第16話
その日も鬱陶しい雨を睨みつけるように眺めていた。
もう台風さえ近づく時期になったようだ。
若干頭痛がする程の気圧にため息をついて、手元の書籍にまた目を向けた。
空きコマを図書室で過ごしていると、ふと長机を挟んだ向かいに誰かが座った。
「先輩、お疲れ様です。」
「・・・・・・・・・・誰だお前。」
気安い笑顔にイラっとしてそう尋ねると、少しチャラそうなその男は面食らったように口元をひきつらせた。
「ここと食堂で二回会ってますよ?武井です。武井 理人です。」
「あっそ・・・。」
そいつが次に何か言おうと息を吸い込んだ時、パタパタとこちらに向かって来る軽い足取りが聞こえた。
「桐谷くんじゃないか!」
メガネをかけた小さ目の女子が、俺にそう声をかけた。
「・・・・・・誰?」
「はぁ・・・相変わらず君、人の顔覚えられないんだな?広報部、兼新聞部の小鳥遊だ!ちょうどいいところで会えたわ~。君にちょっとお願いがあったのよ。」
「お断りします。」
「まだ何も言ってない!!」
「読書中なんで静かにしてもらえます?」
「くっ・・・」
小鳥遊さんとやらはさっと俺の隣に座って、目の前のチャラ男を気にすることなく話を進めた。
「実は今年の学際の件なんだけど・・・ミスターコンの参加者が全然集まっていなくてだな・・・是非桐谷くんに出てもらいたいんだよ。」
「お断りします。」
「二つ返事が拒否なのやだなぁ・・・。可哀想だと思わないの?私このために先月から走り回ってお願いしてんだよ~。ちゃんとイケメン揃えないと絵にならないし~結構外部の人たちが来るのに、しっかりしたコンテストにしないと大学の名に傷がつくわけだよ~。」
机にだれて念を押すその人は、知ったこっちゃないことをあれこれ言い始めた。
「あ!そうだ、君のお友達である西田くんとかも誘おうと思ってんだよね!」
「はぁ・・・そっすか。俺はやりません。」
「なんで!?せめて理由教えて!」
「理由を言っても食い下がられるのが目に見えてるので、余計な問答をする気にはなれません。」
その時目の前で黙って聞いていたチャラ男が「あ・・・」と静かに口を開いた。
「そういや・・・先輩ってその界隈では有名人らしいですよね?」
俺がジロリと視線を飛ばすと、そいつは何故か嬉しそうにニコリと笑った。
「そんなことは私も知ってる!生け花王子!もしかしてあれか?目立つとまた何か世間から言われるとか、そういう理由で参加したくないとか?」
「いや別に・・・そんなことでメディアに何か言われても誰も興味ないだろ・・・。単純にめんどくさいです。」
「ぐぬぅうぅ・・・綺麗なお顔が勿体ないぞ!」
「っち・・・。」
本を乱暴に閉じて、グダグダうるさいメガネ女子の顎を掴んだ。
「頭悪いなぁまったく・・・じゃあ交換条件でもだしゃぁいいだろ?交渉が下手なんだよ、小学生か?ああ?大学で何を学んでんだよ。人を動かしたきゃそれ相応の見返り出すもんだろが。体張れや。俺が参加してくれるなら一発やらしてやるくらい言えよ。」
「せ、先輩、落ち着いて・・・。」
メガネ女子は反抗的な視線を返して俺の手を振り払った。
「確かにそうかもしれんが!君そもそもやるやらないは興味ない人だろ!」
「え・・・そうなんすか?」
「ものの例えだ。そもそも俺が自由に過ごしてる時間に勝手に割り込んできて、友達でもないのに頼み事をするってのが気に食わん。失せろ。」
「先輩カッケー・・・」
メガネ女子は「ふぅ」とため息をついて、懐から何か取り出した。
「ここにクリームパンがある。」
「どっから出してんだお前・・・」
「これだけで君を釣ろうなんてこたぁ考えない。だがせめてこのクリームパンで、参加したくない本当の理由を話してくれ。」
どうやら適当な嘘が見抜けるくらいの観察眼はあるらしい。
「はぁ・・・・。」
俺は再度席について雨音が響く窓を眺めた。
「俺は右目がまったく見えてない。煌々と照らされる体育館の舞台に立つと、見える左目が疲れる上に、周りの状況が判断できない。舞台に立っていなくても、光が強いと何が起きてるのか見えないんだ。その上大きい音が苦手だ・・・マイクでしゃべる声や、客席からの拍手、大音量で流れる音楽があると混乱する。」
俺が説明を終えると、メガネ女子は考え込むように口元に手を当てた。
「なるほど・・・・。わかった、じゃあミスターコンの勧誘は諦めよう。じゃあ・・・広報部が発表する展示会の教室に、生け花を飾るために腕を振るってはくれないだろうか。」
こいつ・・・
「最初からそれが目的か?」
「宝の持ち腐れだ。過去の栄光と言うにはまだまだ早いだろ?確かな実績があるんだから、名前を出さなくても見栄えのために、大学の為と思って貢献してもいいんじゃないかなぁ?」
「ふん・・・大学のため?俺の親が学費を払って俺はここに通ってるんだよ。特別大学から受けた恩なんてねぇ。そっちこそ、本来の目的があるなら包み隠さず話したらどうだ?」
「ん~・・・私はお金をもらって広報や新聞部をしてるわけじゃないからさ、あくまで協力って形で動いてるんだよ。守秘義務はないにしろ、私が受けてもいいと了承してあらゆるところに取材したり、許可を得に行ってるんだ。言いたくないことは話せない。」
「なら俺も受ける義務はないし、受ける気もない。だいたいそれこそ金も貰わずに俺がやる意味なんてあるのか?」
「おやぁ・・・6年間あらゆるコンテストで優勝してる青年は、プロ気どりなの?お金がなきゃ動けない?」
「そんな挑発に乗るか・・・馬鹿らしい。今話された一切を断る。これ以上問答しない。」
「いいや、桐谷くん、君は了承するよ。」
メガネ女子は俺の目の前にクリームパンを置いた。
「うちの理事長・・・つまり私の叔父なんだけど、時田 桜花と知り合いなんだ。」
その名前が耳に入った途端、雨音が消えた気がした。
「君の作品を甚く気に入っていた華道家だ、彼の批評を受けていたから知ってるだろ?久しぶりに日本に帰ってきているらしくて、各地で公演を行っているらしい。叔父が学際に来てほしいと言ったら、『桐谷くんが在学中なら、見に行ってもいい。』と。私の頼まれ事とはあまり関係ないけど、ついでに交渉してこいって話だったの。」
「・・・・・。」
「・・・で、そこの青年、悪いけど無関係なら席外してくれる?」
「え・・・ああ・・・はい。」
目の前のチャラ男が消えて、俺の耳にはまた雨音が鬱陶しく響き始めた。
「桐谷くんは知らないと思うけど、うち一応華道部があるからさ。後、時田先生はうちのOBでもいらっしゃるから叔父が誘ったらしい。それに・・・君の母のご実家である瀧川家とも、先生はそこそこ縁あるらしいぞ?」
「それ以上しゃべんな。」
もうさっきまで手元で読んでいた本の内容も、何もかも思い出せなくなった。
「あんたの言いたいことは理解した。けど時田桜花の名前を出されようとも俺は了承しない。」
「・・・わざわざ会いたいと言われてるのに?」
「・・・・。」
「桐谷くん・・・迷ってるのが表情からバレバレ。君にとってどういう人なのかは知らないし興味もないけど、一応権威あるお方らしいし、交流を持っていて損はないと思うけど。」
「俺は華道家として将来を生きていきたいわけじゃない。」
「けど動揺してるってことはさ、その道を築いてきた存在である時田先生に、少しは影響されてるってことでしょ?普段から無気力で人付き合いも希薄な君は、輝かしい成績を残していた時の方がイキイキしてたんじゃないの?だから今悩んで揺れている。まぁ・・・私が交渉すべき話はしたし、少し考えておいて。これ、私が新聞部で作った名刺。時田先生に会う気になったら連絡して。」
体の中でザワザワと気持ちの悪い何かが湧き上がって来ていた。
指先まで鼓動が走り抜ける感覚が増していく。
人気のない図書室に一人取り残された俺は、フラフラとその場を後にした。