第37話
店仕舞いをしてバイト先を出て、待ってくれていた藤川さんと合流した。
「お待たせしました。」
「いいえ。どこに食べに行きたいか決まってる?」
隣を歩く彼女のに歩幅を合わせながらスマホを開いた。
「近場がいいですよね。それか・・・ご自宅の近くとか。」
「そうねぇ・・・。明日土曜日だけど、桐谷さん遅くなっても大丈夫?」
「はい。休みですしバイトもないので。」
「良かった、私も休み。だったら~・・・お酒は大丈夫?」
「ええ、人並みに。」
「じゃあ自宅の最寄り駅近くに飲み屋さんが出来てて、ちょっと気になってたけど行けてなかったの。良かったらそこにしない?」
「わかりました。」
こ洒落た店は開いていても予約が必要だろうし、適当なファミレスだと失礼かもしれないし、決めあぐねていたから彼女の提案に乗った。
駅まで向かう途中、藤川さんは何気なしに言った。
「前に会った時から何日か経ってたから、もう私のこと忘れちゃってるかなぁと思ってたの。」
「・・・何度か忘れててすみません。」
「え?ううん、別に嫌味を言ってるわけじゃないの。」
慌ててかぶりを振る彼女は、長い髪を耳にかけて笑った。
やがて駅に着いて電車に乗り、乗客も少ない空いた席に座っていると、藤川さんは隣でウトウトし始めていた。
寝てしまう前に下車する駅を聞くと、またシャキッとした態勢を取り戻すものの、ほんの数十秒後、彼女は寝入って俺に頭を預けてしまった。
奇しくも俺の自宅の最寄り駅と同じだったので、まぁいいかと思いながらそのまま寝かせておいた。
そのうち電車は静かに目的地へと近づく。
彼女を揺り起こすと、薄っすら目を開けてまたハッと頭を上げた。
無事に二人して下車して、改札を出ると彼女は言った。
「すぐ近くなの、こっちよ。」
「藤川さん」
先を歩く彼女を呼び止める。
「また今度にしましょうか、だいぶお疲れみたいですし。いきなり二人きりで飲むっていうのも、あれかなと思うので・・・。以前いただいたみたいに、差し入れになるようなもの何かお渡しします。」
「・・・・そうね・・・。ごめんね、誘っておいて寝ちゃって・・・。」
「いえ、誘ったのは俺なんで・・・。送りますよ、もう遅いですし。」
すると彼女はニヤっと口元を持ち上げて俺の側に寄った。
「あれ?二人っきりで飲むのはあれかなって思うのに、おうちまでは送るの?」
「あぁ・・・まぁ・・・でも下心一ミリもないんで・・・。」
俺がそう言うと彼女はクスクス笑った。
「ふふ、そうなのね。でもそうね・・・こないだ桐谷さんをタクシーで送った時、私はおうち知っちゃってるし、私も送ってもらおうかな。」
それから二人で歩きながら、他愛ない話をした。
桐谷 「まさか偶然同じ最寄りとは・・・」
「そうよね。こないだね、得意先にあの洋菓子店のお菓子を持って行こうとしてたの。」
「そうだったんですか。あそこは知らなかったです。無類の甘党ではあるんですけど・・・。」
「そうなんだぁ。私はねぇ、実は甘い物はそんなになの・・・。でも人が喜んで美味しそうに食べてるの見ると、私も食べるんだけど。」
そう言われてふと翔のことを思い出す。
「まぁ・・・わかる気はします。」
「ふふ・・・。そういえば・・・どうして今度はちゃんと名前覚えててくれたの?」
「・・・藤も菫も春の花の名前なんで・・・」
「ふふ、そっかぁ、さすが花屋さんね。桐谷さんは・・・下の名前聞いちゃダメ?」
「・・・いいですよ、簡単な名前なんで、きっと適当に考えたら当たりますよ。」
「ええ?そうなの?え~・・・?ヒントはないの?」
ワクワクした様子で俺を見上げる彼女に、俺は念のため保険をと思った。
「・・・名刺をくれるならヒントあげますよ。」
「オッケー。・・・どうぞ。」
彼女は手早く名刺入れを取り出して手渡した。
そこには言われた通りの名前、以前話していた通り服飾デザイナーである肩書と、まぁまぁ大手の会社名が書かれていた。
「・・・どうも。・・・春夏秋冬、どれか一文字の名前です。」
俺がそう言うと、彼女は歩きながらじっと足元を見つめて、また俺を見上げて言った。
「じゃあ・・・春。」
「ふ・・・まぁ当たりますよね。」
俺が答えると、藤川さんはまるで、ゆっくり蕾が花開くように柔らかい笑顔を見せた。
「だったらいいなと思ったの。ふふ・・・私とことんお花屋さんの桐谷さんと縁があるわね。」
「まぁ・・・春と秋以外は一文字で名前のパターン少ないですから、2分の1ですしね。」
「違うよ、私が春の名前だから縁があるねって言ったの。」
「・・・わかってますよ。」
「お友達は皆名前で呼ぶの?」
「いえ、俺の名前知ってる人は少数ですかね。」
「へぇ、どうして?」
「どうして・・・・」
そういえば考えたことがなかった。
問われれば素直に答えているし、覚えているけどあえて呼んでない人もいるだろう。
親しい3人も全員苗字で呼んでいる。
西田のように名前がコンプレックスだから、という理由なら呼ばれないのもわかるが・・・。
「そもそも今まで友達が少なかったというのと・・・。両親以外は皆何故か苗字で呼んでますね。」
「ふぅん・・・そう。」
それからは黙って歩いて、やがて彼女は足を止めた。
「ここよ、ありがとう送ってくれて。」
「いえ・・・」
何か言いたげにも見える彼女を見下ろして、ふと気が付いた。
「あ、連絡先聞いてもいいですか。」
「・・・ああ・・・お礼なら気にしなくてもいいのよ?タクシーでほんのちょっと送っただけだし。今日こうやってわざわざ送ってくれたから結構よ。」
そう言う彼女をじっと見つめ返すと、藤川さんは不思議そうに小首を傾げた。
「・・・すみません、俺自身女性とやり取りが上手くないので、推し量れないことが多いんです。迷惑だから聞かないでほしいという意味なら、そう言ってもらえるとありがたいです。たまたま行くようになった花屋の店員に、何も気を遣う必要ないので。」
すると彼女は少し考えるように視線を逸らせて、苦笑いを落とした。
「ん~・・・何でもかんでも正直に自分の気持ちをいうのは、相手に失礼でしょう?」
「まぁそれはそうですね。・・・けどもし、お仕事上周りに気を遣うご職業なら、普段しんどく気遣いを働かせてる分、俺には適当でも構いません。」
そう言い放つと、彼女は少し複雑そうな表情をして言った。
「・・・そう?私ね・・・花を見る目がある桐谷さんにとても興味が湧いたの。だから出来るだけ話を聞きたくて、行ける日には行こうと思ってお店に顔を出したの。デザインが作りかけのものがあって・・・やっと出来そうだったのに気持ちが折れちゃうことがあってね?・・・それが白いチューリップを買ったあの日・・・。連絡先を聞かれることは迷惑じゃないし、不快でもないよ。色んなことお話出来ればアイディアをもらえるかもって思ってる。でも話している限り貴方は・・・あまり人に興味がなさそうだし、けど相手を見て気遣いを回すことは得意のように見えたの。そういう人はね、無意識に疲れさせてしまうんじゃないかと思って・・・。」
「なるほど・・・俺の方が気を遣わせてたんですね。」
「ふふ、いいのよ~気にしないで。また行ける時にお店に伺ってもいい?」
「・・・ええ、もちろん。」
彼女は納得したように頷いて、またねと手を振った。