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第44話

盆に差し掛かろうとしていた頃、休みの期間に入る直前のバイトに来ていた。

店長は営業先や知り合いの伝手で、盆明けのフラワーアレンジメント教室に来てもらえる生徒を、定員いっぱいまで確保出来たと喜んでいた。

盆休みの期間は、教室の準備に明け暮れることになるみたいだが、俺が協力できるのは教える側として来た人たちを見るくらいなもんだ。

生け花教室とはわけが違うし、ゆるく楽しめる程度でいいだろう。


そんなことを考えながら、その日も閉店準備のため、店前の花を片付けていた。

まぁまぁ遅い時間帯だが、目の前を仕事帰りであろうスーツ姿の人たちが行き交う。

ふと藤川さんのことを思い出すものだが、あの日彼女を家に招いた時、一応連絡先は交換したものの、それから特にどちらからもメッセージをやり取りすることはなかった。


今頃会社に出す祭典のために、洋服の試作に奮闘しているんだろう。


彼女は俺が衝動的に生けたスミレに、感銘を受けていたようだった。

同じく服が出来たら見せると言ってくれたが、果たして俺が見たところで、良さや解釈を受け取れるもんだろうか。

けど彼女は恐らく、生け花未経験者でありながら、俺が作った物からインスピレーションを受けたようだったし、畑が違う芸術作品でも、感性が似ているなら通じるものは少なからずあるだろう。


時田桜花がそうだったように、伝えたい意図を作品で表現出来る者は、自作したものの中にあらゆる意味を含んでいたりする。

かの有名なレオナルドダヴィンチは、「最後の晩餐」の中に、レクイエムと思わしき音符の並びを仕込んでいた。

何百年という歳月を経ても、人々に可能性と憶測を引き立て、話題にさせるというのは策士というより、俺からしたら変態だ。

そして時田先生も、そんな変態の域に達する芸術家に思えた。


花はいくつもの花言葉があり、意味を持つ。

誰が定めたか、様々な由来を持って、時にその花の名前よりも深く、イメージを植え付けていたりもする。

例えばクローバーの葉は、そもそも花ではないが、葉っぱの数で意味が変わる。

幸福から復讐まで、あの可愛らしい植物に何故そう思わせようとしたかわからないような、千差万別に意味を持たされている。

先生はそのクローバーを、有名な施設の庭のデザインを依頼された際に使っていた。

空間を彩る生け花を窓ガラスの内側である屋内に展示し、そのすぐ向かいの庭、花壇にいくつか花を敷き詰め、同時にクローバーを植えた。

生け花を見つめるように、復讐の意味を持つクローバーだけを。

彼はまるで庭を舞台として、花たちを役者としてそこに物語を作った。

今にも動き出しそうな躍動感溢れる生け花は、果たして優雅に何も知らずに舞う姿なのか、はたまた復讐を恐れて身を翻し、逃げ惑う姿なのか・・・

ニュースで報道されて、悠々とインタビューを受けながら、完成した庭を披露し解説していた先生は、何の意図もなく爽やかに質問するインタビュアーに、施設の完成を喜ぶコメントをそつなく返していた。

その時存分と庭の様子は撮影されていたが、チラリと映った敷き詰められたクローバーの意味に、気付いた者はそう多くなかっただろう。


俺は最後に彼の花展で話した18歳の時、短い会話の中でその庭について質問した。


「・・・あの庭にあったクローバーは、復讐を果たしたんですか?」


その時の先生の表情を、今でも鮮明に覚えている。

堪えるようにわずかに口元を震わせて、ニヤリと持ち上がったかと思うと、またスッと何でもない無表情に戻って、貼り付けた微笑みを俺に返した。


『あれは復讐ですらなかったんだよ。むしろプレゼントだった。』


その言葉の意味を、俺はまだわかりはしないが、先生はとても楽しそうだった。


時田桜花は、花展を開いたり世界で活躍するニュース意外にも、尾ひれがついたようなスキャンダルを騒がれることも多く、根も葉もない噂や、想像しえないことまで色んなことを囁かれている。

けれど先生がそれを気にしている様子を語った物は一つもなく、彼はいつ何時でも飄々とした人物だったのだろう。


学祭まで2カ月と少し。

日々花を生けて練習しながら、あれ以上のものを作ろうとイメージを固めつつあった。

迷走してゴチャゴチャしたものを作るのは本末転倒だが、細かい部分を修正して、より洗練されたものに近づける微調整は、今からでも十分に出来る。


図書館に呼び出されて出会った須藤さんは、手の届かない才能相手にどう努力するかと尋ねた。

俺は生け花に関して努力したことなどなく、ただただ表現が楽しいのと同時に、対話したい先生とのコミュニケーション手段だった。

人間誰もが自分の人格と経験に沿って、自分中心でしか作り上げられない世界で表現するものだが、時田桜花はまるで何人もの人間が存在しているような、常に別々の表現を華道で出来る人だ。

それは先生独自のものであり、追い付こうとか張り合おうとか、陸上競技のような話じゃない。

何を考え何を隠しているかもわからない人間に対し、俺は追い付こうなどと思わない。

ただコンタクトを取っていただけだ。

須藤さんは俺に対して、類稀なる才能の持ち主、と表現した。

俺は自分が出来る表現を才能と要約するには妙だと思うし、時田桜花にすらそう思っている。


彼が有名なのは表現力を気に入った者が、彼とビジネスをしようと考え、それがたまたま大きな会社だったからで、名前が上がり始めて話題になっているから、それに便乗しようとまたいくつものクリエイターたちが彼に興味を持つ。

相乗効果で時田桜花は有名人になった。

そして彼に起きた事の小さなことが、俺にも起こっていたんだろう。ただそれだけのことだ。

手が届かない存在だと思ってしまえば、皆報道されるメディアに偉大なるものを勝手に感じて、別世界の人間なのだと思うだろう。

ある意味感性の共有が難しいと捉えれば、彼は別世界の人間だろうが・・・。


本来感覚の共有というのはとても面白いもので、時田先生と俺が作品で対話していたように、わかる人にしかわからないやり取りというものは、ワクワクするものだ。

藤川さんも恐らく、俺のスミレに対して同じものを感じた。

まるでお互いだけが秘密で決めた暗号を使って、文章をやり取りするように。


俺が内心彼女の作品を楽しみにしているのは、言うまでもない。


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