第52話
予報通りの豪雨に見舞われた東京は、家の中にいても激しい雨音が気になる程だった。
帰る術を失くした西田が寛いでいる中、通知音がしたスマホを開くと、菫がメッセージをよこしていた。
どうやら俺が外出中でないか心配したようで、自分は会社の後輩や先輩たちと飲み屋にいると報告してくれた。
「彼女?」
「ああ・・・。」
俺は在宅だし、菫が帰る頃には雨も収まっているだろうと返信して、キッチンへと向かった。
「西田ぁ、冷凍のチャーハン食う?」
「え?ああ・・・もう夕飯時か・・・いいよ俺まだお腹空いてないし。帰ってから食べるよ。」
「あっそ。俺は・・・・カップ麺でも食うか。」
常備していたインスタント麺を取り出すと、自分のグラスを持って西田は身を乗り出した。
「また不摂生してる大学生はっけ~~ん。」
「んだよ、おかん西田。」
「食材買い置きしてねぇの?なんかおかず作れそうなら、久しぶりに作ってやるよ。」
「うわ、ガチでおかん・・・」
「うっせ。雨宿りで居座らせてもらってるから、なんか作ってやろうかなって思った俺の厚意を~」
「はいはい、作れるもんなら適当にして。」
空のグラスにお茶を注いでやると、ぶつくさ言いながら西田は冷蔵庫を開け始めた。
食材の無さに悪態をついてくるのであしらって、テーブルについてまたスマホを眺めていると、包丁を持ちながら西田は言った。
「・・・彼女心配なの?迎えに行く?」
「いや、今は会社の連中と飲みに行ってるらしいから、帰る頃には止むだろうって話してた。」
「なるほどね。・・・じゃあなんでそんなスマホ眺めてソワソワしてんだよ・・・。」
「・・・いや、単純に会いたいなぁと思って。」
「・・・・・・ふふふ・・・・」
ゆっくり包丁を動かしながら、堪えるような笑みをこぼす西田を見た。
「んだよ・・・」
「いや、お前・・・自分で自分をどう思ってんのか知らねぇけど、えらい激変してるからな?つーか自分で恋人が出来るとか考えてなかったろ?」
「まぁな・・・。しょうがねぇだろ・・・色々察してるようなこと言うくせに、自分のことはちょっと抜けてて、若干心配なんだよ。」
「へぇ・・・ふふ・・・」
その後西田は、俺が存在を忘れていた冷凍庫に保存したままの鶏肉と、わずかに残っていたネギと卵、冷凍うどんを使って手早く月見うどんを拵えた。
作っていたら食べたくなったと、西田は自分の分も椀に入れて、二人して湯気の立つ麺を冷ましながら食べた。
「・・・お前はいつでも嫁に行けるレベル。」
「ふ・・・だろ?」
まだまだ雨音は激しく響いていて、さっきより雷はましになったようだけど、もう一度予報をチェックしても、数時間先まで傘マークがついていた。
西田 「ふぅ・・・雨止まないなぁ・・・」
「もう泊ってけば?」
熱々の鶏肉を頬張りながら言うと、西田は諦めたように息をついた。
「そうだなぁ・・・まぁ21時過ぎたら止むっぽいし、その後帰るよ。」
「・・・何謎に気ぃ遣ってんだよ。」
気だるく問いかけると、西田は何度目かのニヤっとした顔を浮かべた。
「別に気ぃ遣ってるとかじゃないよ。飲みから帰ってくる彼女迎えに行ったら?会いたいんだろ?それに・・・俺も寝る前とか、リサに電話したくなるし・・・」
「・・・・なるほど。・・・なんかお互い、女にうつつ抜かしてるみたいであれだな・・・」
「はは、そういう言い方するとそうだけど・・・。大事にしてるってことだろ?いいじゃん。咲夜も翔もそうだけど、彼女優先になって4人で遊ぶこと極端に無くなっても、別に俺らは『あいつら女出来た途端に~』とか一切思わなかったろ?」
「ああ、そもそも興味ないしな。」
西田は苦笑いを落として、食べ終わった後は適当に二人で動画を鑑賞していたけど、ちょいちょい惚気話をしてきてまぁまぁうざかった。
そのうち夜も更けてくると雨脚は弱まって、外は静かになってきた。
そろそろ帰ると立ち上がった西田を玄関まで見送ると、思い出したように言った。
「桐谷、彼女に『迎えに行くから連絡して』とか言っといた方が・・・」
西田のちょっとしたアドバイスの最中、置きっぱなしにしていたスマホがリビングで鳴った。
「電話じゃね?じゃあな。」
「おう、気ぃつけてな。」
西田を見送ってスマホを手に取ると、菫からの着信だった。
「もしもし」
「あ、ごめんね急にかけて・・・今大丈夫?」
「ああ、帰るとこか?」
「ええ、皆二次会したいみたいだけど、疲れたし私は帰ろうと思って。これから電車で帰るね。」
「ん・・・菫・・・」
迎えに行こうかと切り出そうとしたとき、電話口の向こうから男の声がした。
「菫、送ってくよ。あっちでタクシー拾うから。」
「はぁ・・・結構です、電車で帰ります。・・・雨止んでよかったわ。ありがとね、心配してくれて。」
「なんだ電話中か・・・つれないこと言ってねぇで、二人で飲み直すから遅くなるって言っとけよ。」
「・・・誰、そこにいんの」
「・・ごめん、上司。こないだ話した・・・」
「・・・断れねぇの?」
「何度も断ってるわ。とりあえず切るね、すぐ帰るから。」
「菫待て」
電話の向こうでその上司とやらが、乗り込むためのタクシーを停めている様子が音声で分かった。
「迎えに行くから場所教えて。」
「え・・・いいのよ駅すぐそこだから。・・・心配しないで、送り狼になんてさせないし、私も向こうも酔ってるわけじゃないの。」
「・・・酔ってねぇのに人の女平気で誘う奴の気が知れねぇな。じゃあ着く頃に連絡して、最寄りで待ってるから。」
「わかった、ありがとう。」
沸々と湧いてくる怒りを、スマホを握る手に込めた。
静寂のリビングで、スマホケースがみし・・・と音を立てる。
悶々とした気持ちを抱えているうちに、自分でも驚くほどイライラが増していった。
覚えたことの無い感覚。
淡々と穏やかな学生生活を送っていた俺に、明らかに波が生じてる。
寝室で連絡を待ちながら、余った花材を取り出して、パチンと音を響かせながら、精神統一するように一つ一つ生けた。
切った茎を見つめて、ゴミ箱に捨てるだけのそれを、もう一度手に取って鋭い鋏を当てがった。
見たこともない菫のセフレだった上司の、いちもつを切り落とすイメージで力を込めた。
パチン
さっき電話口から聞こえた短いやり取りだけでは、どういうつもりで誘っているのかは断定できないかもしれない。
けど俺には本能的にわかる。
久しぶりに西田に会って、ああ、女が出来たんだろうな、とわかったように
菫の上司は、築かれていた関係性を利用して、軽い気持ちで二人きりの飲みに誘い、そのまままた肉体関係を結ぼうとしている。
話口調や声のトーン、言葉遣い・・・伝わってくるわずかな雰囲気で、それは瞬時に俺に伝わった。
そして恐らく、菫もそれを感じ取った。
傍らに置いたスマホから通知音がして、もうすぐ最寄りに着く知らせを得た俺は、鋏を置いて鍵とスマホを持って家を出た。
生ぬるい外の空気も構わずに、鬱陶しい湿気た風になびく髪も構わずに、淡々と歩を進めて駅へ向かった。
異様なほど明るくて目障りなコンビニの灯りを通り過ぎて、自販機の前を通ると、湿った独特の匂いと人気のない改札口の有様が、今日ばかりはイライラする光景でしかなかった。
時々ぽつぽつと帰宅するために降り立った人たちが、改札口を一様に疲れた表情をして通り過ぎていく。
駅前の歩道の柵に腰を掛けて、睨むようにぼんやり明るい奥の階段を眺めた。
早く俺の菫を返せよ。
駄々をこねる子供のような気分で、そう思っていた。
俯いて彼女を待ちながら、ヒールの音が聞こえる度に、違う・・・違う・・・と彼女の靴音を探した。
すると次に耳に入った音にパッと顔を上げれば、遠くの方でスーツ姿の菫が見えた。
だんだんとこちらに歩いてくる彼女をじっと見据えたまま、大人しく待っていると、改札を抜ける前に彼女も俺に気付いて、さっと手を振ってくれた。
慣れたリズムでヒールの音を立てて歩きながら、やがて小走りに俺の元へ走り寄った。
「春!ありがとう、お待たせ。」
自然と頬が緩んで、さっきまで胸の中でこれから人でも殺しに行くのかという程、抱えてた黒い物が解けた。
「おかえり・・・」
「ふふ・・・」
目を細めて笑う表情が愛おしくて、思わず両手を添えてキスした。
ほんのわずかなキスに、彼女は目を丸くして、抱きしめる俺に抵抗することなく固まった。
「・・・そんなに心配かけちゃった・・・?ごめんね?」
「・・・別にいい。」
「・・・・・皆浮かれてたわ。前夜祭だって・・・。私もドキドキしてるの・・・たくさんの人を前に、あのワンピースをお披露目するんだもん・・・。」
「そっか・・・。」
腕を解くと、彼女は安心したように微笑んで俺の手を取った。
「ね、春・・・明日も早いんだけどね?・・・・でも一緒にいたいの・・・。うちに泊ってくれる?」
「ん・・・。」
彼女が目の前にいてくれるなら、考えていたことなんて、取るに足らないことでしかない。