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第66話

時田桜花が教室に入室するや否や、彼のその独特で異様な雰囲気に、皆の注目は集まっていた。

学生たちが彼をチラチラと気にしながらいる空気の中、先生は真っすぐ俺を見据えて、側にいた武井の存在には、特に気付いていない様子だ。

そして続いて、理事長と思われる男性と、小鳥遊が入り口に顔を見せた。


「時田先生、いかがですかな?ご指名である桐谷くんに作らせた生け花は。見事なものじゃあないですか。」


機嫌よさげに歩み寄る理事長を、先生は一瞥し、ゆっくり口元を持ち上げた。


「ええ・・・。目をかけて育てればよかったと思うほどです。」


俺はまた視線をこちらにやる先生の隣に立ち、一つ頭を下げた。


「お久しぶりです。わざわざご足労いただいたようで・・・。」


適当に2、3無難な会話を振ろうかと思うと、先生は遮るように口を開いた。


「桐谷くん・・・随分雰囲気が変わったね。」


特に声色を変えずに、彼はそう言い放って、俺の次の言葉を待っていた。

その目は俺を映しているようで、奥底の心理を覗くように見ていた。


「・・・子供の成長ってのは早いもんなんですよ。・・・・先生には解り得ませんか?」


「・・・ふふ・・・そうかもしれないね。」


「・・・ご用件をお聞きしたいです。」


先生が建前の会話など望んでいるはずもないのなら、簡潔に聞くべきだと尋ねた。


「・・・そうだね・・・。君が望むなら、ビジネスパートナーとして、一緒に海外に出ないかと、誘うつもりだった。」


「・・・何故俺なんでしょうか。」


先生は咲き誇る一つ一つを愛でるように、生け花の周りを歩く。


「愚問だね・・・。君はわかっているだろう。・・・こうして作品で語りながら、流派を気にせず、現代人すら圧倒してしまう物を、そうそう若輩者が作れるもんじゃない。・・・あの頃から少し話していたと思うが、君はもう少し・・・自分自身が稀有な存在だと自覚した方がいい。ギフテッドと呼べるほどの才能だよ。いずれ私の作品など凌駕してしまうだろう。腕を振るう場所を、どんどんレベルアップさせていけばね。」


「・・・いずれ自分の存在を脅かすことになるかもしれない才能を、摘み取るわけじゃなく、育てようって話ですか。」


「・・・ああ、そうしたいと思っていた。」


時田桜花は、ただ淡々とそう述べた。

教室内は周りの生徒のわずかな話し声が聞こえる程度で、どこか皆俺たちに気を遣うように捌けていった。


「先生・・・お答えする前に、尋ねたい事があります。」


「・・・何だろう」


「覚えていらっしゃるかどうかわかりませんが・・・テレビで報道されていた施設の庭をデザインされていた場所の、クローバーの話をしたでしょう」


「・・・・」


「先生は復讐ではなく、むしろプレゼントだったとおっしゃった。・・・俺は残念ながらいくら考えてもその意味や、解釈が理解できませんでした。・・・あれは先生の個人的なメッセージですか?」


「・・・・クローバーはそのほとんどが幸福な意味合いを持つものだけどね、復讐という意味に捉えると、幸せなことも喜べなくなるものだ。あの作品では・・・ガラスの向こうの建物内にある生け花が、私自身を表している。外からそれを見るように敷き詰めたクローバーは、或る日・・・妻になるはずだった女性から、見せてもらったたくさんの写真を表しているんだよ。」


「・・・写真・・・?」


先生はまた俺に視線を向けて、柔らかい笑みを見せた。


「・・・私には君くらいの息子がいるんだ。・・・一度も会っていないけどね・・・。学生時代に付き合っていた彼女は、ある時10年ぶりに再会すると、自分が出産してから10年分の子供の写真を見せてくれた。『貴方の子よ』と。」


俺は思わず後ろで黙って聞いているだろう武井を振り返りそうになった。


「彼女は特に幸せそうにそう言ったわけじゃない。私のキャリアに傷をつけたかったのだろうね。悲しそうな目で言ったんだ。『世間に隠し子がいるなんて知れたら、どうなるでしょうね。』と。・・・だけどね、私は嬉しかったんだ・・・。彼女がどんな思いで子育てをしていたのかは、私には解り得ない。だがそれでも、この世に自分の子が、元気に生きてくれてるのだと思うと、ただただ嬉しかったんだ。それが私にとってのプレゼントだよ。幸福そのものだ。・・・けれどそれはあくまで私の自分勝手な感じ方でしかない。彼女のしたいようにすればいいと思ったし、会わせてくれとも言えない。だから・・・世間に知られても私は構わないよと言った。」


先生は落とすように苦笑して、小さくため息をついた。


「けれど最初からバラすつもりなどなかったんだろうね。その事実が表に出ることはなく、彼女との連絡も途絶えた。・・・あのクローバーは・・・彼女に見せてもらった可愛い息子の顔を思い出しながら、あそこに敷き詰めて植えたんだ。誰にもわからなくとも・・・私は幸福で満たされていると、表現したかったからね。」


「・・・・そうですか。」


「・・・桐谷くん・・・答えずともわかるよ。君は私の手を取らないだろう。あの時と同じように・・・。」


先生にそう言われ、最後に二人きりで会話したときのことがフラッシュバックする。


「私は・・・君に会ったこともない息子の影を重ねていた。公私混同もいいとこだ。だが君が間違いなく、磨けば光る原石だというのは事実。・・・しかし君は、それよりも自分を変えてしまった何かを、大事に抱えているように見える。」


その時、聞き覚えのあるヒールの音がして、ハッと教室の入り口に目を向けると、菫がそっと入室して目が合った。

彼女はまるで、参観日にこっそり我が子に手を振る母親のように、ニコリと笑顔を見せる。

するとそんな俺の目線に気付いてか、先生も菫を振り返った。

そしてまた俺に視線を戻して、小声で言った。


「・・・桐谷くんの恋人かい?」


察する能力が高すぎる人間ってのは、こうも易々と尋ねてくる。


「・・・ええ・・・まぁ・・・」


すると先生は安堵したような、諦めがついたような笑みを落とした。


「君の人生を左右させる存在は、もう私ではないようだ。・・・本当に、子供の成長というのは早いものなんだね。」


時田桜花はそう言い残し、静かに教室を後にした。

教室の隅に寄り掛かるように、一部始終を眺めていた武井は、視線を落としたまま何か考え込んでいるようだった。



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