第41話
書物の匂いが涼しい風に運ばれて、遠くの方では幼い子たちが、紙芝居を求めて集まる声が聞こえた。
「時田桜花・・・?何故彼が桐谷くんに?」
「・・・こっちが聞きたいですよ・・・。」
「以前から面識が?」
「・・・そこまでではないです。少し話したことがある、というくらいで。」
須藤さんはまたじっと睨むように俺を見据えて、また静かに口を開いた。
「・・・そうか。大方時田先生を呼ぶためのダシに、君を利用しようと考えたんだろう。理事長も浅はかなことだ。」
「まぁ・・・巻き込まれたつもりはないんで・・・。俺も先生に聞きたい事はあるし、利害の一致かなと。」
「ふん・・・そうか。まぁそれ以上は私も踏み入って知る必要性はないだろう。時間を使わせてしまって申し訳なかった。」
須藤さんは立ち上がると、丁寧に腰を折った。
「いえ・・・もういいんですね?」
「・・・個人的に聞きたい事があるとすれば・・・。小鳥遊から聞いたが、私が以前広報部の展示の際、華道部部長として出した生け花を映像で見ただろう?是非桐谷くんの感想を聞きたい。」
「え・・・・・・・え~~~っと・・・・」
覚えてはいる・・・なんか酷い出来だったあれだ・・・
「・・・・強いて言うなら、愚直?・・・ですかね。」
須藤さんは拍子抜けした表情を返して、次第に落胆したように眉を下げた。
「そうか・・・。まぁ君の足元にも及ばないだろうしな。色々質問を重ねて悪かった。学祭の日は是非、桐谷くんの生け花を拝見させてもらうよ。」
「・・・はい。」
そう言って彼は背を向けて図書館の出口へと歩いて行った。
自宅に帰ってみると、ネット注文していた家庭菜園用の土や色々が届いていた。
以前から試そうと思っていたことを実践するため、さっそくミニトマトの苗を土を敷き詰めたプランターに植えてみた。
小さなプランターにもう一つ同じものを植えて、両方に水と液肥をやり、一方には側に座ってスマホを向けた。
「野菜にはロックがいいらしいな・・・。トマトに向いてるものは知らないけど、洋楽から聞かせてみるか。」
ベランダにしゃがみ込み、小さ目の音で音楽を流す。
日当たりはいいし、水も液肥も同じ条件でありながら、どれ程育ちに差が出るのか興味深い。
「・・・大きくなれよ。・・・いや、ミニトマトだから小さくていいのか・・・。え~っと・・・・愛情持って話しかけるって何話せばいいんだ?・・・・まぁでも植物は生き物だからなぁ・・・ペットだと思えばいいのか・・・?」
それから適当なことを話しかけた。
生き物だと考えると、試してみたいという軽はずみな気持ちで、育て方に優劣をつけるのも忍びないが・・・
花で試すより、せめて育てやすい野菜にしたのは、罪悪感を避けるまでなのは言うまでもない。
「・・・あまりに差が出て、心が折れたら途中でやめることにするか・・・。」
リビングへ戻って自分も水分補給していると、テーブルに置きっぱなしになっていたスマホから通知音が鳴った。
西田からのメッセージが届いていて、そこにはシンプルに「明日暇?」と書かれていた。
昼から夕方までバイトだと返信すると、「じゃあ飲みに行こう」と返ってきた。
了承する旨を送ると、終わる頃に西田がバイト先に迎えに来ることになった。
翌日、台風が発生する時期に入ったせいか、尋常じゃない蒸し暑さを感じた。
植物たちに囲まれた店内は空調も効いているし、マイナスイオンすら浴びている気分だが、陽炎が立つ店外を歩く人々が、皆つらそうに歩いていくのが見える。
時期的なこともあって、仏花を購入していく人もそれなりにいるが、近くのカフェには人が流れているだろうが、花屋にわざわざ暑い中立ち寄る人は少ない。
その日も他のスタッフや店長と、厳しい暑さの中配達に行くのも大変だとか、なかなかお客も来ないだとか、グダを巻くように会話していた。
お客も少ないので、家で練習する時用の花材を見繕っていると、店長がバックヤードから顔を出して言った。
「ねぇねぇ桐谷くん、夏休みでお客も少ないしさぁ、2階でフラワーアレンジメント教室でもやるのはどうかなぁって思うんだけど・・・桐谷くん先生やってくれたりする?」
「・・・あ~・・・」
なるほど・・・長期休暇だと子供も大人も来やすいし、花屋としては稼ぎの一端になるか。
「まぁ、店番が他の人に任せられて俺が暇になるなら、もちろんやります。」
快諾すると店長は意気揚々と盆明けからの教室を、3、4日程計画して俺のシフトとして入れた。
やがて西日が降りてきて外がオレンジ色に変わってきた頃、店外の花に水をやり、傷んだものを抜き取っていると、ふとコツコツと聞き覚えある靴音がして顔を上げた。
「ふふ、桐谷さんお疲れ様。」
「・・・どうも、お疲れ様です。今日はお早いですね。」
いつものスーツ姿の彼女は、大き目の鞄を肩にかけてハンカチで額の汗を拭った。
「はぁ・・・ええ、今日は取引先から直帰なの。久しぶりに早く帰れるのはいいけど・・・今頃の時間に帰宅するとこんなに暑いのね・・・。」
「そうですね、熱中症に注意してください。」
「うん、飲み物は常時携帯してるわ。」
エプロンの汚れを払って軍手を脱ぐと、藤川さんは小さ目の水筒を取り出した。
「桐谷さん、お茶飲む?」
コップ部分を開ける彼女に、少し驚いた表情を返したが、藤川さんは何でもない様子で見つめ返す。
「いえ・・・大丈夫ですよ。店に自分の飲み物はあるので、お気遣いありがとうございます。」
「そう?この間も仕事帰りにお水いただいて、気を遣わせちゃったから・・・」
「あぁ・・・まぁ・・・。しおれてるのを見たら、とりあえず乾かないように水はあげたくなるじゃないですか。」
「・・・ふふ!そっか。・・・でもおかげさまでもうしおれてはないわ。」
少し自信を取り戻したような彼女は、自分のお茶を一口飲んで水筒を仕舞った。
「・・・桐谷。」
その時ふと声をかけられて目を向けると、俺のバイト終わりを待つために迎えに来た西田がいた。
「おう、おつかれ。」
「ん。ちょっと来るの早かったか。」
西田は藤川さんにチラリと視線を向けて、彼女は「それじゃあね」と帰って行った。
「・・・常連さん?」
「ああ、そうだな。待ってろ、もうやること済んでるし上がるから。」
そそくさと店内へ戻ってタイムカードを切り、帰り支度を済ませて店の前に戻った。
「・・・で?どこに飲みに行く?」
「そこまで混まないとこ調べといた。行こ。」
西田は任せとけばだいたいのことの段取り決めてくれるので、俺は後に続いて歩いて行った。
俺はあてどなく彷徨って適当な店を決めることもあるけど、西田はいつも通り気遣いが過ぎるもので、事前に決めておくのが当たり前なんだろう。
他愛ない雑談をしながら隣を歩いて、やはりほんの少しだけ周りから目を引く西田は、いつもの調子で変わりなく、何かに思い悩んでるわけでもなさそうだ。
突然誘われた理由はもちろん尋ねるつもりでいるけど、特に何も理由もなく飲みに行きたくて誘った、という気兼ねない行為だとしたら、少し成長を思わせる。
二人で飲みに行くのはあの時以来だ・・・