第26話
それからしばらく、大学で西田と顔を合わせる度モヤモヤしていた。
西田はいつもと変わらず、誰かに気遣いを見せたり、翔や咲夜と何気ない会話をして、パソコン作業する俺には気を遣って話しかけなかったり。
二人っきりになると他愛ない話をして、俺が好きそうな映画をお勧めしたり・・・何も変わらない様子だった。
正直ほっとしていたし、そこに本人の努力や無理があったとしても、俺にはどうしてやることも出来なかった。
昼食を食べ終わってスマホを眺める西田を見ながら、傷つけた当事者である俺は、何もこいつのための言葉をかけられないんだとわかった。
けど西田自身が、以前までの友達に戻ることを望んでいるし、俺もそう在りたい。
だからこそ、このモヤモヤを消し去らないといけなかった。
講義を全て終えた夕方、俺は華道部の部室だった和室を借りていた。
いくらか頼んでおいた花材をバイト先から持ってきていたので、遠くで聞こえる学生たちの喧騒を押しやって、静かに器の前に正座した。
紙に包まれたたくさんの花材を傍らに、静かに両眼を閉じる。
目の前の作品に集中するには、雑念を振り払わないといけない。
過去を振り返ることも、何かに執着することも、高望みすることもあってはならない。
今の俺が成せる全てが、生け花に表れなきゃならない。
閉じた暗闇の中で、脳裏をよぎったのは、先日泣き腫らした顔をした西田だった。
スっと目を開いて、何度か瞬きをしても、平常心に戻れない。
学際用の生け花を思案しながら作ることは、その時点でもう諦めた。
胸の中にあるこれを出さなければ、何も始まらないし、何も終わってくれない・・・。
手早く花材を取り出して、一つ一つ確認しながら、想いのままに生けていった。
どこにも辿り着かない気持ちを抱えていても仕方がない。
後悔 迷い 決意 焦燥 感謝 過ち 謝罪 贖罪 友情 〇〇?
あるもの全てを込めた。
「・・・はぁ・・・・」
深く深く海に潜って、やっと水面に顔を出したかのように息をついた。
ダラダラと汗をかいて、頭は少しフラフラした。
目の前に出来上がったものは、掃いて捨てたかったもの。
決して西田には見せたくないもの。俺の情けない全てだった。
花材が足りてよかった。今日はこれ以上のものを何も作れやしない・・・。
まるで体に残った水分を出すように、ポロポロと涙がこぼれた。
「俺は・・・お前と同じように傷つくことすら出来ない・・・。」
いい加減自分のために泣くのを辞めたかった。
その瞬間、視界はグラっと横倒しになって暗転した。
夢を見ていた。
重力も安定しないそこで、揺り起こされた気がして目を開けると、西田がいた。
自分のリビングでいつかそうしていたように、ソファに並んで座っていた。
何も言わずに俺を覗きこんでいた西田は、安堵したような笑みを見せて、俺の頬を指で撫でた。
「西田・・・そんな風に見ないでくれ。」
「・・・なんで?」
「俺じゃお前を愛してやれないから。」
「・・・別に愛していらないよ。・・・もう終わったろ?」
「・・・ああ、そうだな。」
「・・・何も後悔してないよ俺は。ちゃんと好きだって伝えられたんだから。だから桐谷も後悔しなくていいよ。」
「・・・そういうとこが、お人好しだっつーんだよ。」
俺が悪態をつくと、西田はいつものようにあっけらかんと笑って消えて行った。
次に瞬きすると、ボヤァっと現実に戻ってきた景色が見えた。
「あ!桐谷くん!大丈夫か?」
「・・・・・?」
小鳥遊が俺を覗きこんで、その隣に見覚えない女子がいた。
「軽い熱中症になってたみたいだな・・・。体は冷やしたけど・・・ほら、経口補水液だ、飲めるか?」
背中を支えられながら起き上がって、ペットボトルを受け取った。
一口飲んで、透明なそれが酷く美味しく感じたので、またゴクゴクと飲み進める。
「先輩・・・心配しましたよ~?ここに居るって聞いて来たのに、汗かいて倒れてるんですもん・・・。」
金髪の女子はため息をついて眉を下げた。
「明智さんありがとね、もっと時間が経ってたら彼どうなってたか・・・。桐谷くんも!作品に集中し過ぎて水分補給を怠るなんてみっともないぞ!」
「・・・ああ・・・すまん・・・ありがとう。」
「最近急に暑くなってきましたもんねぇ、梅雨も明けたし・・・。ここエアコンないから気を付けてください。」
明智・・・・
「ああ・・・こないだえっと・・・コスプレを見せてくれる予定だった人か・・・。」
やっとのこと彼女の存在を思い出すと、少し不貞腐れた表情で腕組みをした。
「そうですよ!もう!せっかく完璧にコスして待ってたのに!先輩ってば・・・今回でハッキリしましたけど、生け花馬鹿なんですね?残念なイケメ~ン。呆れちゃいましたよ。とりあえず今日は具合も悪いみたいですし、さっさと帰って休んでくださいね!」
明智さんはそう言い残してさっさと帰って行った。
隣で小鳥遊もため息を漏らす。
「まったく・・・ずっと膝枕してやってた私に、何かないの?」
「・・・悪かった。」
「ふん・・・素直でよろしい。とりあえず君は、借りてたこの保冷剤やらタオルやらを、医務室に返してから帰宅するように。」
「ああ・・・。」
やっと平衡感覚を取り戻した頭を切り替えて立ち上がると、「あ・・」と声を漏らして小鳥遊は続けた。
「そういえば、倒れてたからちょっとそっちに避けてたけど、今日作ってたそれ・・・どうするの?学際用じゃないよね?」
ふと部屋の隅の追いやられたそれを見やった。
派手な色をしたバラを、沈めて隠すように表現した俺の中にあったもの。
その前に座り込んで、また一つ一つ重ねるように抜いていった。
「やり直し?」
「いや・・・。これはこれで自分が作ったものだから・・・花束にしてドライフラワーにする。」
「へぇ・・・そういうことも出来るんだな君。」
「まぁな・・・フラワーアレンジメントの資格くらいは持ってる。」
「ほえ~!さすがだねぇ。まぁ、これから夏休みにここに来て練習することがあっても、熱中症には気を付けることだね。」
「ああ、わかった。」
俺が花材を抜き取って束ねていると、尚も小鳥遊は後ろから声をかけた。
「な~んか・・・調子悪そうだなぁ・・・。何かあったの?」
「・・・何でそんなこと聞く」
「芸術家は浮き沈みが激しいものだって、叔父さんが言ってたからなぁ。あの時田桜花のことも私調べたんだけどさ、彼もアトリエをあっちこっちに作ったり、家や別荘を急に全部売り払ったり、不倫騒動があったり、色んな意味で話題に事欠かない人みたいだから・・・。それだけ精神が安定せずに、ぐらぐらしながら作っていくもんなのかなぁと思って。」
「・・・だとしたら何だってんだ?それは小鳥遊に関係ないだろう。」
生けた花を輪ゴムで束ねて、改めて水切りした。
すると小鳥遊は改めて俺の前に座り込んで目を合わせた。
「途中でやっぱ作れなくなった!ってなったら困るじゃん私が。」
「なるほど・・・。心配には及ばない。確かに俺も人間だから精神的な浮き沈みはある。けど今回は邪念を振り払うために、それを放出させるためにこれを作っていたんだ。後はもう家で試作を繰り返して、微調整してそのまま本番のものを作れる。」
小鳥遊は呆れたようにまたため息をついて、俺の肩をポンと叩いて、和室を後にした。
手元の花束に目を落とす。
濃い色の花が、グラデーションで薄くなっていく花に囲まれ、鋭く細い葉に包まれている。
ドライフラワーにしてしまえば、二度とこの鮮明な色を見ることは出来ない。
けれど・・・一生枯れることもない。
残していたかった。表現しきった後に捨ててしまっても、きっと何度でも心の靄はぶり返す。
けれどこれを部屋の片隅に飾ってしまえば、ずっとそこにあるのだと安心できる。
西田に愛を返せない未熟で、歪な自分。ハンパ者で欠陥だらけで、ネジが取れまくった出来損ない。
誰に捧げることもない花束を作ることしか出来ない。
気を失って眠っていた時、俺はきっと夢を見ていた。
差し込んだ西日が沈んでいく。障子窓の向こうがオレンジ色で焼けていく。
まだ少し湿った花たちの根元を、ぎゅっと握りしめ紙で包んだ。
もう二度と、自分の中の特別な感情がこぼれないように、大事に持って帰ることにした。