第15話
6月に入って鬱陶しい雨が続くようになってきた。
その日は以前約束していた西田とのサシ飲みのために、俺のうちから近い居酒屋へと入った。
西田が部屋を訪れた時に、俺のかつての経歴を知った後、自分が唯一恋焦がれた相手の話をする機会があった。
西田を好きになることは 今後一切ないと断言すると、別れを切り出すより振られたいと言われたので、お前の恋人にはなれないとハッキリ告げた。
一月と少しの間で幕を下ろした恋人ごっこは、行き場のない西田の愛情を受け止めるだけでなく、余計な俺への感情まで生み出してしまった。
「悪かったなぁと思ってる。」
酒に酔うことはないけど、居酒屋の個室で少しほろ酔いになっていた西田に言った。
「は?何が?」
「お前が俺を好きになる程純粋な奴だとは思わなかった。無駄な時間を使わせたかもしれないと思って。」
西田は少し赤らめた頬に手をついて、ふんと鼻で笑った。
「ま~た俺が損したとでも思ってんの?」
「そうだろ?」
「ふ~・・・お前にはわかんないかもしれないから教えてやるけど・・・。俺はお前の言う通りなとこはあったよ?確かに・・・愛情を持て余してさ、好きって気持ちをとりあえず向けたくて、それがたまたま桐谷だったって話で・・・けどその延長でやっぱ友達以上に好きかもなぁって思ってたよ。でもさ・・・1カ月ちょっとの時間を、損したなんて思ってないし、俺はずっと楽しかったよ。イチャイチャしてるのも、色んな話を聞いてもらったり聞いたり・・・寄り添って寝たりさ・・・今まであんま知らないかもなぁって思ってた桐谷を、他の奴よりは一歩リードしたくらい知ってるわけだよ。お前にとっては何気ないことだったとしても、俺にとっては一緒に過ごしてた一つ一つが楽しくて、愛おしかったよ。そんな気持ちが無駄なわけねぇじゃん。損どころかプラスだよ。」
西田は吐き捨てるように言ってグラスを煽った。
「何飲もっかな・・・次・・・」
「おい、ペースはええよ、やめとけ。一回水頼め。」
俺がさっと水を注文すると、西田は狭い個室の壁にもたれてヘラっと笑った。
「今日は俺をお持ち帰りして~。」
「お前・・・ふざけんなよ・・・自分と同じ大きさの酔った男を連れ帰るなんてめんどくさいこと俺にさせんな。」
そう言いながら酒に口をつけると、西田は真顔になって虚空を見つめた。
「俺は桐谷と違ってさ~・・・な~んも持ってねぇの。」
「はぁ?」
「ただボーっと平和に生きてきた大学生なんだよ。桐谷はすごいよ・・・才能と努力であんなにいっぱいトロフィー獲っちゃうんだもんなぁ・・・。目的はどうあれさ・・・そんな容易いことじゃないだろ?」
「ふん・・・。俺はその分お前と違って、普通の日常ってやつをドブに捨ててたんだよ。それしか頭になくて血眼になって花を生けてた。中高生が体験する恋愛や青春やその他諸々を俺は知らない。知ろうともしなかった。おかげで俺は未だ童貞だ。」
「ふふ・・・・よく言うよ。そんな青春とやらに、一ミリも興味ないくせに・・・。」
「・・・バレたか。」
気だるく頬杖をついてボーっとする西田が、色んなことに悩んで迷っていることを知っている。
「俺が感じたことない恋愛感情とか、一緒に過ごすことの尊さとか・・・知らない代わりに、俺も西田が知らない、芸術の世界でしか得られない、達成と快感と挫折を味わってたよ。」
西田はチビチビと運ばれた水に口をつけながら言った。
「俺はお前が言った通りに、少しは変われたかな?自分勝手でいられてたかな。」
「・・・ああ、出来てたんじゃねぇの?友達の延長だから出来やすかったのかもしれねぇけどな。後は適当に女を知りながら、酸いも甘いも嚙み分けるだけだな。」
俺が適当に言うと、西田はくつくつ笑った。
「周りからさ~よく言われんだよね~。西田は女に困らねぇからいいよな、とか・・・遊んでんじゃねぇの?とかさ・・・俺は一切遊んだ覚えなんてないのに・・・。俺はそんなことしねぇよ・・・桐谷までしろっての?」
「・・・・何でしねぇんだ?」
「出来ないの・・・そういうの苦手なんだよ。だって大事にしたいなって思う相手なら大事にしたいし。特に興味がない相手だったら、余計なことする必要ないじゃん。適当な扱いしちゃうと、大事にするやり方忘れちゃうよ・・・。」
「ふ・・・翔にそれ言ってやれ。あいつまぁまぁ遊んでんぞ。」
「翔は大丈夫だよ。分別がしっかりしてるっつーかさ・・・。後腐れない関係しか持たないし・・・。そこまで言うほどいい加減じゃないんだよ。」
「ふぅん・・・お前がそう言うならまぁいいか。」
自分の話をしたり、誰かの話をしたり、大学での話をしたり、俺たちが話すことはその程度だった。
けどその程度の会話を西田は大事だと思って過ごしているらしい。
普通であることを大切に出来て、いい加減な付き合いを持とうとしない西田は、必ず誰かを幸せに出来る奴だと思った。
俺とは違って人としての優しさがあって、その温かさが嫌味なく相手に伝わって、人付き合いがそこそこ上手く出来る器用さもある。
今まで気持ちを動かしたい・・・と思いながら俺を見つめていた目は、ただの数年の付き合いの友達にちゃんと戻っていた。
果たしてそう戻るまでに、無為に西田を傷つけやしなかっただろうかと心配に思ったが、あいつはそんなこと感じさせないもんだから、どこまでも優しい奴だと思わせる。
宙ぶらりんの気持ちを抱えていた時の咲夜に似ていた。
西田はあいつ以上に抱えてるものは大きくはないだろうけど、愛情深い西田がどうか報われてほしい。
おこがましくもそう思わずにはいられなかった。
結局居酒屋を後にする頃には酔いがさめてハッキリしていた西田と、なんだかんだ他愛ない話をしながら帰路に就いた。
一人家に着いていつもの部屋に帰っても、一緒に居た西田がいないことを寂しいとか思わないのが、俺に欠落した何かだ。
シャワーを済ませて適当にドライヤーをかけて、気に入っている書籍を久しぶりに読み返した。
10代をほとんど生け花に捧げていた俺は、大学生になってからずっと、人との関わり方を学ぶために読書していた。
相手の気持ちを計る方法、相手の仕草による気持ちの現れ方、言葉遣いによっての伝わり方の違い、言い回しによる察してほしい気持ち、それらすべてを頭に叩き込んでコミュニケーションを取っていた。
相手を知るために何も逃さないように観察していた。
左目の視界だけに映る相手の情報を、焼き付けて考え続けないと、俺は人より気持ちを察することが出来ないから。
その裏で、普通に友達がほしい、と思っていた自分もいる。
そしてようやく友達と言える存在になったのが、西田や翔や咲夜だった。
友達を手に入れた俺は、その後はどう関係を良好なまま続けて行けるのか奮闘していた。
ある程度気兼ねない関係になった頃は、俺が黙って一緒に居ても居心地がいいと感じてくれて、それが一番人として嬉しいことであった。
相談されたら真面目に答えて、遊んでほしかったらそこそこに付き合って、そうした普通を手に入れられたことが、今の自分の成果だ。
生け花に渾身の想いをぶつけて、伝わっても伝わらなくても1番であり続けることに拘っていた自分は、どこか人間でない暮らしをしていた。
今はバイトで花を販売しながら、知識を生かしているだけ。
自分の部屋には決して飾らない。成績であるトロフィーも飾らない。
西田は自分のことを「何も持っていない。」と言っていた。
俺は目的が無くなって、何のために必死になっていたかも忘れて、生け花に込めていた気持ち自体を捨てた。
何も持ってないのは俺の方だ。