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第55話

9月初め、まだ夏休みは続いている。

前回菫のうちに泊った数日後、彼女は会社が参加するファッションショーで自作品を披露した。

色んな業界人が招かれて出席していたようで、注目されている若手のデザイナーや社長らが、色んなメディアからの取材を受けていたらしい。

自分はそもそも期待されていなかったからと、他の同僚たちの作品から刺激を得たことが収穫で、特に目立った評価を受けることもなかったらしい。

けれど菫は力を出し切った作品を、披露出来たことに満足したようで、また次の仕事に着手して忙しいようだった。

そんな中俺は、時折バイトに行きつつ、興味ある企業を調べる日々を過ごしていた。

そして時々他愛ない連絡を受けていた母から、或る日電話がかかってきた。


「アイバンク?」

「ええ、貴方が事故にあってしばらく経ってから、もし将来角膜の手術を受けられるならと思って、登録しておいたの。その知らせが届いてね、精密検査を受けて本人の同意があるなら、手術を受けることが可能だって。」


何ともタイムリーな情報だった。

アイバンクは亡くなった遺族の同意の元、角膜を譲り受けての移植手術。

もちろん他の臓器移植と同じく、登録してすぐ受けられるものではなく、何年もかかるのが当たり前だ。

母は俺が小さなころでは、子供に移植することが困難なため諦めていたが、大人になったら手術を受けることも可能だと思い、予め登録していたらしい。


「・・・ありがとう・・・。けど・・・手術となるとそれなりに金かかるだろうし・・・」

「・・・子供がそんな心配しなくていいの。それに、私も父さんも子供にかかる医療費なしに、こんな提案すると思う?」

「・・・ん・・・。」

「どうする?少し考える?」

「・・・・・・いや、受ける前提で検査に行く。」


俺が即答すると、母は意外な返答だったのか、少し驚いて黙り込み、また小さくため息をついた。


「会わないうちに心境の変化があったのね。」

「・・・・近いうちに会いに行くよ。」

「あら・・・また珍しい・・・どうしたの?届いた書類なら郵送してあげるわよ、そっちにある大きな病院でも受け付けてくれるから。」

「まぁそれは送ってもらうけど・・・。そっち側でも就活で回る企業考えてる。」

「そう。」

「・・・それと余談だけど・・・」

「・・・なあに?」


静かなリビングで、以前うちに忘れていった、菫がつけていたピアスを手に取る。


「紹介したい人がいる。」

「・・・あらぁ・・・」

「・・・別に・・・将来考えてるとか、そういうあれじゃねぇけど・・・。というか本人にも会わせたいとか言ってねぇけど・・・。本人が了承してくれるなら・・・会ってほしい。」

「ふふ・・・そう・・・。楽しみにしとくわね。」

「ん・・・じゃあ・・・。」


静かに通話を終えて、手の内に収まる飾りを眺めた。

付き合い始めた頃より、確実に菫のことを考えている時間が増えていた。

けど物事には優先順位というものが存在する。

まずは調べ尽くして企業説明会に参加しながら、就きたい職種の方向性を明確にしなきゃならない。

頭ではわかっていても、菫のことが浮かんで、出かけるとしたらどこに行こうかと考えていた。

夏休みが終わった後の学祭のことを忘れているわけじゃない。

けど正直、時田先生がわざわざ見に来るというのは、俺にとってどうでもいいことになり始めていた。

今年は出来るだけ単位を取り切って、就活の準備を確実にこなし、来年度には早めに内定をもらい、その後はバイトと卒論だ。


「精密検査は・・・・書類が郵送されたらすぐ病院に問い合わせるか・・・」


調べた時の記憶が曖昧だが、片目を失明している場合、見える方の視力が0.6以下になると、障がい者扱いになるらしい。

そうなると・・・就職の際不利になるってのも、無きにしも非ずだ。

一つ大きく息を吸い込んで吐いた。


やることが膨大にあっても、とりあえず足元にあるものから片付けて行かないとな・・・。


練習用の花材を使い切ってしまい、今日バイトに行った時に、また余ったものをもらおうかと思いつつ、身支度をして家を出た。

少し久しぶりの出勤で、店長の配達の荷積みを手伝っていると、まだまだ厳しい残暑に汗が滝のように流れる。


「そういや、桐谷くんが学祭で使う花材って、いつ頃到着するように手配してたらいいのかな。」


「あ・・・そうっすね・・・。来月の中旬くらいなんで、もう後で注文票書いときます。」


直近でこなさないといけないことは、まずは展示用の生け花だ。

他のこと考えるのはとりあえず後回しでいいだろう。


夕方になり手が空いた頃、レジで注文票とにらめっこしながら、予算を考えつつ書きこんだ。

すると久しく鳴っていなかったドアベルがカランと響く。


「いらっしゃいませ。」


パッと顔を上げると、若い女性がニコっと笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。


「桐谷くん!やっぱりここでバイトしてたんだぁ。友達が見かけたっていうからさ、半信半疑だったんだけど・・・花屋さんに桐谷くんっぽいイケメンがいたって。」


「・・・・?はぁ・・・」


知り合いらしきその子が、誰だかまったく記憶していないけど、彼女はそのまま話を進めた。


「っていうかうちの学部でイケメンって言ったら、桐谷くんと西田くんと高津くんだからさ。西田くんはカフェでバイトしてるの知ってたし、高津くんは花屋なんかでバイトするイメージじゃないし・・・消去法で桐谷くんかなって話なんだけど・・・やっぱ意外だなぁ、エプロン姿の桐谷くん新鮮だし♪」


見た目のイメージと、職業への偏見が混じったその発言に、不快感しかなかった。


「・・・で?何の用?」


「えっ、会いたいから来たんだよ?働いてる桐谷くん見たいなって。」


「ふ・・・あっそ。当たり前だけど仕事中だから、冷やかしならお断り。なんか買う気ある?」


俺の応対に彼女もさすがに険悪さを感じたのか、表情を曇らせた。


「え~・・・?そんな邪険にしなくてもいいじゃん・・・。てかもしかして桐谷くん、私の名前再度忘れてる?」


その時、まだ明るい時間にも関わらず、菫の靴音が聞こえて店の扉が開いた。

汗を拭って急いできた様子の彼女は、パッと俺と目を合わせて嬉しそうにした。


「春・・・」

「桐谷くん私の部屋でキスした仲でしょ~?」


菫を遮るように放たれた言葉が、その場の空気を凍り付かせた。

俺が後ろに視線を向けていたことで、問題発言をかましたそいつも後ろを振り返る。


「・・・?桐谷くんどうしたの?」


「す・・・」


菫は俺が呼び止めるより先に、眉をしかめて視線をあっちこっちにやったかと思うと、踵を返して店を出た。


「菫!」


脱兎のごとく逃げ出す彼女を、反射的に体は追いかけた。

ヒールで早く走れるはずもないので、幸いすぐにその腕を捕まえることが出来た。


「はぁ・・・はぁ・・・誤解だ。」


悲しそうな目で俺を見る彼女を、そっと抱きしめた。


「勝手に・・・勘違いすんのやめてマジで・・・。話されてたことは事実だけど、菫と出会うより前の話だし、別に付き合ってたとかじゃない。家に泊ったけどキス以上のことはしてない。そもそも俺は好きでも何でもない。」


「・・・・そ・・・・ホントに?」


「ん・・・わけわからん嘘つける程・・・恋愛経験ないんだよ・・・。安っぽい言い方して納得してくれんのかわかんねぇけど・・・俺は菫だけだから。」


そこそこ人通りのある道で、憚らず抱きしめていたことに恥ずかしくなってそっと離れた。

すると菫が目配せだけで、俺の背後で待つ知り合いを気遣ったので、改めて振り返った。


「あの・・・・桐谷くん、ごめんね?なんか・・・・修羅場っぽい感じになっちゃった・・・よね?」


「・・・・・・誤解は解いたからいい。・・・で?名前も覚えてねぇけど、花買う気ある?」


「わぁ・・・まぁまぁ酷いじゃん・・・。ん~・・・彼女持ちの人にちょっかいかける気ないし、帰るね。」


菫の手を取り店に戻り、店長に店番を放棄したことを謝罪して、笑いながら許された後、雑務も終えていたので、早く上がることを許された。


「・・・店長さんいい人ね。」


「ああ・・・。社員にならねぇかって言ってくれる程な。」


「へぇ、そうなんだ!・・・ふふ・・・。」


菫は繋いだ手をぎゅっと握りなおして、申し訳なさそうに言った。


「ごめんね・・・大人気ない拗ね方して・・・。自分でもあんなにショック受けるとは思わなかったな・・・。浮気されて別れたこともあったのよ?・・・春はそんな人に思えてなかったからかな。」


「別にいいよ。口で説明しても何の証明もならないのに、信じてくれたから。」


「・・・うん。私ね・・・もちろん疑うこともあるのよ?人として・・・。でもね、信じてほしいって相手が言うときは、ちゃんと心から信じることにしてるの。ビジネスが絡んでなければ。」


「ふぅん・・・。何で?」


「だって・・・私が心から信じて、相手が嘘をついて裏切ったとしても、その人の良心が傷ついたり、酷い行いをした罪が残るだけなの。私は信じたいと思ったんだからそれでいいの。信じる相手を見誤ったかもしれなくても、大して損だと思わないならそれでオッケーかなって。それに・・・春の場合は、人を傷つけたりすることにそんなに慣れてないように思えるから、私を裏切ることないかなぁとも思う。」


「信じるに足る根拠はちゃんとあるって感じか。」


「ふふ、そうよ?・・・打算的だと思った?」


「いいや。それでいいと思う。信じたいと思う相手だから信じる、っていう考え方は嫌いじゃない。」


菫は満足そうに笑みを浮かべて、またうちまで一緒に歩いた。



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