第25話
バイトがない或る日、講義を終えて帰るや否や、適当に自腹で仕入れた花材を寝室に並べ、本番へのイメージを固めることにした。
数ある部活動とサークルをイメージした巨大な生け花を中央に、ということで話を進めていた。
実際そこまで色濃くない花を基調として作り上げたものを、本番さながら教室に飾ってみて、小鳥遊からも了承を得ていた。
けど何かが足りない。
剣山にさしていた花材を抜き取りながら、また生けては考え込むのを繰り返した。
お洒落な雰囲気や、大人っぽさは不必要。学生らしく活発な様子を表したい。
「そうか・・・不足でいいのか・・・。」
20年やそこらしか生きていない学生たちは、確固たるアイデンティティを備えている者達ばかりじゃない。
何かを手に入れようともがいては手放したり、人間関係に振り回されたり・・・
自分には何か足りないと思いながらも、それを見いだせる程の人生経験はない。
等身大の学生らしさを表現するなら、むしろ不足していることを出す方がいいのかもしれない。
これは俺が依頼された作品。
仕事であるなら誰かと相談しながら作るべきだろう。
けれどあくまで自由でいいと言われた。だからこそ自由花を選んだ。
大学にあるサークル及び部活動は、合わせて30程がある。
その数だけ花を挿す。支えたり雰囲気を締めたりする葉や枝は使わない。
花だけでは生け花として、たいそう不足を感じさせるだろう。
だけどそれでいい。それもまた自由な表現だし、やってみる価値はある。
それからしばらくの間、一心不乱に花材を取っては生けた。
日が高い時間を過ぎても、西日で部屋の中は熱がこもっていた。
時々脇に置いた水を飲みながら、集中力を切らさないように・・・
その時、生けていた花の奥に、しゃがみ込んだ人影が現れて顔を上げた。
「・・・西田・・・」
いつの間にか入室していた彼に気付きさえしなかった。自分が汗をかいていることも。
体に流れて伝う汗の感覚を取り戻すと、西田は暗く落ちた瞳をしながら、俺の生け花を眺めて言った。
「・・・・俺も花になりたいなぁ・・・。」
その言葉を皮切りに、西田はボロボロと涙をこぼした。
頭の中は真っ白になって停止した。けど・・・西田が言ったその言葉の意味は瞬時に理解した。
それ以外何も見えずに、集中していた俺に対しての言葉だ。
俺はそんな風に西田を見つめることはないから。
その気持ちが切実であることを、涙がこぼれる数だけ表していた。
苦しそうに表情を歪めて、やがて西田は顔を伏せて嗚咽を漏らした。
俺はやっと自分がしたことの重さを知った。
いや、本当はずっと前からわかってた。大事な友達を傷つけて、それでもより大事な生け花を優先していたこと。
俺は何も変わってない。
「・・・こんなはずじゃなかったんだよ・・・。別にそれ程でもないって思いながら忘れたかったんだよ・・・。忘れられると思ってたんだよ。好きだったのは俺だけで、桐谷がそうじゃないなら・・・そのうち気持ちは消えてくれると思ってたんだよ・・・。けど・・・・苦しい・・・。」
器をどけてそっと西田の背中に触れた。
膝を抱えて震える姿に、どんどん胸の内が痛み出してきた。
こんな風に西田が泣いているところを見たこともなければ、自分が誰かを泣かせるまで苦しめたこともない。
ひたすらに謝罪を述べた。
恋心を理解することも、それに報いることも出来ないこと、自分の浅はかさと、大事にしたいと思いながら自ら傷つけていた友人に、詫びることしか出来なかった。
正直なところ、自分の中で西田が少し特別なことくらい自覚している。
けどそれは西田と同じような気持ちじゃない。
どうしてもほしいと思うような、あの時の渇望とは違う。それがもう一度ほしいわけではないけど、俺の無関心さはこうやって、西田を何度も傷つけることにしかならない。
こいつの気持ちや俺に対して向ける言葉に、俺はいつだってピンときてないからだ。
どうしたらいいかわからないから、抱きしめることだけが慰めだった。
「・・・春・・・好きだよ・・・。好き・・・俺と同じくらい傷ついてよ・・・・。それでいいから・・・何もしなくていいから・・・。」
ああ・・・西田もそれをわかってるからそんな風に言うんだな・・・。
その気持ちがどれ程痛いものなのかも、未経験の俺にはわかってやれない。
それがつらい・・・そう思うと自然と涙がこぼれた。
この涙さえ、西田のために流しているわけじゃなく、俺自身への後悔でしかなかった。
「ごめん・・・。」
「・・・謝んないでよ・・・。」
申し訳なくて流れる涙を、西田は真っ赤になった目で見つめ返した。
ボロボロになったその顔が、いつも誰に対しても爽やかに笑っていた青年を壊して、そんな風にしたのは紛れもなく俺で、可哀想でならなかった。
「・・・春ぅ・・・好きだよ?」
あろうことかそんなことを可愛らしく呟いて、西田はそっとキスした。
相変わらず受け止めるばかりいると、激しくなって床に押し倒された。
何度も好きと言いながら、欲情のままに首筋に吸い付く彼を、満足するまで制止することもしなかった。
俺が傷つけた分だけ、受け止めたかった。
そのうち服に手を入れて脱がそうとしたので、さすがに手首を掴んだ。
「・・・満足したろ?お前とセックスはしねぇよ。」
「・・・あっそう・・・」
そうしてしまえば、もっともっと西田の記憶に俺を残してしまう。
俺にとってセックスなんて、してもしなくてもどちらでもいいことでしかない。
けど西田にとっては違う。繰り返し思い出して俺を引きずる要因にしかならない。
西田はそれでも尚、またキスを繰り返して、固くなったそれをこすりつけた。
同じように興奮したりしない俺じゃ、いつまででもお前にふさわしくないんだよ。
西田はそっと俺の頬を舐める。
「おい・・・犬じゃねぇんだから・・・」
「発情した犬だよ俺は。」
また愛情を込めるように大事にキスを繰り返す彼を、どうしても幸せにはしてやれない。
「・・・何年何十年経っても・・・俺のこと忘れないでほしいな・・・。もうそれだけでいいや。」
諦めた西田が選んだ答えはそれだった。
何故かその言葉が、酷く心臓に突き刺さった。
これからどれ程生きるかもわからないのに、何十年も忘れたくないという誓いだった。
もし明日、西田が死んだら・・・俺はきっと今よりも後悔するだろう。
『愛してる』と言ってやればよかったと。
その時初めて、心の底から西田が幸せになるように願った。
溢れそうになる涙を堪えて笑って見せた。俺にはそれしか出来ない。
「ん・・・わかった。」
やっと起き上がると、西田は少し笑みを浮かべて、また俺をきつく抱きしめた。
別れを惜しむような抱擁だった。
そして「ふぅ・・・」と息をつくと、彼は傍らに置いた途中の生け花を見やった。
「桐谷・・・生け花やってるとこ・・・見てていい?」
「・・・ああ・・・別にいいよ。」
「桐谷・・・好きだよ。」
「うるせぇな・・・もうわかったわ。」
「・・・でももう今度こそ終わりにしたい。」
「・・・・わかってる。」
「合鍵返すな。手伝いに来てるとさ・・・気持ちがぶり返すから。大学でたまに顔合わせてだべるだけの、普通の友達に戻れるように努力したいから。」
「わかった。・・・前俺がいない時に来てたろ、金払ってないから待って。」
「いらない。」
「うっせぇ黙れ。」
「体で払ってもらったからいらないよ。」
「っち・・・妙な言い回しすんな。ヤってねぇだろ。お前それ外で言ったらぶっ飛ばすぞ。」
「はは・・・わかったよ。」
西田は茶封筒を受け取って、「ありがとう」と感謝を返した。
さっきよりいくらかスッキリした表情でいたので、俺は勝手に安堵していた。
もう二度と、西田に触れないでいよう。
気持ちを揺さぶるようなからかいも言わないでおこう。
前までの、時々心配してやる友達でいるんだ。
俺のことを忘れてほしいと心底思っていた。
どこかの誰かと愛し合って、いつか結婚式に呼んでくれる西田に、早く会いたかった。
目の前にいる西田に恋などしていなくても、特別だと思っている自分を、お前のために消し去りたいんだ。
俺が途中まで生けた花を、愛おしそうに見つめる友達想いの西田が、人間として誰よりも好きだった。