彼女には悪夢でしかなかった
あの日、花が飛び散る姿が私の目に焼き付いた。
夜会でとある公爵令嬢がバルコニーから身を投げた。私が求婚した途端、令嬢の顔が青ざめ、ゆっくりと引き下がってそのまま身を躍らせたのだ。運が良いのか悪いのか、未だ令嬢は眠りから目覚めない。
この事件でウォルカー公爵家は娘のやらかしたことに混乱し、また何人かの身が拘束されていた。その中にはターガリン伯爵など関係なさげな人間もいて、私にはなぜここまで多くの人間が拘束されたのかよくわからなかった。
「なぜあなたはあの日、求婚なんてこと、したの」
母王妃の言葉に私は何も返せず、口をキツく結ぶ。考え無しが、と罵られているように思えた。あの時、私は令嬢のサファイアのような瞳に惹きつけられ、つい声を掛けたのだ。まだ私には婚約者なんていないのだから、私の好きにしても良いじゃないか。
しかも、あの令嬢は私から逃げたのだ。そちらのほうが罪ではないか。私の求婚など名誉のはずだ。私が責められる所以など無い。
母は溜息をついた。
「これを部屋でご覧なさい。長年あの子を調べていたのですよ。あの子は命を狙われ続けていた上に、誰にも守られなかったようです」
母から渡された紙を引ったくる。母王妃は眉を顰めた。
「私の友人がたまたまあの子の家庭教師でした。友人からあの子の知識はかなり広く深いものであることを聞いて一度は婚約の打診も考えたのよ。だけれどもお茶会の度に病気だと報告されてはね」
母王妃は私から目を背けた。震える唇を噛み締め、頭をふる。すでに体の弱いものには私の妃を務められないと判断されたのだ。私が求婚したところでおそらく反対にあう可能性があったのだ。勝手な真似をした後悔が胸をよぎっていく。
「身体が弱いものだと思い、婚約の打診をしてこなかったことが裏目に出てしまった。候補として考えたときにさしむけた手の者たちから様子がおかしいと報告もあったのに。黙って公爵家に手の者を向けていましたからね。
あの子のことを探っていることが公爵にバレてしまえば、"痛い腹もないのに探られた"と勘ぐられて王家との仲が悪くなりかねないからと深入りできなかった。毒だけでも飲まされないように。食事も取れるように。そんな手配しかできなかった。
あの子にだけ特別なこともできないの。あの子が苦しんでいることを知っているのに、数人しか割けなかった。せめて侍女としてこの城へ連れてこれていたら。これは私、王妃の失態かもしれません。親からも守られないあの子を、私は民のひとりとして守れなかった」
震える声を押し込めて告げられた言葉に、私は紙を強く握りしめた。
「友人は一度あの子から夢の話を聞いたのですって。この日記はあの子の居た離れに隠されていた、あの子の日記よ。この中にも書かれているわ。ああ、日記は手の者が持って帰ったの。公爵には黙って持って帰ったものゆえに極秘ですけれどもね」
日記帳まで手渡され、私は唇を噛みしめる。部屋へ戻るようにと言われ、母王妃へ一礼し、扉から廊下へ出た。
"ターガリン伯爵によるウォルカー公爵令嬢エリザベス毒殺未遂"
私の部屋へ戻る道中、報告書の最初に書かれていた言葉が何度も浮かび上がっては消えた。
部屋に入って椅子へ乱暴に座る。報告書に書かれていることが早く知りたくてページをどんどん捲っていった。書かれている言葉に愕然とする。
"お茶会前には必ず毒を盛ること――ターガリン伯爵に懐柔されたメイドはそのように命じられていた。こちらはメイドが燃やしそこねた命令書に記載されていた。また、メイドたちは身を拘束し尋問にかけ確認もしている"
"令嬢の幼いときから何度も弱い毒を盛っていたが王妃の影の手が入ってからは盛られなくなっている。王妃の手の者と知らないからか、この中には何度か大金をもって懐柔の声がかかった者もいた。毒はターガリン伯爵が用意したものであり、まだ屋敷に残っていたものとターガリン伯爵が購入したと思われる店に残された記録が一致した"
"ターガリン伯爵に懐柔されたメイドたちの殆どは次の通り話している。「毒を盛ったあとは必ず苦しむお嬢様へ囁いたのです。あなたは出来損ないね、って。だって恵まれている方なのですよ。私にはない美貌も身分も。だから羨ましかったのですよ。幸い、公爵夫妻から見放されていてやり放題でしたし。それにお嬢様へ嫌がらせすれば伯爵からお金も貰えたの」また、この者たちは公爵令嬢の身の回りの世話を最低限度しかしていなかった模様である"
"公爵夫妻が気にかけていた頃贈られたドレスや装飾品はすべてメイドたちに奪われていたようである。夫妻も関心がなかったのか、5年前から贈り物が途絶えていたため証拠を辿ることが困難となった。見つかった証拠は以下の通りである。メイドに売られたと思われるネックレスの経歴が1つ見つかった。6年前にメイドが売ったことが判明。またエメラルドの宝石で飾られた指輪は・・・・・・"
思い返してみれば、あの日のあの子の服はかなり古びたドレスだった。周りが最新のドレスであるがゆえに確かに気になったが、令嬢の奥ゆかしげな雰囲気に似合っていたのだ。
それに手を取ったときのほっそりとした指に、折れそうなほど細い腰が儚くて。ただ体の弱い令嬢なのだと思ってしまったが、今思えば大切にされていたとは思えない。
それでもあの子はその身を輝かせていた。
ターガリン伯爵といえば、その家の娘キャロルと見合いをしたことがあった。あのあと、婚約を結んでいないのに結んだと言いふらされ、両思いだと城に押しかけられ、散々な目にあったことが思い浮かぶ。
「母上はあの子を私の妃にしたかったのだな。ターガリン伯爵令嬢は父上も嫌がっておられたし、なぜ見合いなど・・・・・・ああ、そうだ。ウォルカー公爵は王権派、ターガリン伯爵は革新派の筆頭。母が王権派の家でもあるが故に両派の均衡を保つことを考えて見合いをしたんだったな。ターガリン伯爵令嬢とは全く話が合わなかったが・・・・・・む?」
はっ、と目を開いた。
"ターガリン伯爵はターガリン伯爵令嬢キャロルが王子妃になるという世迷い言を本気にして、政敵であるウォルカー公爵家へ間者を差し向けていたようである。できれば公爵令嬢エリザベスを亡き者として娘を妃に捩じ込みたかった模様"
何だ、その、世迷い言は。あんなに常識のない女に惚れろという方がおかしい。たしかに生き生きとした可愛らしい娘であったが、それだけだ。愛玩動物にもならない。
私は報告書を読み終え、日記に手を伸ばした。そこに書かれている夢の中の私に胸が苦しくなった。このように巫山戯たことがあってたまるか。
なにより、日記の内容が見事にメイドの囁きと被さっている。メイドの囁き始めたと自白した時期より前であるからして、メイドは日記を見て囁いていたとも思える。
幼い頃からこれを繰り返し聞かされたことでより信じてしまったのだろうか。
茶会前に盛られた毒による体調不良に、メイドの悪意ある囁き、そして悪夢。
それは嫌われるわけだ。夢の中での亡くなる元凶が私であり、その私に求婚されたのだから。
私は彼女にとって悪夢でしかなかったのだ。
【作者のつぶやきという名の蛇足】
こちらはあくまでも王子の一方的な視点です。できるだけ他の人の気持ちとか視点とか省く努力はしてみたものの、難しいですね(汗)
ザマァとかもなくためスッキリしないとは思います。前作から続きがあればと思いこのような形となりました。
王子から逃げた公爵令嬢はこのあとどうなるか、私個人的に読み手としてはハッピーエンドになってほしいけども、このまま命が消えてしまったほうが良いのか、はたまた・・・・・・