第7話
西田は大学の構内やカフェテリアで顔を合わせても、特に以前と変わらない様子だ。
恋人ごっこが始まったからといって、妙に意識した話し方をするでもなく、気を遣っている様子もない。
もとより自然な雰囲気を2年間続けてきた。
もしかすると口に出さない程度に、心中で何か思っていることはあるかもしれないが、特に目立って顔に出ることはないようだった。
その日も向かい合って学食を食べながら、他愛ない話をしていた。
西田 「んでさぁ・・・すっげぇ懐かしいゲームの実況動画が上がってて・・・シリーズ投稿されてたから長々観てたらさ・・・気付いたら夜中の3時とかになっててビビったわ・・・。」
「あ~・・・そもそもクリアまで時間かかるゲームの動画とか観出したら、もう全部見切らないと済まなくなるだろ。」
「ん・・・あれはダメだわ・・・。ねみぃ・・・。」
西田はそう言いながら欠伸をして口元に手を当てた。
そして次に話題を口にしようとしたとき、ふっとテーブルに影を落ちて声がかかった。
「あ!こないだ図書室にいた先輩っすよね?」
腰を屈めて俺を覗き込むそいつは・・・・・誰だ・・・・?
そいつはチラっと呆気に取られている西田にも目をやって、あんぐり口を開けた。
「は・・・?イケメン・・・ヤバ・・・・。あの、法学部1年の武井です。お名前伺ってもいいですか?」
そいつはさっと向かいの西田の隣に座って、目を爛々とさせながら言った。
「へ・・・・えっと・・・西田です。」
勢いにやられながら、西田は若干たじろぐ。
「え、西田さん恋人いますか?」
西田はその言葉に困惑して、俺を一瞬チラっと見はしたがまたさっと視線を逸らせた。
「え、何で?」
「いや、普通にナンパです。俺男性が恋愛対象なので。良かったら仲良くなりたいんですけど・・・連絡先とか聞いていいっすか?あ、もちろん先輩にも!」
そいつは俺にも視線を向けながら、変わらないテンションで続けた。
「ちなみに俺、ネコでもタチでも両方いけます。」
俺も西田も互いに目を見合わせて返事に困った。
「二人とも~~!おっつ~。・・・あ?この子誰?」
翔が風のように空気を切り裂いてやってくると、そいつはまたもやパッと翔を見た。
「え・・・かわ・・・・可愛い系!」
「え~?誰~?」
その後も同じ自己紹介を繰り返すそいつの声を聴いていて、何かイライラした。
俺が黙って席を立つと、そいつは尚も俺の後を追って肩を掴んだ。
「先輩!あの・・・うざかったらすみません。お友達とご飯中だったのに・・・。今度からはお暇なときに」
睨み返そうとすると、西田は慌てて追いついてそいつの手を掴んだ。
「あのさ、武井くんだっけ・・・こいつはさ、ナンパとかそういうの嫌いだから、悪いけど他当たってくれる?俺ももちろん関わる気ないからさ。」
「へ・・・あ・・・すいませんした・・・。」
しょげたそいつを置き去りにして、黙って西田と盆を下げに行った。
カフェテリアを出て、イライラを引きずったまま中庭へと歩いた。
「桐谷・・・」
「くそうぜぇ・・・。」
「ふ・・・そうだな。ああいう子は俺でも困るよ。」
「ツラがいいんだから西田は男でも女でもホイホイだわ。・・・何でついてくんだよ。」
「・・・何をそんなに怒ってんのかって思って・・・」
自分の中にあるイライラは、何か根深いところに触れられたからな気がした。
「うるせぇついてくんな。」
突き放すと西田は足を止めて、それ以上後を追うことはなかった。
その後全ての講義を終えて、バイトを終えて帰る頃には、22時を過ぎていた。
足取り重く自宅のドアを開けると、玄関に西田の靴があった。
「あ、おつかれ~。」
キッチンから顔を出した西田は、持参したのかエプロンをつけていた。
「ふ・・・何だお前、通い妻か?」
「はは、そうだよ?夜食食うかなぁって思って。大したもんじゃないけど、俺これでも料理はそこそこ出来るからさ、勝手に作り置きとかも結構冷凍しといたわ。特別だかんな。」
美味しそうな匂いを漂わせて、黙って部屋に上がる俺に、西田はそっと抱き着いた。
「おか~えり。」
耳元で囁いてついでに新婚のように頬にキスしてきた。
次に目を合わせた時、西田は少し不安そうな表情に一変した。
「・・・哀れだわ。」
「え・・・?」
西田は笑顔をひきつらせて、寝室に向かう俺の後を追った。
荷物を置いて着替えようとシャツのボタンに手をかける。
「お前元カノにも、帰ってきたらそうやってたのか?」
背を向けたままでも、何も言わない西田の困惑する顔が見えるようだった。
「・・・・・ふぅ・・・悪かった・・・。哀れって言い方はさすがに酷いな・・・。」
シャワーに入ろうかと、汗が着いた上の服を全部脱いで振り返ると、西田は尚も黙って佇んでいた。
怒っているでも、落ち込んでいるでも、傷ついているでもなく、俺の目をじっと見つめていた。
「なんだ・・・どうした。」
「ふ・・・桐谷にそんなこと言われても俺、不思議と傷つかねぇや・・・。疲れて帰ってきたのに、余計なことしてごめんな?相手したくないと思うし、今日は帰る。」
「おい・・・」
背を向けて寝室を出ようとした西田の腕を掴んだ。
「俺が言ったお前の課題忘れたんか?」
「・・・課題・・・」
「お前はそうやって元カノにも気遣いのフリしていい子ちゃんだったんだろうな?今のは俺への気遣いの中に、自分の気持ちは何もなかったのか?」
「・・・桐谷はさ、自分の気持ちはなかなか動かないのに、俺の気持ちには敏感だよな。」
「ああ、そうだよ。それは翔にも咲夜にもだけど。お前はなんだ?俺に正直になりかけてたのに、途端に諦めたんか?」
「違うよ・・・。聞かれたくないことって人にはあんじゃん・・・。何か桐谷にもそれがあったとしたら、今じゃないんじゃないかって思ったんだよ。」
「嘘こけ。聞きたいからわざわざ家で待ってたんだろ?俺がついてくんなって外で言ったから、家で話したいって思ったんだろ。思いのほか俺が疲労してるのを見て判断したのはさすがの観察眼だと思ってやるよ。けどお前は同じように疲れて帰ってきて、散々俺に甘えてた癖に、俺に対しては一人にしてやろうってか?俺はそんなにお前と違うか?俺もお前と同じ大学生だよ。体力は人並みだし、感情の起伏だってある。俺がお前に鬱陶しい、もう2度とくんなって言ったか?」
西田は次第に驚いたように目を見開いて、言葉を返せずにいた。
「なぁ・・・俺はそんなに人と違うか?女にも男にも興味なく性欲が湧かないことが、そんなにおかしいか?お前も俺と同じ、型にはめてこようとする周りにうんざりしてきたじゃねぇかよ。見た目がどうとか、学力がどうとか、性別がどうとか、生まれがどうとか・・・俺がイライラしてんのはそういうことだよ。俺は散々言われてきた。物心つく前からずっと・・・」
「桐谷・・・」
自分でも何を西田にぶちまけているのかと疑問だ。
けどさっさと説明しないことには、西田はずっと尋ねる頃合いを伺う素振りを見せるだろう。
「はぁ・・・風呂入る。」
残りの服を脱いでシャワーを浴びた。
いつもより少し熱めのお湯を浴びながらいると、だんだんと冷静になってくる自分がいた。
自分勝手に振舞うようになった西田に充てられたか・・・
何も変わっていないのに、俺は少し・・・西田が羨ましいと思っていたのかもしれない。
風呂から上がって着替えていると、扉をノックする音と西田の声が聞こえた。
「桐谷・・・開けていい?」
「・・・ああ。」
そっと引き戸を開けて、西田は何気なく言った。
「桐谷ドライヤー嫌いだろ?乾かしてやるから、あっちで座ってやろ?」
考えてることはよくわからなかったが、了承してまたいつものように二人してソファに腰かけた。
騒音と熱風が嫌で、いつも適当にしか乾かさない髪を、西田は親切丁寧に指を通して乾かしていく。
15分ほどかけて完全に髪が渇くと、さっとドライヤーを片付けて俺の目の前にお茶を置いた。
「・・・至れり尽くせりじゃん。」
「ふふ・・・。全部桐谷の言う通りだよ。」
西田は俺の髪を撫でながら、思い出を語るように懐かしそうな目をした。
「俺が今日した全部は、元カノにしてたことだよ。帰ってきたら出迎えて、ご飯も用意して、気遣って話しかけたり、ドライヤーしてやったりさ・・・。でもさ、俺は別に自分がしたいからやってたんだよ。俺がさ、桐谷にしてやりたいなって思ったから今日やったんだよ。別に家事してやったんだから、夜はイチャつきたいしセックスさせてほしいなんて思ってないし、俺が一緒にいたいから来たんだよ。・・・珍しく怒ってたから・・・ちゃんと話を聞けたら、もっと桐谷のこと知れるチャンスかなっていう気持ちがあったのは事実だけど。でも俺と違って桐谷は、疲れてる時は一人になりたいタイプかなって思って、帰るってさっき言ったんだ。同じ大学生だし、年相応なとこがあるのもわかってるよ。ただ、自分がされて嬉しいことを押しつけがましくするのは違うじゃんか。だから桐谷の様子を伺ったんだ。でも・・・そのせいで不快な思いさせたんならごめん。」
「・・・そうか。」
つまらないことに気を回したり、我慢があるなら言ってやろうと思ったけど、そこまで言及するほどでもない。
それ以上に疲労感と空腹感と睡魔で、もう何も問答する気になれなかった。
すると案の定、俺の様子を見て西田は立ち上がった。
「おにぎりくらいだったら食う?めっちゃ美味いやつ作ったんだけど。」
「・・・なに?」
「鮭フレークとゴマおにぎり。ま~じ美味いから。」
キッチンへ向かう西田に返事をする前に、腹が鳴った。
「はは!桐谷の腹が返事した。」
お茶を一口飲んで、西田が拵えたおにぎりにかじりついた。
「どう?美味い?」
「ん・・・美味い。」
西田は子を慈しむ親のように微笑んで、俺の口元についた米粒をさっと取って食べた。
「食べてる時の桐谷可愛いよなぁ・・・。」
「・・・・お前・・・俺に可愛いとか大概だな・・・。」
満足そうにニヤニヤする西田を、あしらうのも面倒だった。
「西田・・・」
「ん~?」
「ありがとな・・・。」
「・・・ふふ・・・ん・・・。」
「照れくさそうに微笑むなキモイな!」
西田はまた屈託ない笑みを浮かべて、尚も満足そうだった。