元々食べることが大好きでしたので、幼少時から若干ふくよかであったことは認めましょう。
しかし、周りから嘲笑されるような姿にまでなったのは、絶対にカーラ様のお菓子のせいなのです。
実際、彼の作るお菓子には、何か特別なものが入っているのではないかと疑うほどの中毒性がありました。
カーラ様は眉目秀麗、完璧なお方で彼自身に不満など何一つありはしません。
全て卑しいわたくしがいけないのです。それは重々わかっております。
ただ、八つ当たりだと思いながらも、彼を責める気持ちもありました。
彼は美味しすぎるお菓子をわたくしに与え続け、わざとわたくしを太らせたのではないのかと。
最初から釣り合いなど取れておりませんでしたが、こんな姿になりますます彼の隣に並ぶことなどできなくなりました。
だからといって、彼に大好きなお菓子作りをやめてほしいなどとは申せませんし、わたくしが中毒性のあるお菓子の誘惑から逃れるすべもございません。
このまま婚約者でいれば、いずれ彼を責める言葉も出てきましょう。
わたくしは、お父様に婚約を解消したいと願い出ました。
お父様は当然困惑されましたが、風船のようになったわたくしを見て、娘が早死にするよりはよいだろうと考えたのでしょう。渋々婚約解消することを了承してくださいました。
ちなみにわたくしには姉が2人おります。どちらかの姉がわたくしの代わりに彼と婚約してくだされば何も問題はなかったのですが、姉たちにも既に婚約者がおりました。
まあ、心配せずともカーラ様と結婚したい令嬢は山のようにおります。
ステビアーノ侯爵家にとっても、大した問題ではないはずです。
わたくしは軽くそう考えておりました。
しかしその後、さらなる地獄が始まりました。
どういうわけかカーラ様はわたくしを諦めず、これまで以上に凝ったお菓子を作り出したのです。
その上、始末が悪いことに従者ではなくご自分でそのお菓子を邸に持ってこられるものですから、受け取るほかはございません。
ならば、わたくしが届いたお菓子を口にしなければよいだけのこと。
縞模様にアーモンドがかかったバタークッキー、色とりどりのジャムが挟まれたクラッカー、照りが美しく香り豊かなアップルパイ、最高級カカオを使用したカヌレ、無花果とオレンジのシフォンケーキ、ラズベリーと生クリームたっぷりのキャラメルムース、黄身の濃い卵を使った巨大プリン、エトセトラエトセトラ。
無理でした。
全てに負けました。
まあ、拒絶できるのであれば最初からこんなことにはなっておりません。
その見た目!!
甘美な香り!!
味わい!!
ひと口、口に入れれば全てを喰らい尽くすまで、わたくしの食欲が止まることはありませんでした。
そんな状況が1年ほど続き、もういよいよ肥えすぎて本当に風船と化した体が破裂してしまうのではないかと思われた時、不意に名案が浮かびました。
「お父様、わたくしを養女に出してくださいませ!!」
わたくしは家族が集まる食事中、そう叫びました。
「ハナおばさまの元で暮らしたいと思います」
遠縁の親戚であるハナ・トレアナおばさまは男爵夫人でありましたが、男爵であったミレーユおじさまを亡くされて今はお一人で暮らしております。
わたくしが貴族の娘でなくなれば次期侯爵のカーラ様とは家柄的に釣り合いが取れなくなり、完全に結婚は破談になるでしょう。
「……そうまでして。そんなことは絶対に許さない。私がもう菓子を作ってくれるなとカーラ殿に話してみよう」
「父上、そのようなことを本当に申せるのですか? そもそも父上の方から正式に婚約解消の願いをステビアーノ家に伝えていないのではないですか?」
ウイックお兄様が冷たい目をして言いました。
「それは……」
「そういえばミレーユおじさまがご健在のころから、遊びに行くといつも私たちを可愛がってくれたわね」
イリアお姉様が言いました。
「特にクルミナをね。お二人には子供ができなかったけれど、お二人ともすごい子供好きでしたものね。1人くらい譲ってくれないかとよくご冗談をおっしゃっておりましたわ」
マイアお姉様のお言葉です。
「策として、ひとまず養子に出して落ち着いたころ籍を戻すという手は有効ですね」
ウイックお兄様は頷いております。
「クルミナが健康で幸せに暮らせるのなら、俺もありに1票」
ダイスお兄様も同意してくださいました。
「そうね。あそこはのんびりとした田舎だし、夫人は家庭菜園がご趣味でしたわね。クルミナが健康になれるなら、療養も兼ねてお願いしてみてもいいのかもしれません」
お母様は真剣な表情です。
「アンまで何を言うんだ。私は絶対に許さない」
「お父様はわたくしがこのまま肥満が原因で死んでしまってもよいのですか?」
「親を脅す気か?」
「他に5人も子供がいるのですから、1人くらいいなくなってもよいではないですか」
「クルミナ姉さん、さすがにそういう言い方は……」
末っ子のトナーは慌てています。
わたくしには2人の姉のほかに、2人の兄、1人の弟がおります。
ウイックお兄様、ダイスお兄様、イリアお姉様、マイアお姉様、わたくし、トナーの順です。
家族はみなとても優しいです。
「お父様、この方法なら穏便にカーラ様から離れられます。どうかお願い致します」
「しかし」
「お父様」
わたくしは思い切り睨んでやりました。
「分かった」
お父様は諦めて大きなため息をつきます。
結局はわたくしに弱いのです。
それから話はとんとん拍子に進み、ハナおばさまは喜んでわたくしを養女に迎え入れてくださいました。
◇◇◇◇◇
5年が経った現在、わたくしはすっかり痩せて、今やどちらかといえば細身の体型にまでなりました。
時折カーラ様のお菓子を思い出し、お菓子を作る真似事をしたりしましたが、あのように美味しいお菓子を作ることはできません。
当然、無我夢中でお菓子を食べるようなこともなくなり、野菜中心のとても健康的な生活を送っております。
「お嬢様、お客様です」
休日のよく晴れた日、メイドのミトリからそう言われ首を傾げました。
家族や友人が訪ねてくることはありますが、ミトリはいつも誰が来たのか明確に伝えてくれます。
「ミトリの知らない人でしょうか?」
「はい。奥様がクルミナお嬢様を応接室にお呼びするようにと」
ミトリは一礼します。
わたくしが応接室に入ると、そこには思いもよらない人物がおりました。
「カーラ様?」
「クルミナ、綺麗になりましたね」
カーラ様は立ち上がり、端正なお顔でわたくしを見つめました。
もう最後にお会いしてから5年が経っているというのに、不思議なことに彼は少し髪が伸びた程度で何も変わっていないように見えます。
いえ、なんて美しく憂いを帯びた瞳でしょう。思わず視線を逸らしました。
子供だったわたくしは、カーラ様の本当の美しさに気づいていなかったのかもしれません。
「お菓子を作ってきました」
カーラ様は笑顔で籠を差し出しました。
「は?」
「分かっています。こんなもので君の気を引けるはずもないと」
お菓子?
お菓子というより……。
「どうしてこんなところまで? わたくしたちの婚約はとうに破棄されたはずです」
「僕は承諾していません」
承諾していない?
「あれから5年が経っております。もうわたくしは伯爵令嬢でもドレス家の人間でもないのです。カーラ様には相応しくありません」
「ですから、父を説得するのに5年ほどかかりました」
カーラ様はわたくしに眩しいくらいの笑みを向けます。
「説得? カーラ様は、まだわたくしと結婚するおつもりなのですか?」
「勿論です。君が初めて僕のお菓子を食べた時のあの可愛らしい笑顔が忘れられなくて」
「それであの頃、毎日のように大量のお菓子を作り続けたのですか?」
「はい」
「嫌がらせではなかったのですか?」
「嫌がらせ?」
「だって……あんな太った婚約者……。恥ずかしいとは思わなかったのですか?」
「恥ずかしいなんて思うわけがありません。可愛いなと思って見ていました」
カーラ様は顔を赤らめております。
こ、これは……。
逆にそういうご趣味だったということでしょうか?
「でしたらそれこそ今のわたくしには興味がないと思います。わたくしはもうあの頃の太った姿には戻りたくありません。申し訳ありませんが、お引き取り下さいませ!!」
今こそはっきりと伝えるときです。
「どうして? 君はどんな姿だって可愛いし、僕は今の君も大好きです」
「何を仰っているのですか? わたくしはカーラ様のお菓子、つまりわたくしをあんな姿にしたカーラ様が嫌で、あなたから逃げて伯爵の家を捨てたのです」
わたくしの言葉にカーラ様は目を見開き、しばらく動かずにいました。
「それは……」
カーラ様はいったん言葉を止め、
「それは、本当にごめんなさい。僕はただクルミナの笑顔が見たかっただけです。僕にはお菓子を作る以外、君を喜ばせるすべがなかったから」
と俯きながら続けました。
「わたくしを忘れられず、5年もかけてステビアーノ侯爵を説得したのですか?」
「はい」
「カーラ様は、そんなにわたくしを気にかけてくださっていたのですか?」
「はい」
「わたくしは、自分の不摂生を責任転嫁するような女ですよ?」
「いえ、配慮が足りなかった僕が悪いのです」
「どうしてそんな……」
「初めて会った時から、僕は君を愛しています」
「あ、ああ、愛して?」
流石にびっくりしました。
政略結婚のための婚約ではなかったということでしょうか?
「ですから、クルミナが僕を許してくれるまで待ちます」
「待つ? カーラ様、おいくつになられましたか?」
「26です」
「どうか早く次のお相手をお探しくださいませ」
「嫌です」
「あ、あの、ちなみにいつまで待つおつもりですか?」
「いつまでも。いつかまた、君の笑った顔が見たいから」
カーラ様は熱っぽい瞳で真っ直ぐにわたくしを見つめております。
「諦めて……」
「諦めません」
わたくしは項垂れました。
「……負けました」
わたくしの言葉に、カーラ様は首を傾げます。
「こうなれば仕返しさせていただきたくことに致します。今度はわたくしがカーラ様を太らせます」
「それはいいのですが、僕はいくら食べても太らない体質です」
「カーラ様? 意味が分かっておられますか?」
「はい。君の気が済むのでしたら、思う存分仕返ししてください」
「今後ずっと、カーラ様の側で仕返しさせていただく、ということですよ?」
カーラ様は瞬きを繰り返しました。
わたくしはカーラ様が持ってきた籠から焼き菓子を取り出し、ひと口食べます。
「相変わらずとても美味しいです」
言いながら、勝手に顔が笑んでおりました。
カーラ様は嬉しそうに目を細めると、そのままわたくしを抱きしめました。
これからお菓子よりもずっとずっと甘い日々が待っている気がします。
お読みいただきありがとうございました。
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おかしいの分かって(突っ込みどころ満載)書きましたが、敢えて突っ込んでいただいても大丈夫です(^^;)