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1-3:

 予選Bブロックの試合が開始して十数分。黒フードを被ったトオルは、こそこそと四つん這いで設営されたバリケードの影を移動していた。


『おーい、敵だぞ』

(し、し、し死ぬ死ぬしぬぅぅぅぅ! こんなの死ぬぅぅ! 知覚系と概念系のバーゲンセールなんか聞いてない、聞いてないよこんなのぉぉぉおおおお!!)

『はぁ、ダメだこりゃ』


 呆れたようにアークが首をすくめるも、気にする余裕さえない。頭上をSNP能力が飛び交うたび恥も外聞もなくうずくまった。


 これが正しいMMAプレイヤーなのだろうか、と問われれば有識者でなくとも首を捻らざるを得ないだろう。だが、開始三秒でトオルは真っ向勝負など諦めていた。


 まず、開幕の狼煙が上がった瞬間から絶望が始まった。


 大学時代から棒術で名を馳せる才媛、但波香奈子を筆頭に、暴風の名を持つ概念能力者、鴨志田疾風など、画面越しに見ていた選手が火花を散らしている。また、それ以外の面々も有名に怯むことなく、意気揚々と挑んでゆく者ばかりだった。


 二十反(※約ラグビー場三つ分)の広大な練馬競技場と、幸運にも遮蔽物近辺に陣取れなければ、開幕数瞬で屠られて――医療技術の発達した現代において、競技中の死者は年間五人を優に下回る――いただろうことは予想できる。


 そもそもとして、選手としてのステージが違いすぎるのだ。蟻と象は言い過ぎでも、トオルと彼らの間には、非捕食者と捕食者程度の差がある。いや、彼だけでなく、学校の同期を連れてきたところで五十歩百歩だったろう。いわばその勝率、凄惨なインパール作戦のようなものだ。


 一方、その第一山場で超新星のごとき輝きを放ったのが、先ほどの少年、朝来野晶であった。


 その実力、もはやプロ顔負けだ。なにせ、彼が右へ左へと敵集団を縫うたび、バタバタと無数の選手が昏倒してゆくのだ。


 PK能力で五本の白刃を飛翔させながら、両の手で刀を自在に操る二天一流は――トオル的に七天一流と改名してほしい――傍目にも位違いであった。


 当然、浮遊能力(フロートシステム)もろくに扱えないポンコツはいそいそ勝算もなく隠れ潜むしかなかった。


 基本、バトルロワイヤル系の予選において、争う選手に紛れて漁夫の利を狙うことは「イモり」と称され、蛇蝎のごとく忌み嫌われている。通常の大会ではいの一番に目を付けられ、狩られる存在だ。プロの大会とはいえ、その大原則から逸れることはない。


 が、奇跡的にというか、喜劇的にトオルの事情がハマっていた。彼は高校の大会においても岩陰に潜む展開を好み、ついには迷彩フードまで持ちだしていた。また、時折目が合っても、あの大蛾汚人なる男とのいさかいを見ていたのか、大半が興味を失って立ちさっていった。


 無論のこと、感知系能力で右往左往するトオルのことを察知していた選手は少なくなかったが、そのあんまりな無害さに、今の今まで見逃されていたのであった。


 だが、それもこれまで。五十人から二名まで絞る大浜オープン予選において、真の山場となるのは十人になってからだ。ここまで来れば、もはや逃げるトオルなど俎上の鯛に大差なかった。


『こいつぁ避けたほうがいいんじゃね?』


 顔を上げた瞬間、眼前に岩塊が迫っていた。


 怖がる身体を叱咤して飛ぶ。転がると、さっきまで隠れていた場所は地面がごっそりとえぐれていた。


「くそ、しくじったか! 死ねクソ漁夫野郎」


 ボリボリと後頭部を掻きながら現れたのは、顔にタトゥーを彫り込んだ大蛾汚人だった。


 額からは汗が流れ、特攻服は泥で汚れきっている。この段階になれば一つの隙が命取りだ。フードで顔を隠していたせいもあって、彼は周囲の警戒を怠らず、一気呵成に勝負を決めようとしてきた。


 リボルバー銃型デバイスから、能力の発動兆候が示される。


 射線を見切ろうと目を凝らすと、大蛾はニッと笑みを深めた。


(や、ばっ――!)


 相手の術中だ。銃口がピカっと発光し、反射的に目を瞑ってしまう。チンケな目眩しだった。


 敵の哄笑が響き渡る。トオルは遮二無二得物を振り回して、相手を遠ざけようとした。


 そのとき、空に影が走る。遅れて、ずん、と音がした。


 無防備な背中が二刀に切り裂かれる。恨み言を吐きながら、男はゆっくりと前傾する。砂の上にどさりと倒れ込んだ向こうで、塵ひとつない少年がすくっと立ち上がった。


 朝来野晶。


 瞳孔の開いたその黒眼が、すっとトオルに据えられた。反射的に目がチカチカしたまま太刀を構える。


 次の瞬間、凄まじい衝撃がトオルを襲った。


『あー、終わったな』


 全身が音を置き去りにした。刹那の間、重力から解放される。風と、熱と、砂を切って、上下左右さえわからぬまま虚空を漂った。


 そして――衝撃。


 全身を切り刻むような痛みが神経を伝ってゆく。肺からは空気という空気を残らず吐き出し、そのまま胃の内容物まで撒き散らかした。


 太刀を杖にしてなんとか立ちあがろうとする。二度ほど倒れて、ようやくバランスを取り戻した。


 霞む視界に、ヒタヒタと歩く少年が映る。数秒後、自分は敗北するのだろう。


 いつもなら、それで終わり。


 血反吐を撒き散らすこともなく、医務室で新しい朝を迎えるのだ。次があるさ、と慰めの言葉を呟きながら。


(……けど、今日は違う)


 胸の中で反芻すると、ぐつぐつと煮えたぎるような想いが湧き上がってきた。


 次はない。


 今度はコンティニューできないのだ。


 だというのに、彼我の圧倒的な差にトオルは絶望するしかない。そうして結局、永遠に抜け出せないあの楽園へと戻るのだろう。


 あの、寂れた外区の果てに。


 遠い昔。慰問と方々を回っていた十六夜長秀が教えてくれた総合魔法格闘技マーシャル・マジック・アーツ。はじめて触れた時の全能感、あの万能感が幼き透を導く道標となった。


 剣を振るうのが好きだった。身体を強化し、誰よりも高く飛ぶのが好きだった。少しづつ変わっていく感触だけが、自分に生の実感を与えてくれた。自分が無意味ではないと思えた。だから信じた。


 彼が言ったから。――歩みを止めるな、と。


「は、ははっ」


 トレーニングは苦じゃなかった。痛む筋肉痛が、自分を高みに連れていってくれる。這うようにして外周を走る自分を疑ったことは一度もない。


 勉強は苦じゃなかった。相手を知り、自分を知ることが、いずれ絶無に勝機を見出す糧となるとわかっていた。


 罵られるのは苦じゃなかった。いつか必ずと、信じていた。


 剣一本ですべてを勝ち取る。それだけを。


 けれど、嘘じゃないか。完全なるうそ。レールはつながっていない。ここが終わり、断崖絶壁の終着駅。ここから先は深い深い闇が広がっている。


 そして自分は、それを諦めたまま見送っているのだ。


 ――もしも、僕に抗う勇気があったなら。


 愚かな思考だ。現実にたらればはない。あるのは結果だけ。成功か失敗の、白と黒しかない。そして自分は黒だ。すべてを諦め、潰えた敗者なのだ。


「残り四人。意外にあっけなかったな」


 興味なさげに刀が振り上げられる最中、トオルは奥歯が軋むほどに噛み締めた。


 彼の目には、トオルのことなど映っていない。悔しかった。こんなにも簡単に片付けられてしまうことが。


 だから、だろうか。


 いつもなら、もう倒れ込んでしまうのに。無意識に一歩踏み出す。そして、希うように手を伸ばしていた。



『はぁ、仕方ねぇなぁ』



 その何も得られぬ筈の手は――ふと、別の扉を開いた。


『お前、そこまで負けたくないのか?

 こんな、しょせん命も賭けないお遊びで』


 御稜威さえ感じさせる声とともに、世界のすべてが奪われた。音も、色も、匂いさえも。


 朝来野が凍りつく。時計の針はピタリと止まったままだ。


 だというのに、あり得ないものが熱を持ち、動きだした。


『もしそうなら、手を貸してやろうか?

 オレさまの願いを、叶える代わりに』


 勇者アークがトオルの手を掴む。

 二人の交わりが、まるで恒星のように煌々と光を産みだしはじめた。


『そう、これは最初の一歩。

 勇持たざるものが、その身に「ブレイブ」を宿すための。


 そしてお前は異なる世界を垣間見る。

 異世界の技、異世界の体、異世界の魂。

 すべての光がお前を照らし出す。


 だが、忘れるな。

 強すぎる光は影をさらに深くする。

 いずれ足元には長く濃い闇が伸びてゆく。


 それでも、光を欲するというのなら。

 問おう、トオル。お前は、何を望む?』


 聞かれ、あらゆる過去が走馬灯のようにリフレインする。


 困窮する幼馴染たちの顔、豪勢な暮らしを夢見た幼きころ、馬車馬のように働いた工場の風景。そのどれもが焚火にくべられ、簡単に風化してゆく。


 だというのに、どれだけ振り払おうとしても、高邁なる野望が蘇るのだ。


 ――負けたくない、と。


 熾火のように燻る願い。


 心の底から、トオルは叫んでいた。



『ならばお前に、光のあらんことを』



 その瞬間、アークはすうっとトオルの中に入ってきた。


 キン、と涼やかな音が会場中に響き渡り、視界が一瞬燃えあがった。


 遅れて己の瞳に赤い環が浮かび上がると、筋繊維に骨、血の一滴でさえ、前に踏み出せと身体を前進させる。


 口が勝手に動く。身体が勝手に動く。膂力が漲り、だというのに制御は失われる。


 すべては思いのまま。幼い全能感が全身を浸す。操られたまま音と色が戻り、時の砂が流れはじめた。


 そしてトオルは――自らの加速から置いていかれた。


 世の理から自分だけが外れている。重力、時間、速度。あらゆる次元、摂理から飛翔し、違う世界へと足を踏み出している。


 ぎょっと目を見開く朝来野は、ラグが発生したかのように緩慢だ。


 自動迎撃機能を備える空中の刃をすり抜け、トオルの身体は閃光のように駆けぬけた。


「あはぁっははははは! 柔ぇ、柔ぇぜお坊ちゃん。テメエの剣にゃ重さってのがねえなぁ!」

「――くっ!」


 血相を変えて朝来野が能力のすべてを使い、体術、剣術を惜しみなく披露する。


 けれど自分の身体――アークは、まるで脾肉を削ぐかのようにそのすべてで上回っていた。


 三人称視点から眺める自分の動きは、どこか剣舞を彷彿とさせた。乱れ飛ぶ白刃にムダなく、それでいて眼球スレスレさえ厭わない踏み込みが、定められた演目のようにさえ映る。


 人は、ここまで辿り着けるのか。


 天下無双、一騎当千。あれほど神童が、まるで赤子のようにその手をひねられている。一太刀浴びせるたび、朝来野の顔は焦燥に染まっていった。


「負けられない! あの男に勝つまで、ボクは!」

「はん、そいつはまた無理なことを」


 飄々とアークは駆けちがうと、振り向きざまにびょうと刃を薙いだ。


 朝来野はぎりぎりで首を捻ってかわすと、手を突き出して五本の刃を投射した。


 流星群のような斬撃の嵐を後方宙返りで躱すと、アークは汗みずくになる相手の前で剣を突き刺し、傲慢に仁王立ちした。


「っく、フロート!」


 始動ワードと共に、ジャケットの裏地に縫われた機構が輝きだした。


『飛ばさないで!』


 ほとんど無意識のうちに、トオルは言葉を発していた。


 声に反応した自分の身体が、ふわりと浮き上がった朝来野に飛び蹴りをかます。


 転がった彼を一瞥してから、アークが振りむく。自分ならしないであろう雄々しい仕草で、妖しく三日月状に口を歪めていた。


「お前、この戦いに付いてこれてんのか」

『ほえっ?』

「ほー、まるっきりヘボってわけでもねぇか」


 パン、と胸の前で拳を打ち鳴らしたアークは、大上段にその剣を掲げた。


 その身体から立ち昇る練気が、やがて鈍色に輝く刀身へと収斂してゆく。紅蓮の右瞳が激しく明滅する。場は、大型肉食獣さえ退くような闘気が噴き出しはじめた。


「なら出血大サービスだ。目ん玉かっぽじって焼き付けやがれ!」


 朝来野は察しているはずだ。彼我の差は象と蟻ほどもあることに。けれど、その闘志は一片もかげることなく、さらに鋭く踏みこんできた。


「いいねぇ、若いってのはそうじゃなくちゃ。けどよ」


 やぶれかぶれの一撃は、彼渾身の一撃だったろう。トオルの目にも、影が走ったようにしか映らなかった。


 しかしそれよりも早く、アークの太刀が閃いた。


「ぬりぃぜ。そんなんじゃ、このオレ様には何一つ響きやしねぇ。

 いいか、よく覚えとけ! このアーク・ヌーン・ヴァレンシュタイン様こそが最強だってな!!」


 アークは、上段に構えていた刀を雷光のように振り抜いた。迫る朝来野、瞬きも許されない。光さえ追い越しそうな白刃は、豪雷のような音を轟かせながら、若き武者の肩口を叩き割った。


 ドドッと臓物が溢れる光景を幻視する。


 一瞬にして白目を剥いた彼は、呼吸も途絶したといった様子でうつ伏せに倒れ込んだ。


 剣圧が迸り、二人を包むように砂塵が乱れ降る。その中央で、勇者アークは勝鬨をあげた。


 第三十五回大浜オープン予選Bブロック。


 勝者、城西大附属高校一年ケイベックス・マネジメント所属、夏目透。


 ティアⅤのプロツアーで、高校一年生が予選突破したのはおおよそ十年ぶりのことであった。

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