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紅葉のひと  作者: 音芽つばき
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毒りんごの味

 春の花といえば桜です。冬の寒さから目を覚まして、暖かくなりきってしまう前に散ってしまう。花びらは白くて、重なるとうす紅色、空に透かすと水色にも見える。そんなはかなさが美しく、かわいらしく、あざとい。私があんなにたくさん手紙を書いてさしあげなければ、よく考えもしないで、いじわるなきょう子さんや、がさつななお美さんのところへ行ってしまいそうだった、無知なちよ子さんにそっくりだわ。

 ちよ子さんは、

「まあ、お恥ずかしい」

 と、小さなほほをさくらんぼ色に染めた。

 でも、ちよ子さんはそのままでいて。疲れて大人びたひとになっては嫌。ずっと、何も疑わず今のあなたを好きでいてほしい。白い花のようでないと、甘い香りもやわらかい手触りもしないから。たとえ這い這いの虫が寄ってきても、人から愛されていれば、守ってもらえるでしょう。そういうのが、私の理想の女の子よ。

「お姉さまも春の花のようですよ。いつもとってもきれいですもの」

 そうだったらいいのにと、部屋の中で一人何度も願っていたことを、ちよ子さんはまっすぐに伝えてくれた。

 でも今の私は、秋の紅葉になりたい。


 私が入学したときにはすでに、上級生と下級生の間に姉妹の関係を取るならわしがあった。全校集会やクラブ活動の見学会などで上級生が好みの下級生を見つけ、手紙や贈り物をして、お姉さまと呼んでもらうのである。

 女子なら誰しも、二、三歳若かったころに叶えたかった、薄桃色の少女の夢を持っている。反対に、少女なら誰しも、二、三歳大人になったら叶えたい、濃紅色の女子の夢を持っている。姉妹の関係を持った相手というのは、それを願わせてもらう相手だ。

 私は一年生のころ、べに子さんという上級生の妹だった。べに子お姉さまは四年生の中でもませた人で、学校が休みの日には、近所に住むという男子校の学生さんと恋のお付き合いをしていた。しょせん、姉妹の間柄はお遊びである。そんなことはみんな分かっていて、私もそのつもりだった。それに、べに子さんから男の人について教わる感触は、砂糖漬けの毒りんごをなめるような快楽を含んでいた。

「男の人はね、とにかく遠くへ行きたがるのよ」

 ある日、べに子さんは三つ編みを結いなおしながら教えてくれた。

「どんな遠くへ?」

「あの人はただの会社員の子だけれど、官僚になりたいんですって。町のお役人ならまだしも、お国のお役人なんて、遠いと思わない?」

「遠いですわね」

 私は、官僚というのがどんな人なのか分からない。返事をして、代わりにべに子さんのきれいな指先がおどるのを見ながら、その指が私の髪も結いなおしてくれたらと、そんな幼稚なことに胸をどきどきさせていた。

「しかもね、外務省に入りたいんですって。だから外国語を学ぶそうよ」

「英語くらいなら、私だってできます」

「ばかね。私たちじゃ日常のおしゃべりはできても、政治の話なんてできっこないわ。ふみ江さん、『国境を西にずらせ』って英語で言えるの」

 『西』は知っていても、『国境』も『ずらす』も、私の英語辞典にはのっていなかった。

「そらみなさい。でも、知らなくたって生きていけるわ。しなくていいのよ。どうして男の人はそういう意味のないことをしたがるのかしら」

 問いかけながら、べに子さんはその答えを知っているようだった。空をあおいで、そういうことをしたがる男の人を嫌っていないようだった。私の目に、べに子さんは何でも分かっている大人のように見えていた。

 べに子さんが大人でも私は子どもで、べに子さんが学校を卒業しても、私はまだ残らなければならない。

 卒業式の日、べに子さんは人の群れも気にせず、校庭で私を抱擁した。

「私、あと数年したらあの人のものになるのよ」

 べに子さんはその人のことが好きなはずなのに、物惜しそうに泣いた。私は抱擁されていることと、他の学生から注目されていること、そしてべに子さんの言葉への驚きで、どうしたらいいか分からなかった。

「うれしいけれど嫌なの。私が私でなくなっちゃう」

「いつまでも、べに子お姉さまはべに子お姉さまですわ。何を心配なさっているの」

 べに子さんは私を少し離して、真っ赤にした顔を見せつけた。

「ふみ江さん、女は花よ。咲いていればきれいだけれど、手折る手から逃げられないし、散った花びらは色をなくす。あなたはきれいなうちに、めいっぱい世界を笑いなさい」

 他の言葉に言い換えられなくても、私はその意味をなんとなく想像できた。これまでべに子さんと話してきたことの積み重ねが、やっと効いたのだ。

 べに子さんのことは尊敬していたのに、最後に初めて、反抗したいと思ってしまった。女の花が散るまでしか笑えないなんて悲しい。散るのは仕方のないことなら、散っても美しいものでありたい。

 そして、こんな毒を知らない可憐な女の子を愛しんでいたい。もう一度べに子さんに抱かれながら、そんな火を胸に宿した。


 紅葉といっても色々あります。赤い楓に、黄色の銀杏。私は黄色の銀杏が好き。紅葉の中では淡い色をしていて、せっかくの扇形の先が欠けていて、散ってしまうものの中でも一層はかない。けれど、落ちてほかの紅葉と重なっても色が透けない。むしろ他の茶色や赤色に紛れず、どこまでも淡い黄色を光らせている。強くて美しい。そんな銀杏が私のあこがれなの。

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