第17話
その後の記憶があまりない。
最後の講義を受けて、俺はさっさとうちへと帰った。
時田 桜花・・・
言わずと知れた日本を代表すると言っていい程の華道家。
10代から注目を集めていた存在で、メディアにも多々出演してた生け花の天才。
日本を問わず海外で活動の幅を広げ、メディアに問わず、有名な建築家やデザイナーとコラボして施設を手掛けたり、花展をしたり、生け花の写真集を出していたほどだ。
華道家の枠を超えての活動を続ける彼は、恐らく今は30代後半。
自宅の寝室で、俺は彼の現在をネットで検索していた。
写真が出てくると、そういえばこんな顔をしていたな・・・と思い出した。
人間は人の名前と顔を覚えようとするものだけど、彼は俺の顔意外を覚えているようだった。
生けられた花と、そこから見える俺の中身、そして俺の名前、最後に声を覚えていると言っていた。
今更・・・どうしろってんだ・・・
何度目かわからないため息が漏れた。
ボーっと検索していた画面を眺めて、カチカチとマウスを滑らせて、作品をいくつか見ていた。
ああ・・・すごい・・・。この・・・テーマから外れていないし、生け花と思えない表現力・・・。
そこに詰め込まれた世界観、らしさがあるのに流派は崩さず、それでいて独特。
他の誰とも違う唯一無二のようで、それが全ての正解のような作品。
生けるのを辞めた俺が、教室を飾るためだけのものを置いて、それをどう思うかなんて見せる気になれない。
プロの画家に子供の絵を見せるようなもんだ。
いや、子供の作品の方がまだ素直で愚直でいいだろう。それにしかない純朴さがある。
腕が鈍ったハンパな俺の作品なんて、気持ち悪いことこの上ない。
グダグダとそんなことを思っているといつの間にか夕方になった。
腹が空いて立ち上がると、リビングに置きっぱなしにしていたスマホから着信音が鳴った。
「・・・もしもし。」
「よ、お疲れ。桐谷今在宅だったりする?」
「ああ・・・いるよ。」
「・・・・合鍵返そうと思って忘れてたからさ、今バイトの休憩中なんだけど、終わったら家に行ってもいい?」
「・・・・・・ああ、わかった。」
西田と短いやり取りを終えて電話を切った。
合鍵なんて別にいつ返されても問題はないけど、断る理由もないので了承した。
戸棚から適当にインスタントラーメンを取り出して、少し早めに夕飯にすることにした。
ソファに座ってプロジェクターをつけて、適当な番組を選んで鑑賞する。
忘れていた干しっぱなしの洗濯物を取り入れて、畳みながらボーっと、バラエティー番組で紹介されていた人気店の洋食が目に入る。
そういや翔がまた昼飯、外食行こうとか言ってたっけか・・・咲夜は遠出するならキャンプをしてみたいとか、言ってたような・・・
4人で計画している予定のことを振り返りながらも、俺の頭の中は結局、時田先生が大学に来る・・・ということが頭から離れなかった。
というか来ることが決定事項なら、俺が生け花を出すことも決定事項なのか?
ただ会いに来ても作品がなけりゃ、あの人は俺を誰とも思い出せない可能性すらある。
いや・・・来る来ないは俺には関係ない。問題は、小鳥遊さんのあの口ぶりからして、理事長が彼に頼んで、彼が俺がいるなら見に行ってもいいと了承してしまったということ。
それでわざわざ来校した彼に、何も作品は作っていませんとなると、彼どころか理事長にも失礼に当たるってことか?
いや・・・そもそも会う気はないと今すぐ断ってしまえば、来ることもなくなってそれでいいのか?
理事長がどうのなんて俺個人には無関係だし、どう思われても構わない。
けれど断るにも理由を聞かれるだろう。
もう生け花は辞めた、やりたくない、などという理由でいい大人が納得するとも思えない。
モヤモヤぐちゃぐちゃした感情が、未だかつてない程渦巻いた。
返事は早いに越したことはないだろう・・・。
夕飯を済ませてボーっと動画を再生していると時間が経って、何も答えを出せないままシャワーを浴びるために浴室へ入った。
そしてちょうど風呂から出た時、ガチャリと玄関が開いた音が聞こえた。
「お邪魔しま~す。」
スエットに着替えてドライヤーを持って、リビングへと戻る。
「あ、桐谷お疲れ。」
「ん・・・。西田、ドライヤーして。」
俺がソファに座りながら差し出すと、西田は仕方なさそうな笑みを浮かべて座った。
「はいはい・・・俺はおかんかよ・・・。」
「・・・西田をおかんとして雇うのありかもなぁ。」
「どゆこと!?」
熱風と騒音に髪の毛をなびかせながら、西田の長い指が頭を撫でる。
毛づくろいされている猿の気分なんだろうか、何とも心地よくて好きだった。
はぁ・・・考えすぎて今日は疲れた・・・
そのうちドライヤーが終わる頃には十分な眠気を感じて、そのまま西田にもたれるように背中を倒した。
「お?どした?」
「・・・ねっむい・・・。」
「・・・今日は疲れてんだな・・・。」
優しい声が頭上から聞こえて、西田はそのまま俺を愛おしそうに撫でた。
こいつはホントに面倒見いいな・・・マジでおかん味がすげぇ・・・
そう思いながら目を閉じると、西田は腕を回して俺を抱きしめた。
「・・・・あ~・・・ダメだ俺・・・」
西田は顎を俺の肩に乗せてそう呟いた。
・・・・・・・・・時田先生は、俺に何かを期待してるんだろうか・・・・
頬に唇が当たった気がして、目を開けて至近距離でボーっと西田の顔を眺めた。
気まずそうな顔をする西田は、何かを躊躇うように視線を動かした。
あの人が・・・何を考えているのかくらい知るのはいいかもしれない・・・
「西田・・・」
「えっ・・・なに?」
「しばらくまだ合鍵は持ってていい。」
「え・・・?・・・・なんで?」
「・・・・俺は何のサークルにも所属してないけど、少し頼まれたことがあって、学祭で作品を出すことになった。夏休みを挟んで秋の話ではあるけど、後4か月くらいしかないなら・・・今から準備する必要がある。やるからにはハンパなもんは出せない・・・。構想を練って、打ち合わせをして、花の仕入れ先を選んで、予算を詰めて、何度も微調整しながら試作して・・・ていうのを考えたら時間はいくらあっても足りない。家でも練習したり考え直したりする期間がいる。つまり・・・普通のことが出来なくなる。」
「普通のこと・・・」
「金出すから家事、炊事をしてほしい。」
俺がそう言うと西田は少し呆気にとられたような顔をした。
「あ~・・・・なるほど・・・・。」
「バイトがなくて適当に来れる日だけでいいよ。仕事だとか思わずに、弟の面倒見るくらいのスタンスでいいから。」
「はは・・・弟ぉ?・・・・そんな風に言われると、可愛いなぁって思って襲っちゃうかもしんないぞ。」
「お前のそういうイチャイチャに構ってる暇ないし、もうそういう関係は終わったろ。」
「ぐ・・・・わかってるよ~だ。でもさ・・・引き受けてもいいけど、条件ある。」
西田はソファに座りなおして、また俺をじっと見つめた。
「なんだ?」
「咲夜がやっと重い腰上げて4人で出かけようって言ってくれたじゃん?桐谷は集中して学祭までの期間を使いたいのかもしれないけど、もう俺たちの予定はほとんど決まってるもんだし、夏休みの話でもあるからさ・・・それは一緒に行ってほしい。息抜きだと思って楽しんでほしい。」
西田は真剣な表情で、まるで小さい子供が強請るように言った。
「・・・・ふぅ・・・わかった。もうほとんど日程決まってるしな・・・。」
「うん、ありがとな。」
西田は何故かそう礼を言って、安心した笑みを見せた。
生け花は、自分自身を体現することだ。
いや、全ての芸術作品はそうだろう。
今からやり直して、果たしてどこまでのものを作れるだろうか・・・
俺は小鳥遊さんから貰った名刺に書かれたアドレスに連絡を入れた。