春と夏
「ねえちよ子さん、春の花と秋の紅葉、どちらがお好き?」
夏休みが近づく帰り道、ふみ江お姉さまに尋ねられた。
お姉さまとはお呼びするけれど、家族の姉妹ということではない。姉妹みたいなつもりで、ただのお友だちにはしないような贈り物や、秘密のお話しをしあうようななかよしをする関係だ。
半そでのセーラー服に心地よい汗をかきながら、蒸れた帽子を少し上げて、ふみ江さんはおもしろそうな方向へまつげをゆらす。
「どちらも好きですが、今は夏じゃありませんか。木かげでアイスキャンディーをなめたいですわ」
「あらかわいらしい。それじゃ、アイスキャンディーはないけれど、木かげに入りましょう」
田舎道を少し行ったところに公園がある。その公園に立っている立派な広葉樹の裏の、ひっそりとした林の中に、ふみ江さんは私を誘った。幼少のころなら薄暗いのが怖くて入れなかったけれど、ふみ江さんが連れてくれる場所なら、それだけで神聖で安全な気がする。
白いセーラー服にひすい色が落ちる。ふみ江さんが帽子を外したので、私もならう。かばんを並べて木の根に預け、前髪にくしをかけ、林の奥の方を向いて、ほうっと息をつく。この広くて暗いが森が、今だけは二人だけの狭い箱庭になる。
「春秋論争というのよ。まだ習っていないでしょう」
ふみ江さんはおとぎ話をするように、上級で習ったことや、好きな本で読んだことを私に教えてくれる。
「昔の人は季節の歌を詠むとき、春か秋かを好んだの。はなやかな春と、せつない秋。日本人らしい感性だと思わない?」
「夏と冬は嫌いだったのですか」
「それなりに好きよ。蛍が光るのも、雪が積もるのも。けれど、多いのはやっぱり春か秋よ」
「ふうん……」
「『源氏物語』だって、春秋論争をしたの」
「光源氏が?」
「いいえ。紫上と秋好中宮が」
「分かりました。紫上が春で、〝秋好〟中宮が秋ですね」
「そうよ。中宮はそのまんまね。あなたはどちらかしら」
私は、紫上という人も、秋好中宮という人も知らない。『源氏物語』なんて、ちゃんと読んだことはないから。学業の上では恥ずかしいけれど、ふみ江さんの前では恥ずかしくない。私が知らないことを教えてくれるふみ江さんは楽しそうで、そのときの黒い目はどんな宝石よりもかがやいておられるから。
「……難しいですわ。お姉さまはどちらなの。教えてくださらない?」
「私は秋ね。ちよ子さんに、春でいてほしいから」
ふみ江さんは、日に当たっていた熱い腕を私にくっつけた。同じ日に当たっていたのだから、私の腕の肌も同じ熱さだ。本能ではもっと冷たい感触を求めているはずなのに、同じ体温が、汗が溶け合うのが、わずかに心地よく感じられた。
しかしそれはほんのひとときで、自分のことを秋だとおっしゃったお姉さまの肌は、少しずつ冷めていった。
「……ふしぎなお姉さま。初めは私にどちらかと聞いていらっしゃったのに、お姉さまの中ではもう決めていらっしゃったなんて」
「そんなことありません。こちらから願っているだけで、決めているわけではないの。……聞いてくださる?」
「ええ」
お姉さまの手が私の手に重なり、指がからむ。そして、りんごのような唇が語りだした。