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闇の闘技。
それは血肉となるものを巡って繰り広げられる仁義なき聖戦だ。血縁、性差、年齢差、ありとあらゆるものが無視される。
正義や倫理などすべては偽り。弱者が身を守るため作り上げた虚構にすぎない。この世の摂理は弱肉強食。滅ぼせ、根絶やしにしろ。喰らうのだ、そのすべてを。
トオルは、正座で痺れる足を畳からぐっと浮かせた。
「皆、トールにお礼は言った?」
「ゆったー!」
ごおお、とカセットボンベ式の卓上コンロが音を立てている。上には、黒塗りの家族用鍋が煮えている。
六畳一間のボロアパートで、炬燵の前に六人の少年少女が膝を突き合わせて今か今かとソワソワしている。
ぐつぐつ煮える葱と焼豆腐は汁を吸い、茶色に染まっている。取り皿の溶き卵の黄金色が、なんとも言い表せない対比であった。そして今日のメイン。関西牛が程よく色づき、香ばしい匂いを部屋全体に放っている。
居並ぶ弟妹たちなど、常日頃にないご馳走でヨダレがこぼれ落ちそうだ。
蓋を持った少女――夏目光は、三つ編みのお下げを揺らしながら皆の顔を見回した。
「じゃあ、お手々を合わせて――」
「いっただっきまーす!」
一口含むと、皆一様にホッペを抑えて緩ませる。上から十一の青希、九つの黄河、八つの赤里が、そろってバクバクと口を動かした。瞬く間に食材が怪獣の腹へ収まってゆく。
取り残されたトオルは、絡みつく僅かな肉片に食欲を誘われながらも、端によけられた春菊へと手を伸ばすしかなかった。
時刻は夜八時。
大浜オープンの予選を終え、病院から直帰したすぐ後のことだ。
アークの武神がごとき舞踏に耐えきれず、翌日以降の決勝トーナメントを棄権したトオルは、業務用食品売り場から賞味期限間近な牛肉を買い、家族の待つすみれ荘へと帰ってきていた。
夏目孤児院出身の彼らが腹を膨らませる様子に、心が安らいでゆく。トオルは肩の荷を下ろし、ほうっと息をはいた。
「あ、こら和っ。トールが買ってきたのに!」
「うっせえなひかり。早いもん勝ちだろ」
菜箸を持ったひかりが口を尖らせる。
文句を言われた少年和――夏目政和は一心不乱に肉をかっこんでいた。
箸使いが変なせいで炬燵の布団に汁を飛ばし、ひかりの目をさらに吊り上がらせている。
「ごめんねトール。あ、ひかりのお肉あげる」
「ううん、気にしないで。僕は野菜を取らないといけないし。遠慮せずひかりが食べて」
「そう? なら……あ、赤里!」
懐に潜り込んだ一番下の少女が、ぱくりと取り皿の肉を啄んだ。
「トオルにいちゃんおいちーよ」
「うんうん、良かったね」
「全然良くないぃ! それはひかりのなのぉ!」
カンカンに怒り出したひかりは、少女の頬を両手でつねった。
変顔に吹き出した青希のせいで、卓上は大惨事になる。
『あーあ、うるせえうるせえ。オレ様はションベン臭えガキが一番嫌ぇなんだよ』
かったるそうにアークは天井をすり抜けて消えた。屋上で夜空を眺めるのだろう。声の絶えない家族を見て、トオルはぼおと窓の向こうを眺めた。
外区の街並みは、太陽光発電式の供用照明で不規則に照らされていた。ときおり、カンカンと二階の住民が錆びた鉄骨に音を響かせている。隣に住む女は水商売に就いていて、宵毎に日替わり彼氏を連れ込んでは喘ぎ喧しい。今日は彼女が夜勤だといいなと願った。
「トールどうかした? もしかしてお金の心配でも」
物鬱げな表情を穿ったのか。布巾で机を拭っていたひかりが、胸の前で指を組みながら覗き込んできた。
「それは心配ないよ。言ったでしょ、賞金が入るって」
「でも、お仕事なくなっちゃたし……」
「大丈夫だって。五十万は貰えるから」
ぼそぼそ耳打ちすると、ひかりは「ごっ」と悲鳴をあげてから慌てて口を両手で覆った。
プロツアーの最下級、AMP100に区分されるティアⅤの大会であっても、賞金総額はたやすく億を超える。優勝で総額の二割、準優勝で総額の一割と割り振られる大浜オープンでは、ラウンド十六の時点で経費プラス百万近い額が与えられる。棄権で半額になったとはいえ、日頃出場する学生大会とは文字通り桁が違った。
「うるっせえなぁ。臆病もんの自慢ばっか聞いてたら飯が不味くなんぜ」
がちゃんと箸を置いて政和が立ち上がった。彼は銀の蛇が刺繍されたジャージを履き、上着に「虚露暴露洲」と書かれた真っ赤なライダージャンパーを羽織った。
「晩御飯の途中でしょ、どこ行くの」
「悪りぃかよ。そいつだって、昼間っからケッタくそ悪りぃナンバーズどもといちゃこらしてんじゃねえか」
「そんな言い方やめて! トールだって好きでやってるんじゃないの!」
「どうだか」
吐き捨てた政和は、玄関の革ブーツに足を入れた。
「もう、そんなことばっかりしてたらまたけーさつに。トールだって、いつでも行けるわけじゃないんだよ!」
「別に頼んでねえし」
「あっ、話はまだ」
ドタドタと玄関まで追いかけていったひかりは、腰に手を当てながら栗鼠が描かれたエプロンを翻した。
「ごめんねトール。最近反抗期みたいで」
「まあ、ああいう時期だから」
「一つしか変わらないのにトールは大人だね」
背の低いひかりは、仰ぎ見るような形で尊敬の念を露わにした。
透は高校一年生の十六歳。光と政和は中学にこそ通っていないが、共に一つ下の十五歳(※ただし数え年)であった。
「何か困ったら言ってね」
「うん。私たち“家族”だもんね」
「そうだね。あっ、そういえば院長先生からも電話がかかってきたけど何か――」
「あー、兄ちゃんだー!」
鍋を食い尽くした黄河が、オンボロテレビを指差しながら叫んだ。テロップが流れ、今日の大浜オープンの予選突破者が表示される。自然、夏目家の視線が殺到した。
『それではスポーツニュースです――』
テレビを見ていると、胸ポケットに入れていた端末がフルフルと震えだした。
トオルが通話の定型文を発すると、時候の挨拶もなしに社長――松下が捲したてた。
『いやぁ試合聞いたよ。すごい活躍じゃないか。いやいや、君を今まで雇ってきた甲斐があったものさ。はは、私としても鼻が高いよ』
「えっ、あでもクビって……」
『何を言ってるんだい。はは、来週からもちゃんと事務所に来てくれよ』
気味が悪いほど陽気な所属事務所の社長は、最後の最後まで別人かと思うような態度で別れを告げた。
まあ文句はないというか、ありがたい話だ。釈然とはしないが、同時によしとガッツポーズする自分も居る。ひかりなどは、ぽよぽよと三つ編みを揺らして飛び跳ねた。
『それでは次のニュースです。非ナンバーズ対策法案成立に向けて日夜協議が行われている――』
議場前のホールに画面が切り替わると、トオルはリモコンの赤いボタンを押しこんだ。
「明日も早いからもう寝るよ」
「あ、うん。みんなー、トールが寝るから静かにね」
「はーい」「てれび見たーい」「にいちゃんあそぼー」
ひかりに洗い物を頼み、ついでに衣服を洗濯カゴへぶちこんだ。梯子階段に足を掛け、トオル専用のロフトに足を運ぶ。カーテンを引くと、簡易的ながら一人のスペースができた。
(今日は、疲れたな……)
毛布に潜り込むと、あっという間に睡魔が襲ってくる。明日は学校だ。早めに起きて、貯まった講義ビデオを視聴しなければならない。
社用端末のアラームをセットし、久方ぶりの安らかな眠りに落ちていった。