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第57話

柊くんが花を買って店を出るのを見送った後、学祭で使う花材の注文票を店長に提出した。


「展示、上手くいくといいね。」


「・・・ありがとうございます。・・・店長あの・・・就活の色々で入れる日数少なくなってて申し訳ないんですけど、来週手術受けることにしたんで、それ以降通院日で休日もらうこと増えるかもしれません。」


「・・・手術・・・もしかして目の?」


「はい。角膜の移植手術を・・・。」


「そうかそうか、構わないよ。自分の事優先しな。」


「ありがとうございます。」


穏やかに微笑み返す店長に、頭を下げて礼を言った。

お世辞にも接客態度がいいとは言えない俺を、店に出してくれているのは、花の知識をかってくれてるからだ。

店長は大らかで余計なことを詮索せず、親元を離れて暮らしている俺を気にかけてくれていた。

それから事務作業を多少手伝って、閉店時間を迎えようとしていた。

店先の花を片付けていると、まだまだ真夏の気温を保っている外気は、日が暮れても気持ち悪くなりそうな暑さだった。

地味に力仕事が多いので体力はついている方だと思うが、さすがに一度戻って水分補給するかと踵を返すと、ふと聞き覚えあるヒールの音がして足を止めた。


「春~!」


少し離れたところから、彼女が手を振って駆けてくる。


「・・・おかえり。」


「ふふ、ありがとう、春もお疲れ様。」


ふぅと息をつく彼女は、汗を拭う俺をじっと見て、さっと鞄からペットボトルを取り出した。


「はい、ソルティライチ飲む?」


「・・・ありがと」


受け取ってゴクゴクと喉を伝わせてペットボトルを返すと、菫はニコニコしたまま眺めていた。


「なに?」


「ふふ、汗も滴るいい男ね♡」


「・・・それを言うなら、水も滴るだろ・・・」


「いいの、私汗かいて頑張って働いてる人、カッコイイなぁってよく見惚れてるよ?現場の大工さんとか配達員さんとか、セクシーで素敵よね。」


「・・・ふぅん。」


口元を拭って足元の鉢植えを持ち上げようと屈むと、菫は同じように側に寄ってしゃがんだ。


「ね、待ってていい?」


「・・・ん。」


何気ない会話でまたモヤモヤと嫉妬心が湧いて、何ともめんどくさい自分にイラつきを覚える。

さっさと片づけを終えて、店長に挨拶して店を出ると、どっぷり日も暮れた夜空をボーっと眺めている菫がいた。

俺が近づくとパッと振り返って、長い髪を風に揺らす。

手を取って歩きながら、菫はぽつりぽつりと雑談していた会話を切って尋ねた。


「ねぇ春・・・春はさ、付き合って何か月記念、とか・・・そういうの祝いたい人?」


「・・・・いや・・・・特に・・・・。菫は?」


「私はね、祝うのもいいかなって思うんだけど・・・毎回忘れちゃうの、その時々で没頭してることがあると・・・単純に仕事が忙しいっていうのもあるけど・・・でも同じ失敗はしちゃダメじゃない?だから聞いておこうかなと思って。」


「・・・祝い事を設けて楽しむっていうより、俺は一緒にいるならそれでいいと思うけど・・・。」


菫はゆっくり口元を持ち上げて、長いまつげを上げて俺を見た。


「・・・私もそう思う。」


夜道を二人で歩いていると、お互いがお互いを意識して、歩幅を合わすように会話を交わすこともあれば、菫が引っ張るように星明りを指さして、あっちこっちに連れて行こうと話すこともある。

俺が不器用だからそうしてくれてるのかもしれないと、最近徐々に気付き始めた。


菫が住むマンションの前に着いて、スッと手を離す。


「・・・んじゃ、また連絡して。」


「・・・春はおうちに帰ってご飯食べたら、その後何するの?」


菫は後ろ手を組んで、またニコリと微笑む。


「・・・そうだなぁ・・・。調べものが少し・・・後は腕が鈍らないように、いくつか余ってる花材で練習しようかとか・・・そんなとこだな。」


「そっか・・・。」


菫は考え込むように目を伏せて、思いついたように言った。


「渡したい物があるの、家にあるから来てくれる?」


「ん?ああ・・・」


菫の後をついて誰もいないエレベーターに乗ると、彼女はつんつんと俺のTシャツを引っ張った。


「春ちょっと背が伸びたみたい。・・・ちょっと屈んで?」


腰を折ると、不意に唇が重なってさっと彼女はまた前を向いた。


「・・・・・・・・・何だよ・・・・」


目の前のドアが開くと、菫はクスクス笑いながらまた先を歩いた。

部屋に着いてリビングまで上がると、彼女はちょっと待ってねと言って、奥の部屋へ向かった。

そして見たところ何かを持っている様子もなく戻ってくる。

ソファの隣に腰かけて、彼女は掌を開いた。


「はい。」


「・・・合鍵か?」


「うん。私連絡まともに返さないし送らないでしょ?春の好きな時に遊びに来てほしいなと思って。」


「ああ・・・わかった、ありがとう。」


そのまま黙ってしまう彼女は、そっと隣にある俺の手を取る。

静かな夜は外からわずかに鳴く虫の声が聞こえて、手を握り返して右隣の彼女に顔を向けるけど、表情が見えづらかった。


「あ、ごめんね、反対に座ろうか?」


気を利かせて立ち上がろうとする彼女の手を、ぐっと掴んだ。


「いい・・・。そろそろ帰る。」


すると菫は落胆したようなため息を落として、それが何故か体の中をざわつかせた。

恐る恐る顔色を窺うと、菫は悲しそうに目を伏せて呟いた。


「・・・話したいことがあるみたいに見えたの・・・。私じゃ役に立たない?」


ゴクリと生唾を飲んで、自分が何故言いあぐねているのかもわからず、戸惑いを隠せなかった。


「私・・・好きな人に我儘を言うのが苦手なの・・・というか下手なの。自分勝手を加速させる気がして。きっと春は気にしないだろうけど、私のせいで貴方のリズムを崩しちゃうなら、それはあんまりよくないことかもしれないよね。」


「いや・・・・・・人としての距離感や、気遣いは出来てんだから別にいいと・・・思うけど。」


菫は苦笑して手をこまねいた。


「そうね・・・。でも・・・春が好きだから怖いのよ?だからもっと知りたいの、嫌われないために。」


静かなリビングでお互い立ち上がったまま沈黙が降りた。


「・・・手術を受けることにした。」


菫はゆっくり俺に視線を向けて呆然とする。


「・・・どこか悪いの?」


細い声を震わせて問うので、今にも涙が滲みそうになる彼女に重ねて言った。


「いや・・・失明した右目の手術を・・・。角膜の移植手術だ、別に難しくないからすぐ済むし、たぶん見えてる方と同じくらいの視力は戻ると思う。」


「・・・そう・・なの・・・そっか・・・。いつ受けるの?」


「来週」


「そうなんだ・・・入院の準備とかしなきゃね?」


「ん・・・まぁ2、3日だから大した事ねぇけど・・・」


「・・・どうして受けようと思ったのか聞いてもいい?・・・あ・・・就活があるから?」


「まぁ一部はそうだな・・・。理由は一つじゃないけど・・・今まで視力を取り戻したいと思ってこなかったけど、菫が・・・・」


そこで言葉に詰まった。反応が怖いわけじゃないのに。


「・・・私・・・?」


一つにまとまらない感情が、こうも渦巻いてかき乱して、感じたこともない感覚に戸惑って翻弄されて、菫が不安になってしまうことは意地でも避けたいのに、子供のように本音を吐き出すことが、果たして正しいのかわからない。


「・・・ねぇ春・・・何も気を遣わなくていいのよ?言いにくいなら無理に今言ってもらう必要もないから・・・。見えるようになってからでもいいし・・・。無理だけはしてほしくないの。」


ああ・・・菫も結構な恋愛下手なんだな・・・不器用同士いい勝負だ。

翔のように素直な子供らしく、好きも嫌いもぶつけられて、自分らしさを貫けたらいいだろうか。

咲夜のように毅然と本音を言葉に出来たら、容易く愛情も伝わるのかもしれない。

西田のように上手く笑えれば、相手を不安にさせることもないだろう。


思い悩む俺を彼女はそっと抱きしめた。


「思ったことを・・・言葉を選ばずに言っていいよ。」


菫から伝わる体温が、体を通して染み渡って、それが熱になって上昇していく。

自分の感情を表す正しい言葉も、俺はわからない。

抱きしめ返すうちに、左目からも見えない右目からも涙がこぼれた。


「・・・愛してる・・・」


みっともなく鼻水をすすりながら、腕に力を込めた。


「今まで・・・何も気にしてこなかった。見えないことも、疎外されることも、奇異な目で見られることも・・・。けど・・・菫を・・・片目じゃなくて両目で見たいんだ・・・ちゃんと・・・。手術が怖いということはまったくない。狭い視界のせいで怪我をしそうになったことが何度かあるし、自分の痛みだからそんなことはどうでもいいと思ってたけど・・・菫を不安にさせたくない。」


子供のように弱々しく説明すると、彼女は応えるように強く抱きしめ返した。


「うん・・・。十分伝わったよ、ありがとう。」


「・・・両目で見えることになることが、それほど重要なことだとは思ってない・・・。ずっと片目で生け花をしてきたから、美しいものは美しいとわかってる。」


菫はそっと体を離すと俺の頬に触れて、安心したような笑みを見せた。


「そうね。春は審美眼があるもの。だからワンピースを褒めてもらって心底嬉しかった。・・・右目も同じように見えるようになって、視界が広がっても、もしかしたら感じることはそんなに変わらないかもしれない。私の・・・印象もそこまで変わらないと思う。でも貴方が、私と関わって・・・もっとちゃんと見たいと思ってくれたことは・・・」


彼女は言葉を詰まらせて、じんわりと涙を浮かべる。


「・・・うれし涙だからね?大丈夫よ・・・。ねぇ春・・・今日は帰らないで。」


それ以上何か、自分のことを説明する必要もなくて

甘い言葉を囁き合うでもなく、いつものように整頓された彼女の寝室で、狭いベッドで抱き合って眠った。

眠りに落ちる前、菫は閉じそうになる瞼を堪えながら、珍しく弱音を吐いた。


「あのね・・・忙しくてしんどくてね・・・?春が居てくれるなら・・・自分の夢・・・諦めてもいいかな・・・とか思っちゃうの・・・。ダメね・・・」


掌にある頭の感触と、撫でると気持ちのいい髪の毛と、そうしてるうちに穏やかな寝息をたてる彼女を見ていると、以前言われた通り、自分の中に他者への愛情が確かにあったんだと腑に落ちた。



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