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第62話

その次の日、いつものように会社帰りに菫がうちにやってきたので、メガネをかけたまま迎えた。


「おかえり・・・」


「・・・ただいま・・・」


眼鏡姿が珍しかったからか、菫はしばしポカンと靴も脱がずに突っ立っていた。


「何だよ・・・眼鏡だと変?」


顔を近づけて菫の髪をそっと撫でると、次第に彼女は顔を赤らめていく。


「・・・・そ・・・そんなことないよ?」


「何だよその反応・・・」


訳が分からず苦笑いを返してまたリビングに戻ると、菫はささっと玄関を上がって、手洗いを済ませて、買い物袋をテーブルに置いたかと思うと、勢いよく俺に抱き着いた。


「うぉ・・・なに・・・」


「誤解しないで・・・」


「・・・何もしてねぇわ。」


「ちょ・・・ちょっと思いのほか!眼鏡似合っててカッコよくて!性癖に刺さっちゃっただけよ?」


菫はバッと体を離して俺を睨みつけるように見上げた。

そしてそのうち困ったように眉を下げる。


「・・・やだあぁぁ・・・カッコイイ~・・・・。私そんなにルックスがどうのとか、あんまり気にしてない方なのよ?タイプな顔はあるけど・・・・思ってた以上にカッコイイんだもん・・・眼鏡って罪ねぇ。」


「そんな?・・・・コンタクトレンズも作ったけどな・・・」


そういってそっと眼鏡を外すと、ニンマリ笑顔になった菫が「それはそれでいい」と言ってるのが目で分かった。

洗面所に行ってコンタクトをつけて戻ると、彼女は夕食を皿に並べながら、鍋を手に取っていた。


「コンタクトどう?調子いい?」


「ああ、めっちゃクリアに見える。」


「ふふ・・・やだぁ、近くで見られたら小じわとか、シミとか見られちゃいそう・・・」


「その年で気になんの?」


「うん、結構疲れが顔に出やすい方なの。残業してると不摂生になりがちだし・・・メイクしたまま寝ちゃうこともあるし・・・。」


菫は何かインスタントの箱を見つめながら、スープを拵えようとしているようだった。


「・・・金使う時間もなく働いてんだったら、高いスキンケア用品とか買ったらいいんじゃね?」


「そうね・・・。ネットでちょっとお高いパックとか買ってみようかなぁ。」


キッチンに立つ菫の側に寄って、髪の毛を避けながら横顔を覗くと、以前よりくっきりと彼女の整った顔立ちがハッキリと見える。


「・・・ふふ、なあに?」


「ん~・・・?俺は自分の顔とか、見た目のことを言及されるの嫌いだけど・・・。結局美人な菫が好きなのかもなぁと思って。」


菫は鍋に水を入れて火にかけながら答えた。


「ん~・・・好きになるきっかけって何かしらあるのかもしれないけど・・・。一度好きになったら、その人の他の部分もだいたい好きになっていくものだと思うわ。」


「ほぉん・・・そんなもんか。」


「まぁ細かくここは嫌い、ここは好きって思う人もいるだろうけど・・・。でも春は他人の細かいところに拘らないタイプなんじゃない?見た目の良し悪しはあんまり考えてない私と同じく。かく言う私も・・・春ほど整った顔立ちの人と付き合ったことないし・・・。」


「・・・ふぅん・・・。」


話題に興味を無くして、髪の毛をかき上げながら冷蔵庫を開けていると、菫は思い出したように言った。


「あ!そういえばね、こないだいつだったか・・・採寸したじゃない?パーカーを作ろうと思ってるの。だいたいデザインのイメージが出来上がったから、今度生地を買いに行くとき一緒に来てくれない?」


「ん?ああ・・・いいよ。」


「下はどうしようかなぁ・・・。春の好みに合わせたいし~・・・生地を見に行った時に、いい素材が合ったら色々考えようかなぁ。」


鍋に具材を投入して、ゆっくり混ぜながら独り言を言う菫は、考えながら手元が疎かにならないもんかと少し心配だった。


「ウィンドウショッピングもしたいの♪直接店頭に行ってチェックしたいし・・・あぁそういえば目を通さないといけない資料が・・・」


鍋の中身をぐるぐるかき回しながら、菫は脳内でも仕事の予定を巡らせているようだ。


「そういや・・・ヘッドハンティングの件は結局どうしたんだ?」


菫は鍋を見つめたまま少し黙って、皿を運ぼうと手に取った俺に言った。


「・・・断ろうと思ってる。」


「・・・そうなのか。」


「うん。今じゃなくていいかなと思ったのと、その会社じゃなきゃダメっていう理由がないの。細かいことを言えば色々ね、ちょっとなぁって思うことは多々あるの。選べるような立場じゃないけど、向こうも気まぐれにちょっと使えそうな若手もらっちゃおうかな、くらいだと思うし・・・。うん・・・ホントに今じゃないの。ほしいチャンスはそれじゃないのよねぇ・・・。それに・・・今、春と離れたくないし・・・。」


淡々と皿をテーブルに置きながら、菫の言う今がどう自分にとって大事なのかはわからないが、タイミングを計るというのは確かに大事なのかもしれない。


「・・・今は離れたくないってどういうこと?」


菫はカチっと鍋の火を止めて、食器棚に手をかける。


「ん~とね・・・仕事が恋人でいっかぁって思ってたのちょっと前までは。でも・・・春とお付き合いして、思いのほか自分にとっていい刺激も貰ってるし、癒しも活力もいっぱい・・・だから離れたくないの!」


「ふぅん・・・」


「・・・わかってるよ?叶えたいことがあるならノンストップで頑張り続けばきゃいけないことは。でも心身ともに人間は限界ってあるじゃない?それを超えちゃダメなの・・・。笑えない話なんだけど、私のお父さん中小企業の人だったんだけど・・・頑張り過ぎて過労で倒れて、そのまま肺炎拗らせて亡くなったの。」


「・・・・は・・・?あ?マジで?」


「うん、私が高校生の時。お母さんはその後、昼も夜も働いて女手一つで育ててくれて、大学の費用は奨学金と私もバイトで何とかして・・・まぁそれは今まさに働きつつ返済中なんだけどね。卒業後に一人暮らしして、今のうちに住んでるんだけど、しばらくしてお母さんと連絡取れなくなっちゃってね?住んでたとこも引き払ってて・・・蒸発しちゃったのよねぇ。」


なかなかの話を、菫は何でもない仕事の話と同じように打ち明けた。


「・・・・・実家どこ?」


「東京よ?でも家はもうないわね。子供の頃住んでたとこも、お母さんと住んでたとこも。まぁでも借金とか残されてないだけましだったかなぁ・・・そなへんお父さんしっかりしてたから、会社倒産しちゃったけど、それなりにお金残してくれてたし・・・。お母さんもだいぶ苦労しただろうから、もう私も成人年齢だったしさ、もう会えないのは残念だけど、申し訳ないしもういっかって思ったのよ。」


菫はスープを注いだお椀を二つ持って、先に席についていた俺の目の前に置いた。


「はい、どうぞ~。私ろくにお母さんから料理とか教わってなかったのよねぇ・・・。買ってきたものでごめんね?」


「・・・いや、別にいいけど。」


「なかなか重たい話しちゃったけど、私は特に自分の生い立ちを悲観してないし、そこまで苦労したわけでもないから、気にしないで。幼少期は普通の家庭だったし。料理なんてこれから覚えればなんとでもなるわよね♪」


「ああ。別に俺作れるから。」


「え、ホント?春の手料理食べたい♡」


笑みを返すと、菫は「いただきま~す」とご機嫌に箸を持った。

俺は幼い頃から、行儀にうるさい祖父母の教育を受けていたのもあって、ある程度の食事マナーを心得ているけど、食べている所作を見ていると、菫も同じくらい丁寧に食事を進めている方だ。

聞けば両親から厳しくされたわけではなく、始めは会社で営業担当だったために、会食の機会が多く、失礼のないようにと自然と身に着けていったものらしい。

それから二人であれこれ話題を巡らせながら食事を終えて、その後菫が風呂に入っている間、寝室で少し花材を手に取って練習した。


学祭用の作品はバランスもイメージも完璧だ。

だがそれとは関係なく、菫がなんとなしに打ち明けた過去がどうしても気にかかった。


仲の良し悪しはわからないが、ずっと一緒に生きてきた家族を二度も失って、本当にもういっかと思えるもんだろうか。

関係が希薄だったならまだしも、菫のあの言い方だと、親に感謝しているという気持ちが見えた。


「春ぅ~お風呂・・・わ、素敵・・・。」


ボーっと器の前に正座していた俺の元に、菫はちょこんとやってきて寄り添う。


「・・・すごいねぇ・・・。」


リハーサルのようにパパっと作った生け花だけど、菫はじっと黙って対話するように眺めた。


「きっと・・・春のご両親はしっかりしたいい人なんでしょうね。」


「・・・なんで?」


「作品はその人の個性とか見えるものだけど、春と一緒にいる時間でも、この作品からも、貴方の育ちの良さみたいなものを感じるの。愛されて育ってきたっていう以上に、芯の通った作品の内側に、それ以上のものを感じるのよ。・・・・言葉にするの難しいけど。」


俺が買ってプレゼントした指輪を薬指にはめた手が、そっと花を愛でるように触れた。


「ふふ、色んな学生が活気づいて頑張ってる様子が伝わる作品ね。」


「・・・作品の意図を易々とくみ取れる菫も、なかなかの審美眼だと思うけどな。」


「そう?作り手が上手だと伝わりやすいのよ。というか・・・感性が似てるっていうのもあるかもしれないわね。」


そっと俺の手を取る彼女は、甘えるように俺の肩に頭を預ける。


「菫・・・」


「なあに~?」


「・・・帰る家がないことを・・・もう悲しいと思ってないのか?」


俺のシンプルな問いかけを受けて、菫はチラっと俺に視線を向けてから長いまつげを伏せた。


「・・・悲しいよ?ずっと。だってお父さんもお母さんもいい人で、大好きだったから。・・・でもね、私には、大黒柱として身を粉にして家族を支えて働く気持ちも、愛した人を亡くしても娘のために働き続けなきゃならなかった気持ちも、わかりえないの。私は結婚したこともないし、子供を持ったこともなくて、二人がどれ程辛かったかも理解できない。だから悲しいとは思っても、18まで大事に育ててもらえてよかったと思ってる。そりゃ・・・ずっと悲しくて泣きながら過ごしてたこともあったよ?でも冷静になったら、ずっと大変だったのは両親の方だもん。私をずっと見守っててほしいなんてエゴよ。親は私と同じ人間で、自分の人生の中で、子供の私を育てる時間を割かなきゃならなかった。その責任を全うしてくれたことに、感謝して生きられる人間でいようと思ったの。二人ともそういう正しい姿勢を持った人だったから。それが背中で見せてくれたことだしね。」


ニコリと笑みを作って、菫は俺に向き直って抱き着いた。


「春、心配してくれてありがとう。愛してる♡」


「・・・菫」


「ん?」


「・・・一生大事にする。」


抱きしめ返しながらそう言うと、彼女はゆっくり体を離して、真顔のままじっと見つめ返した。


「春、自分の人生を、そんなに早くに決めなくていいのよ?貴方は魅力的だから、これから色んな人と出会うし、私じゃなくていいって気付くかもしれない。・・・無理やり覚悟と責任を背負おうとしなくていいと思う。」


「・・・頭で考えてこんなこと言ってねぇよ。将来を誓うようなこと言ったら、何年か後に結婚考えなきゃなんねぇな、めんどくせぇなとか、収入がこれくらいになったらどれ程貯金してとか・・・現実的なことがいずれ嫌になる付き合いなんて俺はしない。菫の言ってることの理屈はわかる。未来の事なんて何も約束出来やしねぇから、誓うことは簡単でも、実現することは容易じゃない。けど少なくとも今、お互いどういう人間かわかってきて、自分の過去を重たいと思いながら話してくれた恋人に、浮かれた気持ちじゃなくて、真剣にこの先も一緒に居たいって感じたことを、言葉にするのは悪くねぇだろ?」


菫は表情を歪めて涙を浮かべると、俯いてポロポロそれをこぼしていく。


「・・・菫はいずれ、自分のブランドを立ち上げて起業したいって話してたろ。夢を持って語ることを、俺も菫も恥ずかしいなんて思ってない。それとも・・・俺が口下手過ぎて、『一生大事にしたい』は、菫にとってダサかったか?」


涙を拭って彼女は俯いたまま首を振った。


「・・・別れて傷つきたくない予防線よ・・・情けないのは私・・・。」


「情けなくはねぇよ・・・。誰だって他人を心底信用すんのは怖いだろ。・・・けど菫は、信じてくれって言われたら、素直に信じることにするって言ってたよな?受け取らなくてもいいから、信じられるうちは信じてほしい。」


そんな心もとない頼みを、彼女はまた微笑んで受け入れてくれた。



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