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第54話

菫はドライヤーの熱風を俺の頭にかけながら、細い指で俺の髪を梳いた。

時々何か話しかけてくるけど、ドライヤーの騒音でほとんど聞こえないので、生返事していた。

そのうちカチっとスイッチを切った彼女は、思いついたことを並べるように言った。


「水族館とか、買い物より・・・美術館とか個展に行く方が好きなの。」


長い髪を耳にかけて、ピッタリくっついてソファの隣に腰かける。


「春はどういうデートが好き?」


「さぁ・・・デートしたことないからな。」


「別にしたことなくても想像できるでしょ?お友達と二人で出かけたことはあるだろうし、それを私に置き換えてくれたらいいのよ。どこに行くのが、春は楽しいと思う?」


そう言われて、今まで咲夜や西田、翔とあらゆるところにブラブラ出かけていた時のことを思い返した。

どこに行くにしても何かしら発見があって、あいつらは俺とは違う感性で物事をとらえてリアクションするし、何をしに行ってもそれなりに楽しかった。


「・・・菫とどこかに行っても、それが初めて行くところでも、そうでなくとも、楽しいは楽しいだろ。」


「ふふ・・・そう?どうしてそう思うの?」


「・・・俺がいつもつるんでる友達もそうだけど・・・三者三様で、考え方違うし全然違うことを言うんだよ。だから面白い。俺はそいつらの感覚がないから。菫とは少し感性が似てるかもしれないけど、それはそれで考え方が似通ってるってのは面白いことだし、それでも全然違う角度から新鮮な話を聞けても楽しめるだろ。」


「うん・・・そうね、私もそう思う。」


菫は俺の肩に頭を預けて、眠たそうに言った。


「一緒に居て楽しいって思える人って・・・貴重な存在ね。」


「そうだな。」


「春のいつもつるんでるお友達っていう人たちのこと、もっと知りたい。」


「・・・・一人は見かけてると思うぞ。花屋の前でチラっと・・・。」


「・・・あ・・・春を迎えに来てた子ね。・・・背の高い男の子だったのは覚えてる。」


「俺よりちょっと背は高いな・・・。・・・あいつは西田。下の名前で呼ばれんの嫌いだから、皆西田って呼んでる。ちなみに今日雨宿りしに家に来てた。」


「あら、そうなんだ・・・。」


「眠いならベッド行くぞ。」


うつらうつらと、菫はもう意識を手放そうとしていたので、歩けなくなる前に誘導してベッドに寝かせた。

倒れるように布団に潜り込む彼女に、大事に掛布団をかけて、二人で寝るには少し狭いシングルベッドを見下ろすと、菫はもう目を閉じてゆっくり呼吸していた。


「・・・ソファで寝るか。」


幸い雨が降ったせいか、エアコンをつけていなくても暑くはないし、スエットを脱いでTシャツで寝れば問題ない。

そっと音を立てないように寝室から出ようとすると、背中に声がかかった。


「春・・・?」


「・・・ん?」


「どこ行くの?帰っちゃうの?」


「いや・・・」


「行かないで・・・」


眠たげに薄く開いた彼女の目に涙が滲んで、またベッドに歩み寄った。


「狭いだろ?俺はソファで寝てっから。別に帰らねぇよ。」


「いいの。私が端に寄るから・・・一緒に寝てて。そのうち・・・・おっきいベッドも買うから・・・」


「・・・たく・・・男が出来ると散財するタイプか?」


ベッドに入ると、菫は横になった俺に抱き着いて、満足したように寝入ってしまった。

手触りのいい髪を撫でて、腕の中で規則正しい寝息を立てている様を見ると、西田が言っていた通り、以前の自分からは想像もできない程、心境が変化していると思えた。

まず、自分が特定の誰かに特別意識を持って、恋愛感情を抱くということ自体が驚きだ。

恋愛対象が今回は女性だったわけだが、男に対してどうなのかは不明で、西田とそういう関係であった時でも、朝野くんと柊くんを見ていても、嫌悪感を抱いたことはないので、恐らく俺にとって性別はあまり問題ではないんだろう。


菫が俺にとって魅力的だと思うのは、第一に彼女の感性であることは間違いない。

芸術作品において、細かく着目して解釈を広げられる。表現されたものから、込められた意志や物語をくみ取れる。

後は物事に対する着眼点、または固定観念がないところ。

柔軟な発想と、好奇心旺盛なところも、人として大いに魅力的だと思えた。


本人はそれを他人から見ると、若干変わり者扱いを受けると自負しているみたいだ。

だが仕事においてはその感性や個性を活かすことが出来る。

デザイナーは彼女の天職だろう。

それをわかっているから、自身の能力を向上させるために、今は仕事に専念するべきだと思っている。

余計な虫がつかないかは心配だけど、彼女が活躍できる場で羽ばたこうとしている邪魔を、俺がしてはいけない。

菫の過去の恋人たちが、彼女の自尊心を折り、自由意志を妨げていたなら、恋人に対して思う我儘とやらを向けられない。

そもそも俺がそういう我儘を抱くかどうかは別として、彼女も俺も、ありのままの自分でいられる関係が重要なんだろう。


穏やかな寝顔を見せる菫を眺めて、ふと今まで思ったこともないことが、胸の内に溢れた。


片目じゃなくて、両目で彼女を見たい。


物心つく頃から、俺は片目で見える世界しか知らない。

自分の周りにあるものを把握するには、大袈裟に首を振って辺りを見渡していた。

菫は俺が右目を失明していることを、何も気にしていないし、俺自身が困ることがないのなら、それでいいと思っているだろう。

けど最近、柊くんとぶつかって事故になりかけたこともそうだが、この先何もないとは言い切れないし、自分の不注意で、今度は菫に怪我をさせるようなことがあってはならない。

懸念していたことが、大切な人を目の前にすると、それは膨大な不安へと変化していく。


いつの間にか眠って夜が明けても、次に目を覚まして朝を迎えた時、まだ薄暗い明りがカーテンの隙間から漏れているだけで、良く見えない視界でまどろみの中だった。

体をゆっくり持ち上げて、側で眠る彼女を撫でた。

寝室をぐるりと見渡して、つくづく感じていたことを改めて自覚する。


左目の視力が・・・明らかに落ちてる。


大学で講義を受けている時、板書が必要な授業は出来るだけ前の席に座っていた。

座れそうにない時は、手元のプリントや教科書を照らし合わせてノートを取ったり、教授の話を録音したりしていた。

それで今まで特に困ることがなかったのは、気の利く友人たちが、俺が見えづらそうにしていると、手元のノートをさっと見せてくれていたからだ。

俺が失明している事実を打ち明ける前は、きっとかなり視力が悪いんだろうなとでも思ってたんだろう。


ベッドからそっと抜け出して顔を洗い、鏡の中に映る右目を覗くと、かつて黒かったであろう虹彩が色褪せて、水色のままだ。

今となっては両目で見えていた視界を、俺はもう覚えていない。

リビングに戻って、テレビの上にある掛け時計を見ても、ぼやけて何時かわからなかった。

テーブルに放置していたスマホを手に取り、まだ7時前であることを確認して、ベッドに菫を起こしに戻った。


「菫・・・」


声をかけて頬に触れると、彼女の瞼が震えて大きく息を吸い込み、うっすらと瞳を見せた。


「ん・・・・春・・・おはよう。」


「・・・はよ・・・。」


「んふふ・・・今日は先に起きたのね。」


微笑み返して、何か飲もうとキッチンへ向かった矢先、サイドボードに置いてあった何かが、見えない右側でぶつかった。

まずいと思って振り返った時には遅く、それが菫にあげた自分の生け花だと気づくまで、まるでスローモーションのように見えた。

元々ひびが入って使い道を失ったグラスは、大きく音を立てて落ちて、フローリングに水とガラスの破片をまき散らした。


「春・・・!大丈夫?」


慌てて菫が飛び起きて駆け寄る。


「あぁ・・・悪い・・・。菫、寄るな。掃除機あるか?」


「あ・・・うん、待ってね。」


踏まないように気を付けて洗面所からタオルを持って戻ると、彼女は広告チラシの上にそっと破片を集めていた。


「・・・菫・・・ごめん・・・。」


「いいのよ、気にしないで。元は春のグラスだもん。割れちゃったのは残念だけど、今度何か作ってもらうときは、ちゃんと花瓶用意するね。」


頷き返すと、彼女はまた安心させるように笑ってくれた。

二人で細心の注意を払いながら後片付けをして、その後彼女は急いで身支度を始めた。


単に寝ぼけていただけにしても、見えない視界に対して不安を募らせるには、十分な出来事だった。



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