第49話
ベランダのミニトマトに水やりをして、スマホから流れる音楽を小さ目の音量で聞かせていると、彼女がシャワーから戻って来た。
「どう?何か違いが出てる?」
「ん~・・・若干葉の大きさに違いがあるように思うけど・・・これくらいはまだ誤差だな・・・。けど実が付くスピードは、手をかけた方が早いかもしれない・・・。」
「へぇ・・・」
同じく側にしゃがみこんで、藤川さんは興味津々にトマトを見つめた。
あれから結構な日数が経過して、茎も立派に伸び、緑色の小さな実をつけ始めていた。
「ふふ、完全無農薬のトマトね。どんな味がするのかな。」
「・・・あんまり期待は出来ないぞ。そこまでいい土で育ててるわけじゃないし、味を重視させようと思うと、ある程度間引きしないとダメだからな。」
「そっかぁ・・・。子供頃にさ、学校で観察しながら育てた後、おうちに持って帰って、ミニトマト育てたりしたのよね。でも肝心の味がどうだったかっていうのは・・・全然記憶に残ってないの。」
「・・・まぁ・・・美味しくなかったからじゃないか?」
「ふふ、そうなのかなぁ。」
俺が貸したTシャツと半パンを着た彼女が、またニッコリ俺を見つめてきたので、そっとキスして窓を閉めた。
愛おしいとか可愛いとか、尊さやありがたさを、植物や作品に抱くことがあっても、人間に対して強く思うことがなかった。
もちろん以前彼女が俺に言ったように、家族や友人に対して、ありがたさを感じていることはある。
けれどそれとは違う恋愛感情というものが、そもそも自分にあったことに驚きだし、生け花の大会に出て、先生の興味を引こうとしていたあの時以来の、衝動や高揚感を持て余していた。
悶々としながらシャワーを浴びて、浴室を出た後、着替えてドライヤーを持つと、また少し西田のことを思い出した。
心の中で俺はまだ、西田に対して罪悪感を持ち、後悔している。
結局適当に乾かしてリビングに戻り、またソファに腰かけると、藤川さんはそっと俺の髪の毛に触れた。
「・・・綺麗なグレーね・・・。」
ポツリとそうこぼすと、ハッとしてじっと俺を凝視した。
「なに?」
「・・・・私メンズの洋服はあんまり作ったことないんだけど・・・今ちょっとインスピレーション湧いたかも・・・。ん~・・・あ~~んどうしよう、メジャーを持ってくればよかったなぁ。」
「メジャー・・・採寸で使うのか?」
「そうよ、桐谷さん持ってたりする?」
「・・・あったような気もするな・・・」
立ち上がって寝室に入り、うろ覚えのまま箪笥を開け閉めした。
同じく彼女が側に寄って、あちこち漁る俺を見下ろす。
「あ~あった。」
一人暮らしをする際に、母から持たされた裁縫道具が入った入れ物に、何故かメジャーも一緒に入っていた。
「ありがとう。」
「・・・で?何を計ろうと・・・」
「桐谷さん、脱いでもらっていい?」
「・・・・え、俺を採寸すんのか。」
「そうよ?だって似合いそうなデザインを思いついたんだもん。貴方が着れるものなんだから、計らないと型紙作れないわ。」
至って真剣な彼女に言い返すことも出来ず、渋々Tシャツを脱いだ。
「・・・下も脱いでくれなきゃ困るわよ?」
「・・・ああ・・・はい・・・」
若干恥ずかしさを覚えながらスエットを脱ぎながら尋ねた。
「・・・休暇が長い大学生と違って、藤川さんは忙しいと思うんだけど、仕事と関係ないもの作る時間取れたりすんの?」
「そうねぇ・・・。ハッキリ言って作るっていう工程にいけるかまでは考えてないわ。帰ったらデザインをおこして描いてみるの。けど桐谷さんの体の大きさとかを鑑みて、デザインを変更することも大いにあり得るから、最初に採寸しておかないと結局困るの。」
「なるほど・・・」
そこまで会話すると、裸同然になった俺を前に、彼女は手早くメジャーを引いて当てがって、ぶつぶつと長さを記憶するように呟いて、スマホを片手に数字を打ち込み、俺の背中に回って次々採寸していった。
「・・・ふぅ・・・これでよし・・・。桐谷さんスタイルがいいから、思ったよりズボンの丈が長くなりそうね・・・。あ・・ごめんね?寒かった?」
「いや、寒くはねぇけど・・・。」
藤川さんは床に置いた俺のTシャツとスエットを拾い上げる。
エアコンのスイッチを入れて、服を差し出す彼女をじっと眺めた。
「・・・なあに?」
「・・・どうせ脱ぐだろ?・・・それともそういうつもりない?」
「え・・・あ・・・えっと・・」
「ふ・・・改めて恥ずかしがられても困るんだけど・・・」
スタスタとリビングに置いたコンビニ袋を持って戻ると、彼女は大人しく正座して、脱いだ俺の服を丁寧に畳んでいた。
ベッドに腰かけて、片方の足を持ち上げて座った。
「あのさ、言っておくことがあんだけど・・・」
「・・・なあに?」
「俺童貞だけどいい?」
藤川さんは特に表情を変えずに少し黙って、いつもの柔らかい笑みを見せた。
「そうなの?いいも悪いも特にないと思うわ。」
「そ・・・。・・・・ずっと考えてた。」
「・・・何を?」
「・・・誰かと付き合うっていう経験がなかったから、当たり前のことも知らないし、人づてに聞くようなことがあっても、興味がないから「普通」が何なのかわからない。もちろん藤川さんが、人に対して自分の「普通」を強要するような人だとは思ってない。けど俺はたぶん・・・自分の愛情や気持ちに鈍感だったり、言わなきゃ伝わらないことを言葉にするのも苦手だ。今までそれが誰かに迷惑かかる程のことはなかったにしろ、恋人である藤川さんがどう思うのかはわからないし、きっと・・・俺は・・・ガッカリされるのが怖いんだと思う。」
そこまで話すと、彼女は相変わらず微笑んだまま頷いた。
「そうなのね。・・・十分言葉に出来てると思うな。・・・大丈夫よ、私そこまで察しが悪い女じゃないから。それに・・・お互い表現したものに惹かれ合ったでしょ?」
「・・・ああ。」
「ふふ・・・だから平気よ?ちゃんとわかってる。今日わかったことはね・・・桐谷さんはドライヤーが嫌いってことかな。」
俺も彼女も、永遠を望むような恋をしないだろうと思った。
藤川さんはそっと隣に腰かけて俺の手を握る。
「・・・穏やかな気持ちと、ドキドキする気持ちが混ざってるの。」
「ふぅん・・・。」
「・・・桐谷さんが、私のことを女としてより、人として好きになってくれたことが嬉しい。」
「・・・女性としての好きが・・・俺にはまだよくわかってないからな。」
「ふふ・・・そうなのね。貴方のそういうところも好きよ。」
「・・・名前で呼ばないの。」
「え?」
「・・・だからぁ・・・。・・・・呼んでいい?」
彼女の陶器のように透き通った白い肌を、スッとなぞるように触れた。
するとまた薄桃色の綺麗な唇がニコリと動く。
「春くん?」
「・・・春でいいし。」
「じゃあ春・・・。私も呼んで?」
「・・・菫・・・。」
俺が名前を呼ぶと、彼女は恥ずかし気に俯いて、長い髪を耳にかける。
なかなか視線を合わせなくなった彼女に、半ば強引にキスして抱きしめた。
そのまま細い体をベッドに横たえて、お互い求め合うままに夜は更けていった。