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第60話

通院最終日、入念に眼科医に目の状態を検査され、視力検査も同時に受けた。

結果は左目が0.3、ぼんやり見えるようになった右目は0.2だった。

奇しくもバランスを取るような視力だったが、医者は元々の状態が非常に悪かったし、ここまで戻っただけでもいい方だと語った。

虹彩が黒から色褪せて水色になってしまった原因に、目の病気が絡んでいるのではないかと、手術を受ける前も散々検査されたが、緑内障、白内障などの病気は見受けられず、異常なかった。

詳しい原因は不明なまま、薄い色は黒に戻ることはなさそうだ。

それ自体は特に構わないので気に留めることなく、今まででは考えられない程視界が広がって、視力自体は悪いものの妙な感覚だった。

メガネもコンタクトレンズも使用して構わないとのことで、その日は担当医に礼を告げて無事病院を後にした。


自動ドアを抜けて、目をあちこちに動かせば、それと同じくらい見える景色。

ぼんやりしてはいるけど、遠くにある看板や、側を走ってくる車もすぐ視界にとらえることが出来る。


「・・・変な感じだな・・・」


無事異常なく見えるようになったことを、両親にもメッセージで報告を入れた。

そして素早く指を画面に滑らせて、平日の夕方でまだ菫は仕事だろうけど、一応見えるようになった旨を伝えておいた。

狭い視界から一気に周りが広く見えて、建物や歩いている時の障害物との距離感が、逆に取りづらい・・・。

こればっかりは慣れるしかない。見えなくなった幼い頃は、どうやって片目の生活に慣れていったのか、今となっては覚えていないし、それをすぐ出来るようになった自分も大したものだと思う。

一度は鋏で切り裂かれた右目は、色こそ変わってしまっても、幸い顔に傷跡などは残っていないので、一つ自分が周りと同じ普通になれた気がした。


子供の頃から人間というのは、周りと違うことを嫌って合わせようとしたり、周りと違う特別だと思いたかったりと面倒なもんだが、見た目で判断されないためにも、社会に出てからは周りに溶け込む協調性が必要とされるだろう。

興味ある職種は色々あるので、手広く就職先を考えていることを、以前菫に話したことがあるが、彼女は正直に言った。


「・・・春は、空間を彩るような華道家が向いてると思う。」


もちろん菫も、俺が何をどう考えて就活しようとしているかは理解しているから、絶対にそうあるべきだと勧めていたわけじゃない。

だが菫も俺も向き不向きがある上で、どういう道が合うのかは感覚的にわかるほうだ。

ある意味芸術家な俺たち二人は、才能を活かす方法を心得ている。

恐らく菫は、俺が出来ることが宝の持ち腐れになってほしくなくて言及したんだろう。

現に彼女は、向いていると思うというその言葉以上に、何かを補足したりはしなかった。

あくまで自分が感じていることを述べただけで、俺に押し付けなかった。


菫のことを淡々と思い出しながら電車に乗って、通り過ぎていく風景を眺めながら、確かに変わった自分の世界を、つかめないふわふわした感覚のまま落ち着かないでいた。

車内の入り口、縦長の窓に寄り掛かって立ちながら、どんどん後ろに流されていく建物と車両が見える。

この目が例え両目とも見えなくなっても、耳が聞こえなくなっても、声が出せなくなっても、手足が無くなったとしても、病気や事故に遭って死にそうになっても・・・

世の中がどんなに変わっても、恐らく思うことは変わらないだろうと気づいた。


菫に会いたい。


心の中でそう唱えた。

気付くと俺はバイト先の最寄り駅で降り立って、花材を揃えるべく店長の元へ向かった。

休日なのに顔を見せた俺に少し驚きを見せて、花を買いに来たことを伝えると、余っている花材も含めて安く提供してくれた。

大量のそれを紙袋に収めて、ガサガサと世話しない音を立てながら、足早にまた駅へと向かって帰路に着いた。

菫からの返信はまだないけど、頑張って働いている彼女を想い、自宅の鍵をひねって逸る気持ちを抑えながら花材を寝室へと運んだ。

タオルを広げて花材を取り出し、諸々準備物を揃えて、一つ一つ丁寧に水切りしていく。

パチンパチンと鋏の音を響かせて、ようやく気持ちが緩やかに落ち着いていく。


一つ深呼吸して、両目を閉じる。

目を開けて目の前の器を両目でとらえ、心のままに次々剣山に刺していった。

白と赤の季節の花たちで周りを囲うように生けた後、たった一輪・・・今時期には珍しく咲いてくれたピンクの菫を生けた。

控え目に小さく花びらを広げて、物憂げに花弁を垂らす姿は、何とも言えない奥ゆかしさを感じさせる。


「・・・ふぅ・・・」


肩から力が抜けると、汗をかいていたことにようやく気付いて、窓から差し込む西日に照らされる。

それからじっと、出来上がったものを眺めて菫のことを思い返した。

バランスを整えるように微調整しながら、明日からはまた学祭の展示用で練習しないとなと思い立つ。

そのうち日も暮れた頃、静かな寝室の向こう、リビングに置きっぱなしにしていたスマホが鳴った。


「もしもし」

「あ、春、今大丈夫?」

「ああ、家にいるよ。」

「・・・・具合はどう?もう痛みはない?」

「ああ、平気だ。・・・菫は今終わったのか?」

「ええ、得意先から今日は直帰出来るの。おうちに行ってもいい?ご飯買って行くから。」

「ああ、わかった、ありがとう。」


電話を切って、何故か見せたい物があると生け花の話をしなかったことに、自分自身疑問に思った。


ああ、そうか・・・この気持ちは独りよがりでしかない。

こっそり彼女を想って、こっそり日記にしたためるような気持ちで、生け花を作ってしまった。

菫がそれを見てどう思うかはわからないし、どう思われても特に構わなかった。

ただ一つ言えることは、両目で見る世界を取り戻した自分が、初めて作った作品であるということ。


見せるべきかどうか少し考えたけど、どちらでもよかったので、彼女が家にやってくるまでただただ待った。

汗をかいたし軽くシャワーを浴びて、水分補給したところで、ガチャリと合鍵を使って菫がやってきた。


「ただいまぁ」


ガサガサとビニール袋の音をさせて、リビングに入って来た彼女を迎えた。


「・・・おかえり。」


菫はニッコリ微笑んで、キッチンに袋を置いて俺に抱き着く。


「んふ~~・・・あ~ん疲れたぁ・・・。はぁ・・・春の鼓動が聞こえる。」


ゆっくり顔を上げる彼女をじっと見た。

両目に映る菫は、以前と大袈裟に何か見え方が変わったわけじゃない。

けど、以前よりハッキリと、改めて美人だとわかる顔立ちに思えた。


「・・・ふふ、私が見えてる?春。」


「・・・ん。綺麗だな。」


何も考えず率直に答えると、彼女は不思議そうに小首を傾げた。


「何が?・・・ああ、明るさが強くなって顔の見え方が変わったのかな。部屋のライトとか、日中の日差しが強く感じたりしない?慣れるまではたぶん疲れるでしょうねぇ。」


珍しく見当違いな解釈をする彼女は、袋に手をかけて、肉やら寿司やらを取り出す。


「今日は春が問題なく視力を取り戻せたお祝いね。ちょっといいお酒も買ったのよ~?二人で宅飲みしたことなかったよね。」


「そうだな。」


皿を出そうかと食器棚を開けると、菫は寝室の方を向いて香りをかぐように呼吸した。


「ねぇ・・・なんかいい香りがする。お花買ってきたの?」


途端に嬉しそうにする彼女は、さっと寝室へと向かって扉を開けた。

そして驚いているのか、その背中は黙って立ち止まって固まった。

そしてゆっくり入室して、珍しい生き物にでも観察するように、側に座ってじっと眺めた。

同じく部屋に入って側に座ると、菫はゆっくり瞬きをしてから、俺に視線を返した。


「・・・・このピンクの花って菫?」


「ああ。スミレは秋にも咲くけど、10月終わりくらいからしか咲かないもんで・・・。たまたま店で植えてとっておいたものが、運よく一輪だけ咲いてたんだ。」


「・・・そうなの・・・」


「もちろんちゃんと金払って買ってきたからな。」


菫はまたじっと眺めて、そのまま数分間何も話さなかった。


「・・・ピンクの菫の・・・花言葉はなあに?」


「・・・愛とか、希望とか・・・。」


「そうなのね・・・。ねぇ・・・私はお金を払ってくれなくても、春の側にいるよ?」


両目で見える彼女に、そっと頬に触れて顔を近づけると、綺麗な目が涙でいっぱいなことに気付いて、慰めるようにキスをした。

音もなくこぼれていくそれが、どんな気持ちが表われてのことなのか、俺にはわからない。


どんな気持ちであっても構わなかった。



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