第27話
それからはため息をつく頻度も減った。
ドライフラワーにした生け花だったものを、部屋の隅に飾った。
時々日常の中で目に入る度、ああ、そんな自分もいたな・・・くらいに思って、アルバムにしまわれた写真を見るよりも遠い気持ちになった。
家に一人でいる時はひたすらに生けることに集中した。
すっかり感覚を取り戻しつついて、迷いなく花材を取るようになり、学際展示用のアイデアはいくらでも自分の中に浮かんだ。
生けては思いついて、試行錯誤を繰り返して、だんだんと大きな作品はリアルな形を帯びていく。
例えば美大生は、巨大なキャンパスの一枚絵を描かなければ、卒業を認めてもらえないというルールがあったりするらしい。
もちろん画材は自腹。何日も、下手したら何か月もかけて描く卒業作品は、プロではないからもちろん出来上がっても1円にもならない。
それどころか学生である以上、教師からの批評を受けて作品をけなされることだってあるだろう。
だが芸術作品とは、誰かに認められなければ価値がないというわけではない。
評価を受けるということはあくまで通過点で、それから自分の表現をどう高みへ持って行くか思案する機会だ。
あらゆるコンテストで最優秀賞を取得しても、俺のように作ることを辞めて手を引いてしまえば、時田桜花のような芸術家への道は当然だが絶たれる。
そもそも本人がプロになることや、表現の幅を広げることを望まなければ何も進まないし、受けた評価は意味がなかったものになると思った。
俺は不純な動機でコンテストに出場していた。受ける評価なんてどうでもよかった。
ただただ、「先生、俺を見てくれ。」と言いたくて作品を手掛けていた。
けど今は違う。
手元に組み上げていく一つ一つは、散々見てきた部活動やサークルの様子を表現するため。
それらが一つにまとまって作品となる姿を、自分自身が見てみたいから作っている。
血眼になってコンテストで生けていた自分とは違う。
あの時のような気持ちは一切ない。
「・・・はぁ・・・。」
しっかり水分補給をしながら、いったい何時間生けていたのかはわからない。
休日である週末に、目の前に大きく広がる生け花を、自己満足に眺める。
それぞれが競い合うように表情を見せる花たちは、何とも若々しい学生らしさを感じた。
完成にはまだまだ微調整が必要だけど、作品としてまとまりを見せてきたと言える。
エアコンを効かせたリビングで休息をとる。
何気なくスマホを眺めて、急ぎの連絡などないことを確認して、プロジェクターをつけ、適当な動画を流し見た。
「あ・・・そういや買い出し行かねぇと食い物ねぇな・・・」
以前まで家事を任せていた西田の作り置きおかずは平らげてしまった。
少し休憩した後、気を取り直して立ち上がり、とりあえず近所のスーパーへ向かうことにした。
雨上がりの空気と西日が降りていく暑さで、外の空気は重かった。
足取りまで重くなる一方だけど、食べなければ生きられないのが人間だ。
本当は食べずに生きられるようになったら便利なのに・・・と思うこともある。
裾の広いオーバーパンツは空気を通すものの、水たまりを踏むと少し汚れてしまった。
チラホラ道行く人たちは半袖の人が多い。
やっとこさ着いたスーパーへ入ると、一気にエアコンが効いた涼しい空気に包まれて生き返るようだ。
カゴを手に取って最初に目に入る野菜たちを通り過ぎ、発酵食品や肉売り場へと足を運ぶ。
しばらくあれこれ品定めしていると、まぁまぁ人の多い店内で覚えのある人物が目に入った気がした。
咲夜・・・?
あいつは大学から徒歩通学だ、こんなところにいるのは珍しい・・・
思わず追いかけるように足を速めて、インスタント麺が沢山並ぶコーナーに行くと、女性と並んで商品を手に取る咲夜がいた。
「・・・咲夜~。」
声をかけると、彼はパッと俺を見てじーっと見つめ返した。
「?珍しいなこんなとこで・・・」
俺がそう言って近づくと、一緒に居た女性もこちらを覗いた。その人は小さな赤ちゃんを抱っこしている。
あれ・・・
「・・・どうも。咲夜の友人か?・・・兄の美咲です。」
「・・・・・・・あ~~~!なるほど!そりゃ似てますよね双子なんだから・・・。すいません早とちりして・・・。」
「いえ、構いませんよ。」
その人はニッコリ柔らかい笑みを見せた。
どっからどう見ても咲夜にしか見えない・・・。確かに雰囲気は違うけど、髪の長さも相違ないし、恐らく身長も同じくらいだ。
すると奥さんと思われる女性も微笑みを返して、しっかり我が子を抱いたままお辞儀をした。
「こんにちは。妻の晶と申します。義弟がいつもお世話になっております。」
「いえ・・・こちらこそ、お世話になってます。・・・・咲夜から姪っ子さんの話も聞いてました。」
歩み寄ってそっと赤ん坊を覗くと、まだ生後数か月だろうか、白くてフワフワした肌に小さな手。パッチリと開いた目がじっとこちらを見た。
「・・・可愛いですね。」
俺がそう呟くと、二人とも優しく笑みを返してくれた。そして同時に奥さんも俺をじーっと見つめる。
「・・・あの・・・お名前伺ってもよろしいですか?」
「あ・・・失礼しました。桐谷 春と言います。」
「やっぱり!」
彼女は綺麗な顔をパッと輝かせて声を上げた。
「そうですよね!存じております。私、嗜む程度にですけど昔華道を習っていまして、中高生の頃のご活躍、雑誌で拝見していたんです。美咲くん覚えてる?」
「・・・・あ~、確かに見せてもらったことあったな・・・。」
・・・そういえば咲夜も俺のことを義姉から聞いたって言ってたっけ・・・
「そうなんですね。・・・・もうコンテストには出てないですけど・・・。」
晶さんはわずかに声を出す赤ん坊をあやすように揺らして言った。
「とても素敵な作品だったから・・・私、貴方の作風が好きだったんです。一際輝いて見えて・・・ふふ・・・つまりただのファンね。」
「・・・ありがとうございます。」
なんと返したらいいのか上手く言葉が思いつかず、その後は無難な会話と挨拶を交わして、その場を後にした。
そう年も変わらないであろう二人に対して、俺はものすごく精神の年齢差を感じた。
落ち着いた大人の雰囲気というか・・・
咲夜が目に入れても痛くないと語っていた赤子は、小さくて尊かった。
命そのものを感じた。
女性はその体で十月十日、出産するまで胎児を宿して生活するという。
自分の中にある命が、いざ外に生まれ出てくるって・・・どういう感覚なんだろう・・・。
花も枯れるまでは命だ。人間と同じ・・・。
「・・・俺にも出来る。」
いつの間にか買い物袋を持って帰宅していたリビングで、一人そう呟いた。