第9話 願い
私たちは村の入り口近くでエノクと合流し、村の様子を見て回った。
家屋や建物はさほど襲撃を受けているようには見えなかったが、至る所に見える血の跡が、私たち3人の顔を歪ませる。
ーー待機班のみんなはどうなったの……?
辺りを見回しても、怪我人はおろか人の気配は一切なく村全体が静まり返っている。
「異様だな」
エノクがぼそっと呟いた。
カタンと音がして、振り返ると近くの家を調べていたエルが今までに見たこともない剣を2本、手にして戻ってきた。
私はその剣を凝視した。
ーー森で見た剣と似てる……。
「それ……」
私が剣を指差すと、
「何もないよりは、いい」
エルがそう言いながらもう1本の剣をエノクに渡す。
「そうだな」
エノクが仕方ないような顔をしながら、差し出された剣を受け取る。剣の刃がギラリと光るのが見えて、身体がゾクっとした。
ーーそうだ、私たちには戦う武器がない。戦えるなら、戦わないと……。
「……私は?」
エルとエノクが顔を見合わせた。
するとエルが
「2本しかなかったんだ」
「そ、そう……?」
ーーえ、待って。私は丸腰ってこと?
私が自分の手を見つめていると、エルが言った。
「リアには護身用にナイフを持たせよう」
それを横で聞いていたエノクが、うんうんと頷いた。
ふたりの剣を持たせてもらったが、私の腕ではその剣を持ち上げることすら出来なかった。私にとってはその重い剣を、2人は軽々と持ち上げては振り上げていた。その姿を見て、私は護身用のナイフを探しに近くの家に入った。
私とエルは台所でナイフを物色していた。
人気のない家は、シンとして不気味だった。足音さえも家中に響きわたるほど静かだった。私が手に取った料理に使用するためのこの小さなナイフでさえも、それが身を守るためのものだと分かっていても、身体が震えるほどに恐ろしいものに見えた。
ーー当たり前だ、使用目的が違うのだから。
ナイフをいくつか見繕っていた時、外でガタンと音が聞こえた。
「ぐっ」
ーーエノクの声。一瞬で身体が恐怖に包まれた。
「絶対に外に出ないで」
そう言ってエルは家の外へ飛び出して行った。
身体が恐怖で固まってしまい、私はその場所から動けない。
家の外からキイン、ガキンという聞いたこともない金属音が響くたびに身体が恐怖に反応してしまう。
ーー身体が動かない、動かせない。……どうしよう。
私はガクガク震える足を何とか押さえつけながら、壁をつたってキッチンの小窓から外を覗いた。
見たくもない光景が目に飛び込んできた。
森で見たあの人達とエルとエノクが戦っていた。
ーーやめて。
敵も味方も関係ない。
剣を振りかざし命を奪い合うその行為の意味など、私は永遠に知りたくない。
己のために誰かの命を奪う理由などどこにも存在しないことを私は知っている。
それでも目の前に起きている残酷な現実が、それを正当化している。
生きるために奪う。
ーーなんて無力なんだろう。そして私は何も出来ない、戦えない。
外からは剣がぶつかり合う音がしばらく続いた。
私は壁に寄りかかったまま、自分の口を押さえるのに必死だった。手を離してしまったら恐怖で叫び出しそうだった。声にならない恐怖が私から飛び出してしまうのが怖かった。
キインッと一際甲高い音がした後、外が静かになった。
誰の声も音も聞こえない。
私は再度小窓から外を見た。
庭先でエルが呆然と立ち尽くしており、周りに立っている人はいなかった。彼の足元に誰かが倒れているのが見えた。
勝手に震える私の足を拳で思い切り叩き、私は何とか立ち上がって玄関のドアを開けた。
昨日までは確かに平和だったこの庭は、たった一夜で凄惨な場所へと変わった。
芝生は真っ赤に染まり、植えられた花たちは無惨に散らばっていた。
私は腰が抜けて地面に座り込んでしまった。
自分から卒倒してこの目の前の現実から逃げてしまいたかった。
エルが私に気づき、彼がその視線を向けた先にはエノクが倒れていた。
遠目からもエノクは出血が酷いように見えた。
私は立ち上がれず、這いながらエノクに近づいた。
倒れているエノクの身体を見ると、剣でつけられた深い傷がいくつもこの目に飛び込んできた。出血が酷く意識もないが、彼の心臓はまだ動いている。
ーーまだ助けられる……!!
ほんの少しの安堵を超える恐ろしさと心の痛みが込み上げてきてしまい、私は嗚咽しながらエノクの治療を始めた。
後ろでドサっと音がして振り返ると、エルがその場に座り込んでいた。
エノクの治療を一旦止め、私はエルの元へと這っていった。
「エル……」
エルの元へ行くと、彼の顔は血だらけで額から右眼にかけて大きな傷を負っていた。血の気は失せており、赤く染まった服を見て私は更に怖くなった。そして身体に触れた時、ものすごく嫌な予感がした。私の手についた大量の血が、彼が負った傷の深さを物語っていた。
彼の身体には切り傷以外にも鋭い剣が貫通した傷がいくつもあり、内臓の損傷により大量出血を起こしていた。あまりの出血にひとつひとつ治療している場合ではない。けれどエノクの治療も始めたばかりで放っては置けない。このふたりを回復させるまでの治療をしなければならない……。
ふたりを助けなければならない。そう思った瞬間、私の本能が言った。
ーーどうやって? 不可能だ。
そう、今の私の力ではこのふたりを助けることが出来ない。
力が足りない。洞窟内での治癒に思ったよりも力を使ってしまったから。
ーーどうしよう、どうしよう。どうしたらいい?
落ち着いて、絶対に助けなきゃいけない。
エノクを助けたとしても、彼の治癒力はすぐには戻らない。
どうしよう。ふたり同時には助けられない……!!
エルの身体から、力が抜けていくのを感じる。
エノクがいる方を振り返る。
ーーどうしよう、どうしよう……!!!!
どうし……
【どうする?】
声が聞こえた。耳ではなく、私の脳に響いてきた。
過去に一度だけ、聞いたことのある声。
顔を上げると、私の目の前に小さな妖精がいた。
透けるような淡い紫色の羽根を持ち、悪戯っ子のような顔をした妖精が私を見つめていた。どこか見覚えのある妖精……。
【どうしたいの?】
妖精はニコッと微笑みながら私に聞いてきた。
「た……助けて。ふたりを、助けて……」
【出来るよ!】
その妖精は満面の笑みでそう言った。
「ど、どうやって……」
【教えたでしょ? 忘れちゃったの?】
「お、教えた……? 私に……?」
【憶い出して】
妖精の声が再度私の脳に響いた瞬間、私の子どもの頃の記憶が蘇ってきた。
ーーあぁ、あの時の。
まだ小さい頃に、私はこの妖精に一度だけ会ったことがあった。私が覚醒する前の、4歳にも満たない頃だ。
すべてを覆し再生させるという秘密の呪文を私に教えたのが、今私の目の前にいる妖精だ。小さな子どもの私に対して話しかけている妖精、その光景が鮮やかに蘇った。
《この世界でただひとり、大切な呪文を君に教えるよ。君はこの呪文を扱える力を持っているから。この呪文が必要された時、もう一度君の前に現れる。それまでは君の記憶から消えてしまうけれど》
妖精は当時と何も変わらない姿で、今私の目の前にいる。
ーー私がこの呪文を使うことを、知っていたの……?
妖精は優しく微笑んだ。
【君が決められるよ】
ふたりを助けるには、憶い出したこの呪文を唱えればいいだけだ。ふたりだけではなく、この森の再生をも促すことが出来るはずだ。すでに消えてしまった命を取り戻すことはできないけれど、負傷者の傷も治癒されるはずだ。
ただこの呪文の発動には対価が必要であり、それに見合うだけの対価を今の私は持ち合わせていない。対価は基本的に発動者の肉体の力であり、このレベルの呪文は生命に関わってくる。つまり、今この呪文と引き換えにするのは私の命ということになる。私がそれでもこのふたりを助けたいかどうかだ。
力なく地面に横たわるエルを見て、彼の傷ついた右眼に手を触れる。
ーーこの傷も、きっと元通りの綺麗な瞳に戻せる……。
ごめん、自分を大事にしろって言われたばかりなのに。
私は妖精を見た。
気持ちは最初から決まっている。
もう時間はない。
【君の選択を尊重する】
「……ありがとう」
私は目を閉じて深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
たった5文字の呪文に、強力な力が宿っていることを知っている。
《◇ ◇ ◇ ◇ ◇》
私の口から発せられた5つの呪文はそれぞれが美しい幾何学模様へと変換され、宙に舞い上がるのを見た。5つの幾何学模様が重なり溶け合い、一つになった瞬間に強く眩しい光が放射されたのを身体に感じた。私はその光の強さに耐えられず、目を閉じた。なぜだろう、目を開けていられないほどの強い光のはずなのに、どこか心地良く感じて不思議だった。
光の中で誰かが私の頭を撫でてくれていた。
優しくてとてもあたたかくて、涙が出るほどに嬉しかった。
【よく頑張ったね、後は引き受ける。また会おう】
ーー妖精さん……? うん、またね……。
ーーーーーーーーー
重い瞼のその先に、また光を感じる。
誰かが、私を抱きかかえているような感覚。
目の前に誰かがいる……。
エル……泣いてるの……?
深く傷つき、悲しみと絶望に満ちた瞳からはいくつもの涙がこぼれ落ちていた。
口を開け声をかけようとした。
声は出なかった。手足の感覚も……ない。
身体の痛みは……感じない。
そうだ、あの呪文を唱えたから……。
私の持つ力と生命を引き換えにしたんだった。
エルが何かを言っているけれど、理解できない。
そうだ、聞こえないんだ。
私の左耳はあの時すでに機能していなかった。今は右耳も、聞こえない。
エルが、涙を流している。
あぁでも、顔の傷が治ってる。
怪我をした右眼が治っている……良かった。
どうかそんなに泣かないで、悲しまないで。
ごめんね、あなたの涙を拭ってあげられない。
あなたを抱き締めることも、もう出来ない。
エルが何かを言ってるけれど……分からない……。
狭くなってゆく視界の先に、明るい光を感じた。
エルの肩越しに空からいくつも眩しい光が降り注いでいるのが見えた。
その光の中から、大きな白い鳥が私の元へと向かってくる。
なぜかあの鳥から、懐かしさを感じる。
……そう、私を迎えに来てくれたんだ。
視線をエルに戻すと、彼は何かを言い続けている。
何かを、言っている。
何か同じ言葉を、繰り返しているような……。
唇の動きを読んだ瞬間、私は私がした選択を、後悔した。
『愛してる』
あなたの声はもう、私に届かない。
確信は持てない、でもあなたの唇がそう言った。
ああ、私の勘違いかもしれない。
でも……。
『愛してるよ』
彼の唇が繰り返し伝えてくる。
言わないで。
知りたくなかった。
知らなければ最後の最後で後悔なんかせずにいられたのに。
私の選択を後悔してしまう。
あなたの想いを
私の想いを知ってしまったら
今までの私が崩れ落ちていく。
あなたを愛してしまう。
あなたから離れたくなくなってしまう。
離れたくないよ……あなたを置いていきたくない。
まだ、まだあなたに伝えていない言葉がたくさんあるのに。
……もう、伝えられない。
神様
神様どうかたった一つの願いを聞いてください。
どうかまたあなたに逢えますように
必ずあなたに伝えるから
私があなたを探しに行くから
あなたに気づいてもらえるように
私が光り輝く存在になるから
どうか待っていて
今度は私からあなたに伝える
あなたが私に気づかなくても
私からあなたを見つけるから
あなたのことが大好きだったと
ずっと愛してたと、伝えるから
目の前のあなたに伝えることが出来なかった
本当はずっとあなたを愛していたの
こんなにも後悔するなんて思いもしなかったの
すべてを受け入れてきた人生も
自分の寿命さえも受け入れ、愛する人との未来も諦めた
それでいいと思えていたはずなのに
今はただ「愛してる」とそれだけを伝えたくて
あなたは誰より大切な人だったのに
神様
この先私が本当の私として生きることが出来たなら
どうかもう一度、あの人と巡り逢わせてください
ただ一つの願いを、どうか叶えてください。
視界がぼやけ、目の前が光に包まれていくのを感じる。
私は澄み渡った青い空から眼下に広がる森を見下ろしている。
焼かれて息絶えた土地は新しい生命を吹き込まれ、優しい黄緑色の若草が芽を出している。透明度の高い命の水が、泉から湧き出ているのが見える。
あぁ、私たちの森は生きている。
眼下に見えた彼は、私の身体を胸に抱いたまま泣き崩れている。
胸が苦しい。涙が溢れてどうしようもない。
ごめんね、本当にごめんね。
先にいってしまってごめんね。あなたを置いていってごめんね。
強い風が吹き、隣を飛ぶ白い鳥が私を導くように大きな羽根を広げて旋回し始めた。
時間だ。
私は深く息を吸い、動かないはずの両腕を広げた。
両腕は力強く羽ばたき、私の身体は風と共に高く舞い上がった。
私を導く存在とともに、私が生きた世界を最後に見渡した。
緑豊かな美しい森と、生命の息吹がはるか先まで感じられる美しい世界に私は存在した。
再生と破壊の繰り返しにより、新たな命が誕生しこの光り輝く世界ですべては祝福される。
なんて愛しい世界。
【私】は、永遠にこの世界を忘れない。




