第56話
数日後、俺は大学病院で視力検査を含めた精密検査を受けた。
どうやら紹介状やその他母から送られてきた書類を元に、医者の話を聞くと、角膜の提供自体は随分前から出来るようになっていたらしい。
片目を失明した状態でも、憑りつかれたように生け花に没頭していた俺に、両親も余計な話を持ち込むべきではないと、判断したのかもしれない。
詳細を聞くと、入院は2、3日程度だが、術後は乱視になり、腫れが引くまでひと月程はかかってしまうという。
「こちらで手術を受けるのでしたら、来週から手術と入院の予約は取れますよ。」
今は9月初旬・・・手術を受けてだいたい半月程経てば、見えている左目と同じくらいの視力が戻るだろうと言われた。
メガネやコンタクトレンズを考えるなら、術後何度か通院して様子を見て、視力が安定してから作るのがいいらしい。
「・・・わかりました、お願いします。」
医者はまたデスクのパソコンに向き直って、予約日程の詳細を教えてくれた。
手術自体は難しいものではなく、小一時間程で終わる簡単なものだ。
今まで両目で見えるようになりたいと、思ったことはなかった。
片目で見る世界が自分にとって当たり前だったからだ。
手術と入院の予定を取り付けて、帰り道両親に報告するメッセージを送り、電車に乗り込んだ。
正直自分で決めたことにも関わらず、あまり実感がない。
両眼で見るということを、強く望んでこなかったのは何故なんだろう・・・。
人一倍日常生活を送ることに難儀していたし、周りから奇異な目で見られ、好きな生け花に打ち込むにしても、疲れは人より出やすかった。
バイト先に着いて、いつものように陽気な店長と雑談して身支度を整え、花の様子を見ながら作業を行い、時々来店する客を迎えた。
免許は持っているが、万が一を考えて俺は配達の運転はしない。
力仕事や単純作業は難なくこなせるし、パソコン画面に打ち込むような事務作業も問題なく出来る。
ごく稀に、小さな子供が親に連れられて来店したりすると、接客している最中に「どうして右目だけ青いの?」と、無垢な質問を投げかけられることがある。
しゃがんで目線を合わせて、正直に理由を教えてやるけど、大体の子は怖がったり気味悪がったりするもので、保護者も気を遣って平謝りする流れだ。
いや、そもそも怖がられるのは俺の愛想がないからかもしれないけど・・・
子供の頃からおかしなものを見る目を向けられても、不思議なことに俺は何とも思わなかった。
例えいじめを受けても、特に悲しいとかつらいとかいう感情は湧いてこなかった。
けれどそれが、自分は人や自分の感情に鈍感なのだと気づいたきっかけでもある。
端末を持って発注する画面を眺めながら、少し昔のことに思い馳せていると、カランとドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ・・・」
「あ・・・桐谷先輩、こんにちは。」
そこにはニコリと微笑んで、丁寧に腰を折る柊くんがいた。
「ああ、お疲れ。」
彼は嬉しそうに俺の側にやってきて、キョロキョロと花に目移りさせた。
「あの・・・今日はお供え用の花を探しに来まして・・・」
「そうなのか。・・・お彼岸はもう過ぎたと思うが・・・」
「はい、その時は別の花を持っていったんですけど、夕陽のお母さんが亡くなった方の好きだった花の話をしてくれたので、もしあったら仏壇の前に供えてあげたいなぁと思いまして・・・。後はその・・・久しく先輩にお会いしてなかったですし、もし会えたらと思って来てみました。」
「そうか、わざわざありがとう。・・・で、目当てのものってのは?」
彼は朝野くんの母から聞いたという花を、スマホにメモした画面を見ながら教えてくれた。
それらを供え用に短く水切りして、小さく束ねていく。
すると柊くんは以前と同じように、作業する俺の手元をじっと眺めて、思い出したように言った。
「そういえば・・・以前貰った花束、乾燥させていたら無事ドライフラワーが出来て、スワッグとして飾ってます。」
「そうか、そりゃよかった。」
会計を済ませて、出来上がった花を差し出すと、彼は愛おしそうに目を伏せて大事に眺めた。
それを見るとふと、いつだったか制服を着ていた時代、適当に見繕った花束を、嬉しそうに受け取った同級生を思い出した。
「・・・先輩?」
ハッとなってボーっとしていた自分に気が付いて、彼の顔に焦点を戻した。
「大丈夫ですか?まだまだ暑いですし・・・熱中症とか・・・」
「いや、大丈夫だ。・・・・ところで、その花は身内に供えるのか?」
「あ・・・えっと・・・夕陽の妹さんが、一昨年亡くなったので・・・。」
「・・・・そうか・・・。今日は朝野くんと一緒じゃないんだな。」
「はい、彼は今塾講のバイトで・・・。家にじっといても落ち着かないので、たまにこうやって散歩や買い物目的で外出してるんです。俺精神疾患の影響で、一人でいて気分が落ち込むと、不安が募って、夕陽に早く帰ってきてほしいっていう気持ちでいっぱいになっちゃうので・・・」
柊くんは何か、情けない自分を恥じるように俯いた。
「・・・ふぅん・・・。まぁそういうことなら、気分転換に色々やるのはいいことだな。」
「はい、たまに自室で趣味の小説を書いたり・・・。後は・・・料理して作り置きおかず拵えたり・・・弁護士資格の勉強したり・・・」
「へぇ・・・・弁護士目指してるのか。」
「はい、母が弁護士でその影響もありますけど、食いっぱぐれないってのもありますし、勉強が好きなので挑戦したくて頑張ってます。」
「・・・なかなか立派な夢だな。」
感心していると、彼は照れたような笑みを落として、少しまた悲しそうな視線を見せる。
「でも・・・なかなか集中して勉強続けられなくて・・・。先輩は素晴らしい生け花をたくさん作ってらっしゃったんですよね。自分で集中力を高めるために何かしてましたか?」
恐らく咲夜あたりから聞いたのだろう、俺の過去を知っている風でありながら、柊くんは俺の中身に着目しているらしい。
「・・・集中力・・・」
他の客も訪れない店の扉の向こうを、ボーっと眺めて、昔どんな風に華道をしていたか思い出そうとした。
「・・・わからないな・・・。きっと俺は感覚で花を生けてたんだ。柊くんのための最適解にはならないと思う。適当にこうしたらいいだの、これをやってみたらいいだの、いい加減なことは言えない。いい加減で冗談で交わす会話ならまだしも・・・。俺は柊くんの内面をよく知らないし、どんな生い立ちかも知らない。何も知らない相手に、こうすればいいなんて提案出来ないな。超能力者でもなければ。」
少し冗談めかしに言うと、彼は黙って聞いていた真面目な表情を崩して、ふっと笑みを見せた。
「やっぱり先輩は・・・咲夜にちょっと似てますね。」
柊くんの意外な指摘に、一瞬言われた意味がよくわからなかった。
「・・・そうか?」
「はい。俺が人として憧れる部分が、二人とも持ってるというか、似通ってます。」
「ふぅん・・・・」
何となく彼の言葉を噛み砕きながら、初めてチラっとカフェテリアで見かけた時や、咲夜が話していたこと、階段でぶつかった時、そして花屋に朝野くんと来た時のことを、順番に思い返した。
いつも柊くんの側に、朝野くんが一緒に居た気がする。
柊くんが俺や他の誰かと話していると、朝野くんからは何というか・・・
「柊くんは・・・男女問わず友達がいるのか?」
「・・・え・・・?え~っと・・・俺友達少ないので・・・2、3人はいますけど・・・女性の友達は、根元さんだけかなぁ・・・・友達と呼べる人は後は男性です、桐谷先輩も含めて。」
彼の返答に、何となく自分の中で合点がいった気がした。
中性的な雰囲気と、若干女性に見紛う顔立ち、話し方や立ち振る舞い・・・
「全然関係ない話をして申し訳ないんだけど・・・」
「・・・はい」
「たぶんだけど・・・君は女性より男性からの方が、恋愛感情を向けられやすい人だと思う。」
「・・・へ・・・?」
「何となくの雰囲気でだけど・・・。元々の素直さとか真面目さが、可愛らしい見た目も相まって、男からしたら珍しいと思わせるというか・・・。だから朝野くんがいつも少しピリついた空気を出してるんだ。」
柊くんは俺の突然の指摘に、身に覚えがありそうな視線のそらし方をした。
「朝野くんは・・・ちょっとだけ俺に似てるとこを感じる。好きな人の人間関係に過敏になってるというか・・・彼の優しそうな瞳の奥に、嫉妬心を感じたことがある。きっと、柊くんが気安く呼んだ咲夜に対しては、もっともっと強い嫉妬心をひた隠しにしてると思うぞ。」
柊くんは目を見張って俺を見据えて、ふぅと息をついた。
「先輩は十分超能力者です。」
彼は苦笑いを向けながら、人の気持ちを容易く見抜いてしまう所も、咲夜と似ているとこぼした。