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1-2:

 二世紀も前のこと。冷戦、つまり世界が西と東に分けられた真っ只中、その日は唐突におとずれた。


 後に天焔と名付けられるその日。巨大な隕石がユーラシア大陸のど真ん中に堕ちたのだ。


 そして、大寒冷期と異常気象が数年に渡ってつづいた。争いは一時絶え、人類の忍耐が試される時代となったのだ。


 しかし、それは新たなる恵みをも齎した。


 EV粒子。その特殊な素粒子が、その日以降爆発的に観測されるようになった。そして、歩調を合わせるように特殊な能力を持った人間が覚醒をはじめた。炎使い(パイロキネシスト)念動力使い(テレキネシスト)、空を飛ぶ者たちまで。古来、インドのシッディに始まり、仏教の神通力など異能力の存在がささやかれてきたが、実際にその力が陽の目を浴びることはなかった。それが、公の者として人類の前に引き出されたのだ。


 そして同時期。復興の道を歩み出していた人類は、またしても歴史から学べず愚かな戦争を繰り返してしまう。


 大陸の覇者であった両大国は、その極まった科学力を集結させ、終結の引き金を引いてしまった。


 世界は終焉の炎に包まれた。世界人口は半数まで激減したそうだ。そして終戦後、惨状を忘れてはならぬと各国はある条約を締結した。


 通称をMMA条約という。


 魔法のような力と科学を組み合わせた競技「総合魔法格闘技マーシャル・マジック・アーツ」。それを国家間の裁定の際に用いると決めたのだ。


 それはいつしか代理戦争の道具と化し、企業の技術・資本誇示の手段となり――気付けば、競技スポーツとして学生も参加できるほど身近なものとなっていた。


 リーグ戦にトーナメント。実業団として働く選手やチームに所属する選手、国に勝利をもたらすため進められる研究、いつも競技結果がタブレット紙の一面を飾っている。


 もはや、現代に生きる人間にとって|マーシャル・マジック・アーツ《MMA》は戦争の道具であると認識されなくなっていた。


 娯楽として必要でありながら、文化としてもなくてはならないもの。それでいて、国益のために強化しなければならないもの。


 それが、現代を生きる者たちにとってのMMAという競技だ。


 そしてそれは――ファイトマネーで生計を立てる夏目透にとっても同じであった。


『しっかし、あのくそ狭ぇ”でんしゃ”? だのが終わってもまぁだ人がゴミみてぇにいやがる。二、三人ぶっ殺したらいなくなんのか?』


 リストラ宣告を受けた翌日のこと。


 コロッセオのようなドーム競技場の前には今も多くの人がたむろしているが、アークの物騒な言葉に反応する人は誰もいない。


 その横に立つ制服姿の少年――トオル以外は。


「そっちの世界は栄えてなかったの?」

『大戦の真っ最中だからな。王都ぐれぇじゃねえか。オレ様は貴族のくっせえ息が嫌で一回も行ってねぇが』


 傍若無人なアークが周囲の人間に殴りかかり、スカッと貫通する。そうして、頭部から手の生えたエイリアンの完成だ。


 けっと唾を吐くアークを尻目に深呼吸すると、第十五区練馬競技場と書かれた入り口を通り過ぎ、関係者以外立ち入り禁止と書かれたゲートをくぐる。受付を済ませ、落ち着かない心臓をぎゅっと抑えた。


 トオルの所属する芸能事務所の親会社コールド・プロダクション協賛大会、大浜オープンに参戦が決まったのは、アークと邂逅してすぐ後だった。


 社用携帯――防水仕様――に慌ただしく連絡してきた社長、松下直人が猫撫で声で一方的に言ってきたのだ。


『いやぁ、悪いね夏目くん。本当に申し訳ないんだけど、さっきの話は君の依願退職という形にしてはくれないかな』


 社長は簡潔に言った。親会社が主催する大会への招待を取り付けたからと。


 送られてきたメールには、大会概要と係員チェック済みのデバイス(IHR)受け取り所が示されていた。


 つまりは、出場権を盾にして自分から退職願いを出させたいのだ。日本は昔からリストラを厳しい法律で取り締まっている。焦りようからして、一方的な契約解除は違法にあたるのだろう。


 社長らしいな、とトオルは思った。部下が失敗すると高圧的に叱るが、ひとたび自分が失敗すれば下手に出て取りなそうとする。電話の向こうで内心歯軋りしている姿を想像することは難しくなかった。


 結果トオルは、社長から弟政和の保釈金を借り、保証人付き国民証を取り返し、そして翌日の試合に備えているというわけであった。


「よし、集中、集中」


 能力を補佐する社用デバイスを受け取った後、トオルはバンバンと頬を叩いてから選手控え室のドアノブを捻った。


 緊張はここに置いていく。今日結果を残し、事務所から新契約を勝ちとるか、新たな事務所へ移籍するしかない。つまりは負けることが許されない。人事を尽くしてもなお、天命には委ねられぬ大勝負だ。


 中は鉛色のロッカーが延々とつづいていた。一番端に陣取り、バッグの中に入っていた防刃繊維ボディースーツに着替える。耐衝撃ヘルメットを被り、腰にデバイスを帯刀してからブーツの紐をむすんだ。


『んで、今日の試合ってのはどんな感じなんだ。予選ってのは“ばとろわ”っつうやつなんだろ』


 宙を浮きながらウロウロとさまよっているアークが、ロッカーに腰かけた。


「うん、大体は五十から百人くらいの選手が一斉に戦って、そのうちの数人が明日以降の決勝トーナメントに進める、って形かな」

『ほー。優勝賞金はいくらなんだ?』

「優勝って、そんなのグレードⅣの地方大会でも無理だよ。目標は賞金の出る予選突破。今回はかなり大きい大会みたいだし』


 トオルの最高成績は、首都街区八王子市南町オープンという中学生向けの地方大会優勝だ。レベルが格段に上がる高校ではラウンド三二さえ数度しかない。


 なお、基本的に本戦からが大会だと見做され、予選敗退者には賞金どころか参加賞さえ貰えなかったりする。


 アークは呆れてみせると、白銀の籠手から覗く筋骨隆々とした褐色の腕をぼりぼり掻いた。


『なっさけねぇ男だなぁ』

「ほっといてよ。僕は現実主義なの」

『ふん、昨日の夜みたいにもっと自信満々にいけよ。取り憑いててつまんねぇぜ』


 トオルは心当たりがなくて首をかしげていると、アークはどこか愉快気に言った。


『寝言でなんかほざいてただろ。私の右目がーやら、私の左手がーやら。あんくれぇの気合いで――』

「ぎゃぁぁぁあああああ!」


 トオルは真っ赤になって、悪意のない悪魔の口を塞ごうと飛びかかった。が、幽霊であるアークの身体を掴むことなどできない。


 アークは弱みを見つけたと目庇の奥で嘲笑を浮かべ、高らかに哄笑をあげながら奥へ奥へと逃げていった。


『んな恥ずかしがるこたぁねえだろ? 言ってたじゃねえか。“私こそが、三界の覇王だ!”ってな。カカカ、こんな愉快なネタだったとは』

「忘れろぉぉぉっ!!」


 幽霊? のアークは当然ながら物質をすり抜ける。壁や扉など関係なしだ。だが、当然生の肉体を持つトオルは現実に干渉する。


 唐突にアークが扉の向こうに消えたことで、勢いを消せないまま突っ込んでしまった。


「いてて……もぉ、覚えてろよ」


 鋼板性の開き戸はトオルの体重に耐えきれず鴨居を削りながら開かれた。地面に転がって打った頭部を抱える。


 そこでトオルはハッとした。


 たいそう愉快げに腹を叩くアークの他、轟々と居並ぶ強者たちを発見したのだ。


『あぁ? なんだこいつらガン垂れやがって』


 そこは、狭い通路に固いベンチ椅子が並べられた選手待機場だった。


 神経質そうに自分の得物を調べる眼鏡の男、上背百九十はありそうな顔に傷を持った大男、たんたんと忙しなく貧乏ゆすりを繰り返す妙齢の女性。皆、ベテランの風格を漂わせている。


 そんな彼らの眼差しが、トオルの細身に向けられていたのだ。


『おい、こいつら全員ぶっとばして――』

「あ、あは、あはは。た、大変失礼しましたぁぁ」


 トオルはパンパンと埃を払ってから逃げるようにして隅っこの椅子に引っ込んだ。


 肩をすくめて小さくなる。そうしていれば、やがて視線は霧散した。


『お前なぁ、まぁたヘラヘラしやがって。こっから試合だぞ。全員ビビらすぐらいの気合いでいかねぇと』

「で、でもこれ、学生の大会じゃあ」


 てっきり高校生向けの指定大会だとばかり思っていたのに。試合前の緊張も相まって急激に胃のなかがムカムカしてくる。トオルは重たげな息を吐いた。


『あぁ? 何今更臆病風吹かれてんだ』

「だ、だって、僕一般の大会なんて出たこと」

『関係あっか、アホ。死ぬわけじゃあるめえし、もっと堂々胸張っていけや』

「う、うん」


 そう返したものの、俯いたまま顔をあげられない。膝を抱え出したトオルに、アークは深いため息を吐いた。


『……これだからガキは。あーおい。あれ見ろよ、同い年ぐれえの奴がいるぞ』


 アークが指差したのは、ぽつんと周囲の輪から外れた少年だった。


 黒いボディースーツの上から紺のジャケットを羽織っている。裏に複雑な刺繍があるところを見ると、あれもなんらかの補助機構だろうか。サラサラと綺麗な黒髪をおかっぱにして、足を揃え、両手を膝に乗せる姿は、良家の子息そのものだった。


『ちょいと話してこいよ。んな緊張してたら実力なんて出せねえぜ』


 まあ一理あるか。緊張を紛らわすためもあって、指示されるままトオルは彼に声をかけた。


 正面を向いた彼の貌はとても整っていた。くりくりとした瞳、切長のまつ毛。赤みの差す唇がとても艶やかだ。胸部装甲が完全に男性用であることを確認しなければ、一瞬美少女かと見紛うような美貌だった。


 一瞬、ごくりと唾を飲み込む。トオルはすこし吃りながら右手を軽くあげた。


「や、やあ。と、隣いいかな?」


 その少年はにこりと微笑むと、綺麗な手で隣の席を譲ってくれた。


 彼にはさっきの男たちのような険悪さは見て取れない。歳近い少年の存在に、透はそっと胸を撫でおろした。


「えーと、ショウ君でいいのかな? よろしくね」


 彼のバッグに「晶」と書かれた名札を見て、言った。


「ショウ? えっとごめん?」

「あ、馴れ馴れしかったよね。お互い頑張ろ、っか」

「ぷ、あはは。何言ってるのさ。ボクたちはライバルだよ」


 その少年は、口元を隠しながら上品に笑った。


「予選はサバイバルなんだから。もしかしてだけど、君も初挑戦なの?」


 トオルはこくんと頷いた。


「そうなんだ。なら、ツアー初挑戦同士のボクたちは本当の意味でライバルなんだね。えっとキミも高校生、で合ってるのかな」

「そうだけど……ツアー?」

「えーと、AMPのツアーだけど知らない?」

「ハッ、テメェら馬鹿にしてんのか。ここはガキのお遊戯会じゃねえんだぞ」


 首を捻る少年を遮ったのは、苛立たしげに椅子の上で胡座をかいた男だった、側頭部を剃り、そこに黒い龍の刺青を彫り込んでいる。いかにもな風貌だ。


 和やかな歓談の空気は一瞬で吹き飛んだ。


 トオルはあからさまにうろたえて、助けを乞うようにアークを探す。しかしその本人は、地面から顔だけ出して女性選手の絶対領域を破らんとしていた。


(アークゥゥゥっ!)


 実際のところ、現実になんら影響を及ぼせないアークでは、ちょっとした悪戯で溜飲を下げる役割しか果たせない。それでもトオルは、この空気に呑まれまいと心の拠り所を探していた。


「なごみ世代かっつーんだ。大会の格も知らずに今更お手々繋いでいっしょに勝ちましょうってか。いいかガキども、そういう子供のオママゴトを持ち込んでくんじゃねえ。

 けっ、どうせテメェらはどうせ予選敗退なんだ。んでそのあと、そっちのカマ野郎に慰めてもらおうんだろ? はっ、“あーん、この悲しさを癒やしてぇっ”てか。男同士でキメェ野郎どもだぜ。ああ、ムカつく、ムカつくぜ。この神聖なる日本ツアーを、学芸会かなんかと勘違いしているボケどもが。いいかぁ、そのフワッフワな頭に刻み込んどけ。大会を征するのは、いずれ世界中の女どもを跪かせるこのニュースター大蛾嫌人さまだってよぉ!!」


 爛々と歪んだ金壺眼に、トオルはひっと小さな悲鳴をあげた。


 それで気を良くしたのか、男はせせら笑いながら特攻服じみた上着を羽織り、ベンチから立ち上がる。そしてさらなる罵詈雑言を浴びせようと、残忍な表情を浮かべながらにじり寄ってきた。気の弱いトオルはオロオロと周囲を見渡すばかりだ。


 男の手がトオルの胸ぐらを掴み上げる。


 しかし同時に、電光のような速さで光が閃いた。


 潰された切っ先が男の首筋に突きつけられる。その持ち主――隣に立つ少年は暗い表情で言った。


「カマ野郎? 訂正しろ。ボクは男だ」


 すっと冷えた声で詰問する彼には、さっきの優しげな雰囲気など一切なかった。「あ、う……」などと男は息を詰まらせている。


 白昼堂々の刃傷沙汰に気づいたのか、各々己の信じるまま大会に向き合っていた選手たちが非難の声をあげた。しかし、それはある言葉を皮切りに一変する。


「おい、あいつ」

「ああ。“剣聖”朝来野武臣の息子だ」

「くそっ! なんでBブロックなんかに」

「ビビってんじゃねえよ。親父は親父、関係ないって」

「ってアンタ、手震えてるわよ」

「なぜですか神様、なぜこの私に斯様な試練を……!」


 周囲のざわめきは耳障りなほど高まってゆく。喧騒を嫌がったのか、少年は「カマ野郎」と言われたときより昏い目でぎろりと男を睨みつけた。


『おいトオル。朝来野ってたしか遠見の魔法……じゃなくて”てれび”だかなんかで言ってた』


 地面からせり上がってきたアークが頤に指を当てる。トオルはごくりと生唾を飲み込んでいた。


高校生(HSSO)ランキング一位の、あの朝来野晶)


「てめぇ……いや、あなたさまは朝来――」

「朝来野は関係ない。此処にいるのはボクだ!」


 少年の指先に力が篭り、鈍色に光る刃が突き出される。


 不利を悟ったのか、男は小さく謝罪すると居心地悪そうに化粧室へと姿を消した。


「あ、あの、さっきは……」

「あー、それよりも」


 少年は刀状のデバイスを鞘に収めながら、言った。


「君はもしかして、大会のことを知らないのかな? もしそうなら、彼の言い方は乱暴だったけれど棄権したほうがいいかもしれない」

「えっ……」


 彼は優しげな目をしていたが、その奥に宿る光が変わっていることに気がついた。


 冷たい目だった。いや、違う。何の感慨も持たない目だった。大蛾嫌人に向けたのと同じ、自分のライバルだとは微塵も思っていない。弱者に向ける目だった。


「君の事情は聞かないよ。どうしてこの大会に参加したのかも。でもティアⅤの大浜オープン、プロツアーは遊び気分だと怪我をするから」


 開始十分前のブザーが鳴る。それ以降、朝来野晶という少年は椅子に腰かけて身じろぎ一つしなくなった。


 それを呆然と眺めていたトオルは、彼の言った言葉をずっと反芻していた。


 ティアⅤのプロツアー。


 つまりは、契約選手から実業団選手が出場する“プロ向け”の公式戦だ。


 高校生大会でさえ勝てないトオルは、その顔を蒼白を通り越して土器色へと転じさせた。


 かくして、夏目透の去就を賭けた大会予選が始まった。




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