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10/27

2-4:

「ぷべらっ」「たぁんすっでごんすっ!」


 二、三、四限授業、組手の部。


 試合結果、一蹴。男たちはピンボール玉のように跳ね飛ばされてゆく。礼讃の声が鳴り止まない。訳もなく、ただ虚しく吹き荒ぶ風にトオルは背中を預けていた。


 だだっ広い合成樹脂製のハードコートにて、右近・権左両名を昏倒させたアークがくしゃみを一つする。遅れてやってきた感覚にトオルは震えた。


「ぎょぇぇ身体が」

『あぁん? そんくらい我慢しろよ』


 アークは痛みなどまるでなかった風だ。勇者か否かこそ定かではないが、歴戦の士に違いないようで、クラスの荒くれ者二人組をいとも簡単に屠っている。


 世界中が人生を賭して挑戦するMMAを児戯と評するだけあって、その技量、志はトオルなどとは比べものにならなかった。


(やっぱり、すごい)


 大浜オープン、そして授業を通じ、その隔絶した武にトオルは僅かながらの尊敬を覚え始めていた。


 通常、MMA競技者は親や道場などから技を磨き、基礎を固めた状態で野に繰り出す。公式戦が開催される中学以降では、生徒を抱える学校側も指南を受けることを公に推奨していた。


 これはいわば、自ら指導力不足を認めるようなものだが、そこは今更だろう。


 昔から塾や通信教育が蔓延る日本社会において、学校に求められるのは社会教育と集団意識の植え付けである。つまり要約すると、昔からエリート教育などは、個人の活動が大きな部分を占めることは言うまでもないことだった。


 が、その例外が今も羨望の眼差しを向ける夏目トオルである。


 やぁ、たぁ、と各々の流派の型をなぞる同級生たちを尻目に、彼の師は動画配信サイト上の有名選手の試合切り抜きであった。


 中でも彼一押しが、最強と名高い十六夜長秀だ。弱いのは至極当然だと思えるほど、劣悪な環境といえるだろう。


 トオルの目は自然、アークの一挙手一投足に吸い寄せられていた。


『お前は気合いが足りねえんだよ、気合い』


 まあ、だからと言ってアークが師として優れているわけではないのだが。


 額から流れる汗を拭うと、トオルはとぼとぼ貸し出し用の棍棒型デバイスを倉庫に戻した。


 城西大附属高校は、競技に力を注いでいる。その選手数など生徒総数の半分にも及んでいるほどだ。卒業生の莫大な寄付もあり、設備はどれも最新式だった。


 今使っていたセーフティ付き棍棒もその一つである。試合用であるトオルの社用デバイス(IHR)――「岩城重工社製打刀改」と似たようなお値段がする。


 さすがに近在一の金持ち進学校だと、事務所のコネ入学に感謝した。


(そういえば、刀は恋人のように扱えって誰かが言ってたなぁ)


 社用と名前がつくように、トオルの武器は会社の備品だ。校内試合においても学校貸し出し用を使っている。


 つまりあれか、レンタル彼女なのか。


 しょうもない考えを振り払ったとき、ポンポンと肩を叩かれた。


「夏目くん。少しいいかな?」


 振り向いた先には、髪を刈り込んだ三十路の体育教師が、柔和な笑みを浮かべて立っていた。


 背後には、隆々とした大胸筋が目立つ男子生徒が控えていた。


 ゴツゴツと岩のような腕を組み、百九十もありそうな彼は、上背のあるトオルでも見上げなければならないほどの巨漢だった。


「あ、はい先生。なんでしょうか」

「いやなに、少し小耳に挟んでね。この前の大浜オープンの話なんだけど」


 小声で囁くよう切り出した教諭は、細められた目の奥だけを動かし、訝しげな様子を隠さない巨漢へ視線を送った。


「柴田くんに予選突破したのは君じゃないかと聞かれてね。それは本当なのかい?」


 トオルは曖昧に頷いた。


「おお、すごいじゃないか。長尾くんといい、雲林院くんといい、近年は度肝を抜かれる生徒ばかりだよ。いやいや、後で横断幕を作らないと」

『カカ、戦ったのはオレ様だけどな』

「もう、茶々入れないでってば」


 虚空を凪いだトオルを、まるで異星人をみるような目で教師が見つめた。


「あ、す、すみませんこれは」

「……いや、いいんだ。趣味は人それぞれだから」


 これがなごみ世代流行りのエア友達か、と戦慄するよう呟いた教諭は、いつにない優しげな表情となった。うん、アーク殺す。


「それで良ければだけど、一度彼と模擬戦をしてはもらえないかな。いやなに、君は冬休み以来一度も登校していなかっただろう? 腕を上げたのなら一度見せて欲しいんだけど」


 ダメかな、と尋ねる彼のうしろで、巨漢の生徒が押忍との太い声で気合いを入れた。


 その眼には疑惑が渦巻いている。こんなやつが、とさえ言いたげだ。事実、トオルは学校内でも冴えないほうだ。常識的にプロの大会で好成績を望めるはずがない。


 一方、巨漢――柴田家久は一年E組の中でトップの成績を残す生徒だ。校内戦で苦杯を舐めたのは数知れず。HSSO(高校生)ランキングでも二十万以上遅れを取っている。


 教師側としては内申点を上げてやろうとする善意なのだろうが、ドロドロとした嫉妬心に気づいておらず、ありがた迷惑となっている。


 されど教師の言葉だ。断ることもできず、あれよあれよとトオルは、防具をつけて競技場の真ん中に突っ立っていた。


 取り囲むようにしてクラスメイトが歓声をあげている。多くは柴田を讃えるものばかりだ。中には「あいつが?」「つかそもそも誰?」「ナッツーっしょ」と大浜オープンの結果を疑問する言葉が公然と囁かれている。


 柴田のファンなのだろうか。制服の裾を振り乱し、キンキン声で応援する女子が校舎の窓からのぞけた。


 互いに持つのは得意武器だ。柴田は槍、トオルは刀だ。試合用と同じ能力補佐に加え、知覚能力も助ける。


 また、与えたダメージを計測し、安全対策のためのセーフティ機構も完備されていた。


「ね、ねえアーク」

『はぁぁ、やる気出ねぇなぁ』

「ちょ、ちょっと嘘でしょっ」

『どうせ見掛け倒しの肉饅頭なんだろ? オークは見飽きたぜ』


 辛辣に言ったアークは、飄々飛んだまま帰ってこない。


 そんなことを知らぬ教諭は、今にも合図を出そうとしていた。


「アークぅぅぅっ」

『ったく、男がんな情けねぇ声出すなよ』


 仕方ねぇと呟きながら、背後に回ったアークが両肩を掴む。


 同時、強烈な電子銃声が鳴り響き、立ち会う巨漢が全身を唸らせながら突貫してきた。


『じゃあ、いくぜ』


 そして来たるは全能の力。世界が止まり、あらゆる理から解脱する。


 あとは無我の境地へと向かうだけ。後に残るは敗者の瓦礫と、頂きに立つ己が待っている。


 そう、三界の覇者となるのだ。


 己が瞳に赤い輪が浮かび上がる。チカ、チカ、と弱々しく明滅しながら。


 そして――暴虐の全能感はいつまで経ってもやってこなかった。


『あー悪りぃ。なんか無理だわ』


 は?

 えっ、は?


 首を振りながらアークが言った。時計の針は動いたままだ。風を切る柴田の矛が、今か今かと唸っている。もちろん、持てる武器はトオルの意志それだけ。


 いや、今言わないでよ。


 呆然とするトオルの眼前で穂先が大写しになった。


「ぎょぺぶ!」


 痛烈な一撃で視界に星が流れる。


 無様に倒れ、トオルは保健室へと運ばれたのだった。



 § § §




ハヤシ:『そういえば今日更新の高校生(HSSO)ランキングではじめて三十万位台を切ったね。新しいグッズ販売があるかもしれないな』


ユー:『やった』


ハヤシ:『うん? 今日はユーだけかい?』


ユー:『そう』


ハヤシ:『そうか。まあ古参と威張るくせして競技自体には興味ないようだから、案外どうでもいいのかもしれないな』


 ファンサイト「インビジブルズ」から目をあげたトオルは、痛む頬をさすりながらベンチに体重を預けた。


 グラウンドでは、生徒教師一同部活動に精を出している。チーム長尾と呼ばれる城西大附属の第一倶楽部が、項垂れるトオルとは対照的なまでに溌剌とランニングへ励んでいた。


『いやぁ、こんな落とし穴があるとは』


 寝そべってスカートを覗くアークが、言った。


「次は先に言ってよね」

『オレ様も知らねぇんだから仕方ねぇだろうが』


 二人が言い争っているのは、アークの持つ力――憑依能力についてであった。


 異世界の勇者をその身に宿し、隔絶した力を得る。これを、トオルは何の確信もなく永続な力と捉えていた。


 それも当然だろう。


 基本、現代人はMMAに使用する能力を、科学的に検証のなされた技術と見做す傾向があったからだ。


 SUPER NATURAL POWER――通称SNP能力とは、外界に漂うEV粒子を体内に貯蔵・変換し、思念としてデバイス(IHR)に送りこんだあと現実世界へと作用させる代物だ。概念超能力(SPK)を除けば、念動力、身体強化など、物理的な能力が多い。占星術や陰陽術といった伝統ある方法もないではないが、胡散臭いと思う人間が大半だった。


 つまりトオルからすれば、魔法やその勇者など理解の埒外だ。自然、万能の御技と捉えるのも致し方ないだろう。


 そして、アーク自身が事象および解説に門外漢を気取ると、当然真相はわからないまま闇に葬られた。


「一時間で約三分。正確には二分と四十三秒、か」


 それが検証の結果判明した憑依時間だ。ただし、解除と発動を切り替え、持続時間をプールすることはできる。どこぞのウルトラ○ンよりは使い勝手が良かった。


 なお、そんなことを露ほども解さぬクラスメイトたちは、何の抵抗もできずに打ち倒されたトオルをまるで偽物のように扱い、柴田に至っては不正だと公言して憚らなかった。


「あ、その、わたしでは力不足ですから……」

「そんなことないって、ほらさ」


 放課後の喧騒に身を浸しながら、思考の海へ潜ってゆく。一方、時間制限などどこ吹く風と、アークは気楽な態度を崩そうとしない。


 いや、事実他人事なのだ。引き起こす事故も何も、すべてトオルが引き受ける。しょせん、幽玄を漂うようなものなのだろう。実体さえないのだ。必死になれと叫ぶほうが馬鹿を見る。


 飽きもせず食い込み調査しているアークに、ふと閃いた。


「ねえアーク。この力さ、 勇者降臨 グランディオーソ・アドベントって呼んでもいい?」

『…………好きにしろよ。それよりおい、今からどうすんだ?』

「うーんと、バイト探しかな。前のはクビになっちゃったし」


 トオルが言っているのは、先日までアルバイトをしていた中華料理店のことだ。先日の騒動でシフトを増やそうと嘆願した結果、国民証を剥奪された事実を突き止められ、晴れてお役御免を賜っていた。


 月々手取り五万――事務所の給料――プラス賞金では、家族五人など到底養っていけるわけがない。彼が学校に通えないのは、日がな額に汗かいて働かないと困窮する未来が待っているからだった。


『まぁた仕事かよ』

「アークだって僕が飢えたら困るでしょ」

『その前に退屈で死ぬぜ。なあおい、せめて手軽にパコれる女はいねえのか?』

「ぶっ!?」


 トオルは勢いよく咳き込むと、目をパチクリさせて絶句した。


『っち、この反応。お前童貞かよ』

「あ、当たり前でしょっ。高校生なんだし」

『そうかぁ? ホーフェンならお前ぐらいの歳で女を侍らしてたが』

「一緒にしないでよ。というか誰さ?」

『いけすかねえ野郎』


 アークは目庇を上げると、ペッっと唾を吐き捨てた。


『まぁいい。なら今から引っ掛けろ』

「無茶言わないでよ」

『ランクは、そうだな。あの女ぐらいか』

「聞いてないし」


 トオルは渋々顎で示された先を追った。


 学内に設置されたサイネージは、麗しい甲冑少女たちがなにやら口汚く罵り合うのを映していた。


「あ、今流行りのドラマ(ちゅうしんぐら)だ」

『ちゅうしん……んだって?』

忠唇蔵(ちゅうしんぐら)。たしか四十七人の赤穂女浪士が、婚約破棄された藩主浅野のためにどろっどろの復讐劇を繰り広げる昼ドラ、だったかな?」

『何がおもしれぇんだ、それ』

「二次元専門だから、僕。えーと、この子はたしか|アイドルのなんとかリノさんだよ」

『まぁ背景は何でもいいが、ツラは最低このレベルだな。しっかしいいケツしてやがる。ああ、揉みしだきてぇぜ』


 アークは両手を胸の前に持ってくると、指をワキワキと卑猥に動かした。


「こんな美人さん簡単に見つからないって」

『ならコイツでいいじゃねえか』

「いやいやいや、それは無理だから」

『はぁ? なんで』

「いやだってアイド……アークの世界で言うとお姫様みたいなものだよ?」

『ならヤり放題じゃねえか』

「は? ……あぁ勇者だから」


 トオルはポンと掌を拳で叩くと、卑猥に腰を振るアークの素性を今更ながら若干理解した。


 世界が違いすぎて、もう嫉妬どころではない。勇者とは、箪笥の中身だけでなく王国の秘宝すら自由にできるようだ。正直、トオルに流れる燃えたぎる血(厨二ごころ)が高ぶって仕方なかった。


『あのションベン臭えガキは願い下げだしなぁ』

「一応釘を刺しておくけど、ひかりは家族だからね」

『っち、折角の張り子じゃねえ生棒が持ち腐れだぜ。なぁおい、お前はオレ様と契約したんだ。ならついでに楽しませる義務ってのがあるんじゃねえか?』

「横暴すぎるよ。というかそもそもアークの願いって何なのか聞いてないし……」


 そこでトオルは、一つの疑念に行き当たった。


 アークは今、なんと言ったのだろうか。張り子じゃない生棒? 普通、男がそんな言い方するだろうか。いや、無論不愚者であれば可能性はあるが、その物言いは性に対して貪欲だ。不能を嘆くようには見えない。


 そうして元々の先入観から逃れると、アークの纏う胸部鎧が、僅かに曲面を描きながら流れていることに気がついた。


「え、え、え……ええっとごめん。アークってもしかして、女なの!?」

『はぁ?』


 吃音症患者のトオルを、アークは呆れた様子でみやった。


『当たり前だろ。何言ってんだ』


 未だ疑いの眼差しを向けるトオルにため息一つ吐くと、胸の装甲を外そうとしてから首を振り、パチンと指を鳴らした。


『脱ぐのはダリィな。仕方ねぇ、全部消すか』


 そしてアークは、纏う装甲すべてを粒子へと変えた。


 鉄兜の下から現れたのは、それはもう、誰もが感嘆のため息を吐くであろう美しい貌であった。


 闇に溶かされたような紫紺の髪は、肩甲骨あたりで切り揃えられている。


 長い睫毛の中にある瞳は、水面に石でも落としたような波紋が広がり、妖しい青緑色をしていた。


 内面の豪胆さを表すように唇は横に大きく開き、尖った犬歯がにゅっと突き出ている。


 健康的な蜂蜜色の肌が、彼女の野生を強く印象づけていた。


『どうよ。ま、お子ちゃまには目に毒でちゅかねー』


 堂々と腰に手を当て、全身を惜しげもなく晒している。


 たわわに実った乳房、濃い陰毛で覆われた秘部を隠そうともしない。脚を大開にしているせいで、安産型の臀部から不浄の穴まですべてが丸見えであった。


 しかし、トオルはその肉体に、一ミリたりとも異性を感じなかった。


 いの一番に目を奪われたのは、首から肩にかけて盛り上がる僧帽筋だ。加え、隆起した三角筋と上腕筋。腹直筋は鍛え上げられ、笞刑を受けたかのような痕が走っている。さらには、おびただしい刀疵に目を奪われた。括れとは天と地ほども違う腹斜筋がいっそ見事だった。


 世界のボディービルダーが裸足で逃げ出すような、異常なまでに鍛え抜かれた肉体だ。


 そう、それはもう見事なまでに――バッキバキだった。


「ねえアーク」

『はぁん、さては勃起したか』

「それってさ、筋肉?」


 金属のように黒光りする大胸筋を指差す。もはや雌ゴリラの胸板だ。


 トオルの眼差しは、雄大な自然を前にした子供のように純粋だった。


『おまえ……』


 夜叉のように低くアークがつぶやいた。長いまつ毛の上瞼が瞬き、その下の瞳が、薄ら寒いほどの昏さをもって沈んでいくのが見えた。


「あ、あの、だから……!」


 校舎の二階から、少女の絹を裂いたような甲高い声が響いた。


 アークの唇が三日月のように歪む。トオルはぞわりと背筋を震わせた。


『なあおい、ちょっと身体貸せよ』


 有無を言わせずアークが憑依すると、パルクールの要領でひょいと庇に飛び移った。


 開いていた二階の窓枠に脚をかけ、廊下を覗き込む。夕日の差す校舎は影が落ち、どこか侘しい雰囲気が漂っていた。


 まだ微かに男女の話し声がする。一年E組、トオルの所属する教室からだった。


 問いかけどもアークは耳を貸さず、唇を三日月に歪めて怪しく笑っている。


 その意味は、さっぱりわからない。大方、この先で行われているのは男女間の惚れた腫れただろう。良家の子息子女が通う有名進学校で大層な揉め事が起こるはずもない。


 なんなら勇者(アーク)のことだ。いらぬ正義(ありがためいわく)を為そうとしているのかと邪推できた。


「感謝しろよ、童貞」


 アークは激しく舌舐めずりして教室に飛びこんだ。


 カーテンの揺れる教室の隅で男女が話し込んでいる。鞄を胸の前で抱える女子に、男子側が執拗に詰め寄っているようだ。よく見ると、女子の眦には涙がうっすら浮かんでいた。


『あら、ホントにやばそう』


 聞こえるはずのないトオルの呟きに、両者はそろって振り向いた。女子はあからさまにホッとした顔、男子は邪魔者を見るような険しい眼をした。


 アークが無遠慮に割って入ると、男が激しく詰め寄ってきた。


「なんだぁ、陰キャのくせにしゃしゃり出てくんじゃ――」


 唾を飛ばして怒鳴った男子は、啖呵を最後まで切ることなく、白目をぐるんと剥いて昏倒した。


 素知らぬ顔で暴行勇者が裏拳を振り抜いている。


 崩れ落ちた男を足蹴にすると、アークは女に近寄った。


「あ、あの、ありがとうござ――透くんっ!?」


 恐怖から解放されたのか、子鹿のように脚を震わせていた少女は小さい手で口元を覆った。


 いつもは凛々しく清楚な鳶色の眼が、長いまつ毛を瞬かせ、大きく見開かれている。


『あ、古賀さんだ』


 耳を傾けたか定かでないアークは、魔王のような邪悪極まりない顔で右手を伸ばした。


 その少女――古賀陽菜のブレザーに包まれた左胸へ。


 ふにゅん、と間抜けた音が脳裏で再生された。


 途端、トオル側に主導権が戻ってくる。大映しとなったのは、機能停止した少女と、膨らみに指を沈み込ませる自分だった。


 掌全体で、フランネル繊維と心地良い温もりを感じる。


 安堵に満ちていた表情がギュルン、ギュルンと急転した。


「き、キャァァァぁぁぁぁあ!」


 二月七日午後四時二十三分。


 夏目透十六歳、無職。


 刑法一七七条、強制性交等罪の容疑で現行犯逮捕された。






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