第34話
柊くんと朝野くんが店を後にした数時間後、店仕舞いの準備を始めていた。
店長は配達先から直帰するとのことで、今日は他の従業員もいないし一人きりだった。
入荷したての花がいくらか売れたので、スペースを整えて他の花の水を交換する。
七夕で少し残っていた笹を飾り程度に置いていたけど、もう買い求める人もいないし撤収することにした。
スッカリ気を緩めて片づけをしていると、ドアベルが鳴ったので、さっとバックヤードからカウンターへ戻った。
「いらっしゃいませ・・・」
スーツを着た女性だった。何となく記憶にあるような気もするが、定かじゃない。
近所の人で年配の方ならば常連客はいるものだが、若い人で夜遅くにやってくる常連客はまずいない。
そう思いながらレジを開けていると、女性はカツカツとヒールの音を鳴らして目の前にやってきた。
「こんばんは、遅くにごめんなさい。もうお店・・・閉まるところだったよね?」
「構いませんよ、営業時間外なわけじゃないですから。お気になさらず。・・・何かお探しで?」
「ふふ・・・いいえ、こないだはタオル貸していただいて、雨宿りまでさせてもらったから、これ・・・ちょっとしたものだけど、良かったら・・・。」
そう言って女性は小さな紙袋を差し出した。
白くて細い指先が、綺麗なネイルで整えられているのが目に入る。
「お気遣いいただきまして、ありがとうございます。」
明日店長に渡しておけばいいか・・・。
「・・・また少しお花見ていってもいい?」
「ええ、ごゆっくりどうぞ。」
茅色と錆利休が混じったような髪色の女性・・・・
彼女はカウンターの側にあった小さなサボテンを見て微笑んでいた。
その時はたと、記憶が結びついた。
「ああ・・・・白いチューリップ買ってった人か・・・・」
思わず口をついて出て、女性は俺を振り返ってポカンとした。
「ふふ・・・今気づいたの?」
「すみません・・・。人の顔をあまり覚えられないもので・・・。色がまず目に入るんです。髪の毛の色とか・・・」
「そうなのね。覚えにくい人はそうやって覚える人もいるわね。・・・花の色味に敏感だから、配置も綺麗に整えられるの?」
「・・・あ~・・・・・それもあるかもしれませんが、季節の花とか日当たりの問題とか、一緒に置かない方がいいものとか・・・色々あるので・・・。でもまぁ・・・全体のバランスを考える時は、作品を作る時と同じような要領で置いたのかもしれません。」
「へぇ・・・センスあるね。もしかして美大生とか?」
「いいえ、国立の経済学部です。子供の頃華道をやっていました。今は趣味程度に・・・。」
「そうなの、いい趣味ね。私一時期・・・ベランダで簡単な植物を育ててたの。でも枯らせちゃって・・・。ちょっと自信なくなっちゃったのよねぇ。あ、でもチューリップはまだまだ元気よ?」
女性はニッコリ笑みを浮かべた。シルバーのピアスが耳元で揺れる。
「・・・あまり水をやらなくても育つ植物はたくさんありますよ。夏にはハーブ系やミント系がお勧めです。」
「そうなの?どうして?」
「この時期は天気が崩れやすくて湿気がどうしても多いので、害虫も湧きやすいです。レモングラスとか、そういったハーブ系の香りが強いものは、人間以外の動物、昆虫は危険なものだと判断するので、自然と虫よけになります。」
「あ~!なるほどね!そうよね、確かにレモンの香りがする虫よけオイルとかあるもんね。そっか、そっかぁ・・・いいこと聞いたわ。どうもありがとう。」
「いいえ・・・」
女性はその後小さな苗をいくつか見て、俺が勧めたレモングラスの苗の前で悩んでいる様子だった。
レジを締めるのを後回しにして、店の隅を掃除していると、やがて彼女はまたカウンターに戻って来て言った。
「お兄さん、お会計いいかな。」
「はい。」
「レモングラス買って行くことにするわ。・・・どこに置くのがいいのかな。」
「水回りだと害虫避けになります。ベランダに置かれてもいいかと思いますし、気になる所にどうぞ。水は3日に1回程度で大丈夫です。良ければこちらの小さい液肥もいかがですか?」
「ふふ、商売上手。でも肥料はあった方がいいもんね。じゃあ一緒にいただくわね。」
会計を済ませると、彼女はじっと俺を見上げた。
「・・・何でしょう。」
「ん~・・・店員さんに個人情報を尋ねるのは失礼かもしれないんだけど、お名前を伺ってもいい?」
「・・・桐谷と申します。」
「きりやさん・・・それは苗字よね?どういう漢字?」
「・・・植物の桐と、谷で桐谷です。」
女性は合点がいったようにニコリと頷いた。
「私は藤川と言います。ありがとう桐谷さん、貴方の接客で前よりだいぶ植物に興味が湧いたわ。私ファッションデザイナーの卵で、まだまだ勉強不足で下っ端なんだけど、前に雨宿りしていた時、ここの花を眺めてると何だかインスピレーションが湧いたの。私花柄の洋服って大好きで・・・だからまた買いに伺うわ。常連になるかもしれないから、これからもよろしく。」
「かしこまりました。こちらこそどうぞ御贔屓に。」
俺がお辞儀をすると、彼女は小さく手を振って店を後にした。
よし、珍しく接客を褒められた。
常連を獲得出来たかもしれない。こいつはいい・・・でかした俺。
大概不愛想なせいで、老若男女問わずあまり好感を持ってもらえはしないが、ごく稀に俺を覚えて買いに来てくれる人もいるにはいる。
以前は女子高生にお礼だと言われてお菓子を渡されたことがあったけど、先ほど同様、店で受け取ったものは全て店長に渡すまでだ。
彼女が去ったドアを開けて、店先を掃き掃除する。
Closedに札を変えて、カウンターでレジ締めを行いながら、ふと脇に置いた藤川さんからの贈答品が目についた。
小さなメッセージカードと、高級店の焼き菓子が入った箱だった。
こ・・・・これは・・・・食いてぇ・・・・。
何となくカードを手に取って見ると、『親切な花屋のお兄さん、どうもありがとう。』と書かれていた。
律儀な人だな・・・。
まぁ会社で色んな人に囲まれて働いている人なら、周りへの気配りは出来ないといけないのかもしれないな。
西田にしてもそうだけど、咲夜も周りに気遣い出来る奴だし、そういうところは見習わないとな。
せっかく美味そうな高級菓子なので、今日ばかりはそれを持ち帰ることにした。