第64話
武井は相変わらずポケットに手を入れたまま、生徒たちの騒がしい声が聞こえてくる窓の方を見た。
「・・・親父が先輩に一目置いてたの知ってて、俺もちょっと余計に興味が湧いてた。どんな作品作る人なのかなぁって、ネットでも見たけどさ・・・正直実物を目にしたことはないから、あの時小鳥遊先輩が桐谷さんに依頼を持ちかけてた時、ちょっとワクワクしたんだよなぁ。・・・学祭が始まったら、真っ先に見に行こうと思ってたんだ。別に俺サークルに所属してないし、本来なら関係ないから来なくてもいいんだけど。」
「・・・・そうか。」
「うざ絡みしてごめんね。けど俺は・・・桐谷さんの作品にっていうより、人間性に惹かれてるんだよ。まぁ最初は綺麗な顔立ちに惹かれただけだったけど。始まる時間まで、ここで待っててもいいかな。」
廊下の壁に体を預けて、武井は閉ざされた展示室を眺めた。
自分が作ったものが、誰にどんな影響を与えるかわからないと、菫に言われたことを思い出す。
事実彼女の作品もまた、誰かの目を引いて会社から声がかかっていた。
「俺は自分の事しか考えない。・・・お前が時田先生と鉢合わせして気まずい空気になっても、俺は何もフォローしないぞ。」
武井は屈託ない笑みを浮かべて、視線を落とした。
「はは・・・大丈夫だよ。別にバチバチな空気になったりしないし。言ったろ?向こうはたぶん俺が息子だなんて気づかないよ。」
「じゃあ何で父親の背中を追ってる」
「・・・わっかんない・・・。」
学祭開始の時間まで後40分程だった。
それ以上何も話すことはなさそうだったので、俺は静かにその場を離れた。
校舎の隅の自販機でコーヒーを購入し、中庭のベンチに腰かけた。
ふと手に持っていたスマホに連絡が入って、菫が『仕事が立て込んでいて、到着するのは昼過ぎになる』とメッセをくれた。
「了解」と返信を送ると、パッと着信画面に切り替わる。
「もしもし」
「桐谷、お疲れ。作品作りは終わった?」
「ああ、上々だ。」
「そいつぁよかった。俺リサの展示を見たくて向かっててさ、思いのほか早く着きそうで・・・桐谷は終わってるかなぁと思って。」
「そうか。今さっき終わったとこだ。もう俺は特にやることはないけど・・・まぁ時田先生が来るらしいから、まだしばらく待機してる必要がある。」
「なるほど。・・・着いた~。どこいんの?」
その後西田と合流し、暖かい日差しで若干眠気を感じながら、雑談しつつ始まるまでの時間を過ごした。
メッセを返しながら何やらソワソワしだすので、さっさと見に行きたいなら行けと促した。
「・・・せっかくだし桐谷ついてきてよ。」
「はぁあぁ?だっる」
重い腰を上げて、「まぁまあ」と俺を窘める西田の後をついて行った。
先ほどから戻って来た反対側の階段から上って、サークルや同好会の部室が並ぶ廊下へと出た。
そこそこ人が賑わっていて、楽しそうな学生たちの声で溢れてる。
西田がここだと目配せするので、後に続いて部室へと入った。
「あ、リ・・・・」
「・・・あれ、桐谷先輩」
西田がフリーズしたかと思いきや、佐伯さんと談笑していた柊くんと、隣にいた朝野くんも振り返った。
「こんにちは。」
「・・・ああ、久しぶり。」
俺が答えると、西田を一瞥した彼はペコっと会釈をした。
「円香くん、来てくれてありがとう。」
同じく西田に駆け寄って甘えるように袖を掴んだ佐伯さんは、手を取って飾られた作品の方へと西田を連れて行った。
「・・・先輩の作品も見に行っていいですか。」
「・・・ああ、もちろん。」
西田から妙な空気を感じ取って、佐伯さんと話しながらもぎこちなく笑っている表情が、何を表しているのかいまいちわからない。
朝野くんの顔を窺うも、なかなかのポーカーフェイスで、微妙な空気の事情をわかっているのかどうか測れない。
柊くんは親し気に佐伯さんと話していたように見えるが、イチャつく二人に声をかけることなく、しばらく俺と話した後「失礼します」と部室を後にした。
朝野くんも特に気にすることなく、柊くんと手を繋いで帰って行く。
二人は他の人達よりだいぶ周りに気が利く方だと感じていた。その二人が俺の感じ取った空気の事情説明をしないとなると、あえて言うことでもないことか、自分から言うのが憚られるか、そのどちらかだろう。
いずれにしても、当事者らしき西田に「どうしたんだ」と尋ねれば済む話だ。
西田は俺が一緒に来てやってることも忘れたように佐伯さんと話していたので、俺も適当に教室を歩き回って作品を眺めた。
以前サークルを尋ねたこともあって、どういうものが作られるのかはわかっていたけど、なかなかのクオリティだ。
そのうち西田と佐伯さんが戻ってきて、嬉しそうにしている彼女は「来てくれてありがとう」と、俺にも礼を述べた。
2、3会話した後また二人で部室から出ると、彼女の前では装っていた西田から、また重苦しい雰囲気を感じた。
「おい・・・」
「なに?・・・ついてきてくれてありがとね。」
「ちげぇよ。」
「・・・何さ・・・」
「・・・聞かなきゃ言わねぇのかお前は。俺はお前が発してる空気に全部気付くぞ?」
以前柊くんとぶつかって転げ落ちそうになった階段を、少しずつ降りながらいると、西田もゆっくり進みながら言った。
「・・・俺・・・リサのこと世界一大事なんだよ。」
「そうか。」
「卒業したらプロポーズしようかなぁ・・・とか、ちょっと考えてるくらい。」
「ふぅん。」
「・・・けど・・・リサが・・・世界一好きだった人は・・・さっき話してた男の子なんだよ。」
頭の中で相関図が完全に出来上がって、俺は思わず足を止めた。
「今はちげぇだろ。」
「そうだね・・・。」
「なるほど・・・。過去の男と仲良さそうに話してて、西田はモヤついたわけか。」
「はぁ・・・その通りで~~す。」
西田はたんたんと早足で階段を降りて、俺の隣に並んだ。
「もうクリアに見えてるから大丈夫?こけんなよ?」
「・・・・お前は佐伯さんを責める立場にねぇ。」
「・・・責めてなんかないよ・・・。俺上手く笑えてたでしょ?」
「・・・どうだろうな。彼女が気付いたかどうかは定かじゃない。けど俺は少なくとも気付いた。俺が言いたいのは、俺に対してまだ未練を引きずってるお前は、柊くんと仲良く話す佐伯さんに何も言えねぇだろってことだ。」
俺が1階の廊下まで降り立って振り返ると、西田は階段の途中でじっと俺を見下ろした。
その目は珍しく落ち込んだというより、光をなくして視線を落としていた。
「わかってるよそんなこと・・・・。俺が・・・・叶わなかった自分の気持ちとか、相手の気持ちに振り回されてることくらい・・・。桐谷にも俺はいい子にしてるような八方美人に見える?引きずってるのはお前のことが本気で好きだったからだよ。だからリサだって、柊くんが会いに来てくれたことを嬉しいって思うことくらい分かる。だから何にも言えないし、責めるつもりもないし、ぎこちなく笑ってるくらいしか出来なかったんだよ。・・・ねぇ、俺なんか間違ってる?」
弱々しい瞳に涙をためて、西田はぐいっとそれを拭うと、同じように階段を降りて俺の手を取って歩き出した。
「浮気心なんて俺には一ミリもないし、俺も桐谷も自分の彼女が世界一大事だけど・・・一瞬だけ恋人ごっこしよっか。」
「・・・相手の見えないところで当てつけのつもりか?」
「まぁそんな感じかも。」
歩き進めながら、西田は反対の校舎の方へと手を引いていく。
「ちょっと早いけど食べ歩きしようよ。学祭と言ったら、たこ焼き、フランクフルト、焼きそば・・・桐谷は何食べたい?奢るよ。」
「西田・・・」
「ん?」
「・・・今気づいたけど、お前と手繋いでるの結構不快だわ。」
「え・・・ひど~~」
スッと手を解くと、もうすぐ会える菫が頭の中でチラつく。
「・・・彼女に罪悪感ある?」
「罪悪感じゃなくて、好きでもねぇ奴と親し気にするそれが気持ち悪いんだよ。・・・悪いけどあの時とはだいぶ状況が違うし、お前の気持ちはわからなくもねぇけど、ごっこはなしだ。後・・・俺はお前を八方美人なんて思ったことねぇ。」
「そっか・・・まぁそうだよな。」
また隣を歩き出しながら、俺も西田も一つ切り替えるようにため息をついた。
「他人に何を言われようと、生きていくためには自己肯定していくんだよ。良いように捉えるってのは大事なことだ。お前は他人に対して愛を持って接するから、人から好かれやすいし、それが羨ましい奴からしたら、八方美人だと思われる。けど誰であっても良い所を見つけられるから、お前は好きになった相手に本気でいられるし、裏切ることもしない。将来を考えたいと思える相手と付き合えてるのは、お前が堅実で真面目だからだ。それが悪いことのはずないだろ。その裏でお前がどれ程努力してるか、どれ程我慢してるかなんて、俺も佐伯さんもわかってる。だから・・・俺の言い方が悪かった、ごめん。」
西田は一つ落とすように笑って、騒がしい屋台が並ぶ先を見つめながら言った。
「ありがと、桐谷・・・」