第63話
両目がクリアに見えるようになって、しばらく経って学祭当日がやってきた。
首を隠す程伸びてきてしまった髪の毛を、後ろに結んで、注文して到着していた花材を、和室で確認していた。
「久しぶり!」
スパンと障子を開け放って、小鳥遊が顔を見せた。
「おう・・・」
「おや・・・?桐谷くんなんだか・・・しばらく見ないうちに随分雰囲気変わったねぇ。」
「・・・ふぅん・・・そういうのわかんだな、あんた。」
「バカにしてるな~?まぁいいや、提案があるんだけど・・・」
「なんだ?」
小鳥遊はニヤリとおなじみの笑みを浮かべる。
「ここで作品を作って移動させるんじゃなくて、展示する教室で生けるのはどうかと思って。」
「あ~・・・まぁ確かに移動させる手間は省けるな・・・。」
「それに展示物が周りにある状態で作った方がライブ感あるしさ、持って行く途中でぶつかったりしてちょっと歪んじゃったりしたらあれだろ?」
「まぁそうだな・・・。花材を持って行く方が楽だな。じゃあ・・・行くか。」
小鳥遊に紙袋を一つ持ってもらい、器や剣山諸々を持って教室へと移動した。
廊下を歩いている最中、小鳥遊はふと思い出したように言った。
「そういえば・・・時田先生は昼過ぎにご到着だそうだよ。」
「ふぅん・・・。」
小鳥遊はチラっと後ろを向いて俺を一瞥し、小首を傾げた。
「何だ・・・最初に図書室で声をかけた時は、先生の名前を出したら随分動揺していた様子だったのに・・・だいぶ心境の変化があったのかな?」
「心境の変化・・・ねぇ」
確かに将来については、華道家の道もあるのかもしれないなぁと、ここ数か月で思い悩むことも多々あった。
けれどあくまで可能性であって、今時田先生に何か打診されたりしても、正直やりたいとは思えないかもしれなかった。
見聞を広げた方がいいと思いながら、色んな就職先を調べて説明会に行って、面白そうなことや自分に向いているかもしれないことを、色んな方面で探していて目移りすることばかりだ。
アーティストというのは、その中でとても特殊で、特異な職業と言える。
展示物がすでに綺麗に並び終わった教室に着いて、中央の生け花を飾る台に器を置いた。
他の広報部の面々が準備に疲れた様子で休憩している中、小鳥遊が和室から持ってきた座布団を借りて、そこに正座した。
「はいは~い、皆ちょっと静かにしてね。桐谷くんに今から生け花作ってもらうから。」
「・・・別にいい。俺は勝手に集中するから。」
一つ深呼吸して、器に目を落としていると、何故か不思議と、幼い頃目の前にしていた風景を思い出した。
祖父母が俺に何か言及していたことまで、今更思い出すことは出来ないが、コンクールに出ていた時は、ピリついた空気の中、いつも自分の世界に入り込むために集中力を高めた。
クリアに見えるようになった両目の視界が、まるで教室の隅々にまで広がりながら音を消していく。
花材を一つ手に取れば、みずみずしくて美しい花弁が、今さっき摘み取られるまで生きていたのだと、その新鮮さを際立たせるように咲いている。
人間の勝手で生かされて、摘み取られ・・・挙句人間の自己満足の作品のために、剣山に刺される。
まだ人の少ない路上で、雨に打たれながら咲いていた方が、良かったと思うかもしれない。
そもそも花が思考する植物なのかどうかはわからないが、情をかけて育てればその育ち方に違いが出ることはもう実証済みだ。
俺のこの生け方一つで、花は姿を変えるだろう。
一つ、また一つと静かに花を生けていると、同時に菫のことを思い出してくる。
美しくて逞しくて、健気で真面目な彼女は、本当にその名の通り菫の花のようだ。
彼女を愛してる。
けど今は学生用の展示で作品を作ってるんだ。頭を切り替えろ。
音のしない世界の中、100%の視界で、立体を意識した大きな作品が出来上がった。
もう10月も半ばで、すっかり心地のいい暖かさが窓から差し込んで、決して教室内が暑いというわけではないのに、相変わらず作り終わったその瞬間、汗をかいていることに気付いて我に返った。
「はぁ・・・」
目の前に広がる色とりどりの活力あふれる花が、俺の今を出し切ったものだ。
心底思う、生け花というのは何て繊細で素晴らしい芸術だろう、と。
「・・・出来た?」
そっと後ろから声をかけてきた小鳥遊を振り返る。
「ああ・・・。」
改めてぐるりと生け花を見直す。
どこから見ても、色んな花の表情が見える。
「これで・・・満足か?」
チラリと腰を折って生け花を見つめていた小鳥遊を見ると、感心したように口を開けたままだった。
「・・・・桐谷くん・・・君本当に普通の大学生ではないんだなぁ・・・。」
「普通って・・・なんだ?俺は皆が皆普通じゃないと思ってる。花は色も形も皆違うだろ。どれだったら普通なんだ?」
「ふふん、問題提起してくるじゃないか。確かに言葉が不適切だった。君は典型的な大学生ではない。自分が表現したいものを、実物として作り出せる才能に溢れた人だな。」
「・・・あんたは見る目がある奴だと思っといてやるよ。」
冗談交じりに言うと、小鳥遊はニカっと歯を見せて笑った。
「さぁ~~って!!皆!頑張って展示完成させてくれてありがとう!これで全て準備は整った!宴の始まりだぞ!今年も心してかかろうじゃないか!お偉いさんが来ても臆するんじゃないよ!ほとんど校長の客だしな!何か困ったら私に聞くように。」
胸を張って両手を腰に当てながら、教室に響く声で彼女が言い張ると、皆立ち上がって返事をした。
「連中の舵を切ってるあんたが卒業したら、困るだろうな。」
何気なくそう言うと、小鳥遊はまたふふんと鼻を鳴らす。
「な~に、後続を育てるのも先輩の仕事だよ。頼りになる後輩ばかりだからそんな心配は無用!桐谷くんには今回、無理を言ってすまなかったね。3回生だしこれから就活で忙しいとは思うけど、今回いらっしゃる時田先生と少し話して、華道家の道も少しは考慮してみたらどうかな?」
「・・・あんたまでそんなこと・・・」
「まぁそれだけすごいなぁと思ったってことだよ。何というか・・・桐谷くんの作品はさ、素人目に見ても、奇抜で派手なのにそこに厳粛さもあって、生け花ってこんなに自由で楽しそうなんだなって思わせてくれたんだよ。何にもわからない人を引き込む力があるって、相当だと私は思うよ?」
「・・・才能があっても成功するとは限らないんだよ。現にゴッホは死ぬまで作品の価値を認められなかった。」
「そうだね。でも今は色々便利な時代だしさ、自分を売り込むやり方はいくらでもあるんだよ。それに有名人を利用するっていうのも手だろ?」
小鳥遊はニヤリと不敵な笑みを浮かべて去って行った。
頭の中で色んな考えが巡る。雑多でまとまらない感情が混ざる。
未練を断ち切るために、展示に協力したわけじゃない。
いったい先生は何を考えて、俺に何を話したいのか、その真意を受け取るためだ。
俺の将来を決めるためじゃない。
季節は巡って、自分自身も環境も様変わりした。
汗を拭いながら教室を出ると、ふと声がかかる。
「あ、先輩いた~。」
そちらに目を向けるとひらひらと手を振りながら、武井が廊下を歩いて来た。
「おう・・・」
「あ・・・もう俺の事覚えててくれてんだ、よかった。前に・・・俺が話したこと覚えてる?」
ポケットに手を突っ込んで気だるく立ちながら、そいつはどこか少し悲しげに言った。
「・・・何となく覚えてる。俺が何故生け花をしてるかって質問に答えてほしいのか?」
「・・・ちょっと違うかな・・・。今日親父が学祭来るんすよ。」
「あ?」
「けど血がつながってるってだけで、俺のこと息子として認識できるかどうか怪しいんだけど・・・」
「・・・」
武井が何を言おうとしているのか測りかねて、俺は次の言葉を待った。
「俺の母親はいわゆる未婚の母で・・・学生の時に俺を産んだんだけど・・・親父に当たるそいつも当時学生で・・・今は実名で仕事してる有名人でさ・・・時田桜花っていうだ。」
武井の告白に、その何とも言えない表情で話す内容に、俺はどう思えばいいのかわからなかった。




