表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/68

第39話

体が少し暑さに慣れてきた頃、いつものように閉店前の片づけをしていた。

店外へ一歩出れば、暑い空気が肺へ流れ込む。

夜が更けてもあまりましにならず、表に置いた花を抱えて回収しながらいると汗が滲む。

ふぅと息をつくと、少し遠くの方で何かが弾けるような鈍い音がした。

なんだと思って立ち上がると、トボトボと足取り重く店に歩いてくる藤川さんが目に入った。


「・・・こんばんは。」


俺が先に声をかけると、彼女は俯いた視線をパッと上げて、驚いたように見つめ返す。


「あ・・・こんばんは。」


苦笑いを向けて、また遠くから聞こえる鈍い音に二人して振り返る。


「・・・どこかで花火上がってるみたいね・・・。」


「ああ・・・花火か・・・。」


「はぁ・・・無意識に足が向いて来ちゃった・・・。はぁ・・・」


藤川さんは疲労と落ち込んだ様子を隠して笑うことも出来ないようで、何度もため息をついた。


「お仕事お疲れ様です。お水くらいなら出せますけど、中で涼んでいきますか?」


「・・・え・・・ああ・・・・そうね・・・。」


言われるがまま呟いて、彼女は俺に続いて店内へ入った。

水をコップに注いで持って行くと、彼女はカウンターの前でボーっとサボテンを眺めていた。


「・・・大丈夫ですか?」


「・・・ええ、平気。」


コップを受け取りながら、彼女はやっと落ち着いたように口元を緩ませた。

バックヤードからパイプ椅子を持ってきて、彼女の側へ置いた。

飲み終わったグラスをじっと見つめて、藤川さんは心ここに在らずの状態だ。


「藤川さん、どうぞ。」


「へ?・・・ああ・・・ごめんなさい気を遣わせて・・・。」


ゆっくり腰を下ろす彼女からグラスを受け取り、また店外へと花を仕舞う作業に戻った。

その後掃除をしてレジを締めている間も、藤川さんは終始ボーっと花を眺めていたり、スマホを見てはため息をついていた。

閉店作業を終えて、店の隅に置いていた花を一輪取る。


「藤川さん」


名前を呼ばれると、彼女は目の前の俺にゆっくり視線を返した。


「先日話していたお礼を約束していた件・・・この花でもいいですか?」


紫のスミレを差し出すと、少し生気が戻った目をして受け取った。


「ありがとう・・・。いただくわ。」


藤川さんは優しくスミレを持ちながら、小さく口を開いて話し始めた。


「私ね・・・自分は特別だと思ってたの。・・・これでも高校でも大学でも、デザインに関しては優秀な成績を上げてたし・・・賞を獲ったこともあったの。一流企業に就職出来て、万々歳だと思ってたんだけど・・・いざ入社してみたら優秀な人なんてゴロゴロいて・・・よくある話よね。井の中の蛙ってやつで・・・。スミレの花言葉は、「謙虚」ってあるくらいなのに、私には欠片も無くて、社会の波にもまれて、周りについて行くのやっとで・・・。私は私にしか作れない服があるんだって思い続けてたのに、私より求められている人はたくさんいて・・・足元にも及ばないの。もう入社して3年目なのに、何にも成果出せなくて・・・。こんな風に残業帰りに花屋さんに立ち寄って、大学生の男の子に愚痴をこぼしてる・・・情けない人間なの・・・。」


「・・・そうですか。」


「ごめんなさい・・・忘れて。」


「・・・藤川さん、そのスミレ・・・差し上げますけど、一旦預かってもいいですか?」


「え・・・?ええ・・・どうぞ。」


翌日、持ち帰ったスミレを水切りして、適当な長さに切った。

ひびが入って、割れてはいないけど使えなくなったグラスを、食器棚から取り出す。

寝室で余っていた花材を見比べて選別し、小さく収まるように生けていった。


藤川さんが何に悩み、苦戦しているのかはわからない。

恐らく俺が詮索して聞いてみたところで、専門職だしわからないだろう。

俺はただ、彼女にスミレという花がどういうものか、見せてやりたいと思った。


「ふぅ・・・」


短時間で出来上がって、写真を撮る。

落ち込んだ彼女に連絡先を聞くことは忘れていたので、次に店に来た時見せることにした。

日持ちする工夫はしているけど、何日か経って渡せなくなったらまた作り直すか。


そんなことを思いながらその翌日、週末で藤川さんは立ち寄ることないだとうと思ったいたが、いつもの閉店間際になって、彼女は現れた。


「お疲れ様、桐谷さん。」


「・・・どうも。今日もお仕事ですか?」


「ううん、今日はお休みで、久しぶりに友達とご飯を食べに行ってたの。でも預けたスミレのこと思い出して、気になっちゃって・・・」


昨日より少し元気そうな彼女は、外に並んだ花たちを眺めながら言った。


「そうですか・・・。写真でしかないんですけど、見てほしいものがあります。」


「え?・・・ええ。」


スマホを持って戻り、いつもと違う私服姿の彼女に、画面を見せた。


「生花正風体という様式の生け花です。家にある物で作ってみました。」


藤川さんはそっとスマホを手に取って、食い入るように見つめていた。


「これ・・・昨日のスミレ?」


「はい。お気に召したならそのまま差し上げます。日持ちするようにはしてますが・・・」


「桐谷さん!」


突然声を上げて血相変えた彼女は、スマホを返しながら続けた。


「お願い!今これが家にあるならすぐに見せてほしい。うちに行ってもいい?」


「・・・・え・・・っと、今からですか?」


「うん、お願い。どうしてもこの目でちゃんと見たいから。」


睨むように力強く向けられた目に、断ることも出来ず、閉店作業が終わるまで待ってもらい、その後一緒に自宅へと帰った。

適当な会話をすることもなく、彼女は淡々と俺について歩いて、やがてマンションに着いて二人してリビングへと上がった。


「寝室にあるんで持ってきますね。」


彼女は静かに頷いてソファに腰かけた。

真夏なので湿気ないように気を付けて保管していたそれを、そっと持ち上げて彼女の前に置いた。

藤川さんは息を飲むようにじっと見つめて、色んな角度からまるで鑑定でもするかのように眺めた。


「・・・すごい・・・。桐谷さん、貴方本当に生け花は趣味で・・・?」


「・・・・え~・・・と・・・どうですかね・・・。」


「もしかして大学生と華道家で二足の草鞋だったりする?」


「いえ・・・まさか。」


「・・・ごめんなさい個人的なこと聞いて・・・。でもこの生け花を見るだけで充分わかる。これは趣味でやってる人が作れるものじゃない。ましてや華道部に所属してる学生が作るものにも見えない・・・。ねぇ、どうしてこれを?」


「・・・スミレは日本だとどこにでも咲いてる花です。春の花ではありますけど、夏に咲いてるものもあります。紫色のものが原種で、日本には50種類以上自生してます。藤川さんがおっしゃった通り、花言葉は「謙虚」。他には「誠実」「小さな幸せ」とかあります。街中にも咲いてるし、山岳地帯に咲いていることもあります。」


「・・・ええ、そうね・・・」


いまいちピンと来ていない表情をする彼女の隣に、そっと腰かける。


「スミレ自体の奥底にある魅力を引き出したくて作りました。それを知ってほしくて、俺の勝手で作ったんです。俺の解釈で、俺が作れるものの限界値です。幼い頃から生け花をやってはいましたけど、俺は自分の為だけに生けてきたんです。自由な発想で自己表現することだけの目的で、華道はその手段だったんです。けど今は、花の一つ一つの魅力を理解したくて生けているんだろうと思います。人間相手に感情表現するのは苦手なので、自分が作って藤川さんに見せられるものがあるならこれかな、と。」


藤川さんは俺の顔を見つめたまま、次第に涙をにじませて俯いた。


「・・・ありがとう。桐谷さんが作ったこの写真見て・・・私何かを掴めるような気がしたの。」


「・・・インスピレーション湧いたんですね。」


「うん・・・貰ってもいい?大事にする。」


「ええ、どうぞ。元よりそのつもりなので。」


「・・・桐谷さん、私今会社の大きな祭典のために、自分でデザインしたワンピースを作ろうとしてる段階なの。出来上がったら見てもらっていい?」


「わかりました。その時は俺も藤川さんのお宅に伺います。」


「うん、歩いて行ける距離だもんね。」


彼女はそう言って屈託ない笑みを浮かべた。


「・・・普通はそこまで親しくない異性を家に入れるのは、よろしくないと思いますよ。家に上がってもらっといてあれですけど・・・。」


お茶を淹れようと立ち上がると、彼女がクスクス笑う声が聞こえた。


「ふふ、何か間違いが起こるなんて思ってないもの。桐谷さんはそんな人じゃない気がしたから。」


「そっすか。」


お茶を準備している間も、藤川さんはずっと大事そうにスミレを見つめていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ