第8話 村への帰路
父と私、エルを含めた数人で洞窟を出てからしばらく経った。
先に洞窟を出発した班からは、順調に村の方へと進んでいるとメッセージが私の耳に届いている。
私の耳を心配したエノクが、1つの班に1人の神官もしくは治癒者を置くという決定を軽く覆して私たちの班に滑り込んできた。周りは何かを言いたげな雰囲気だったが、決して笑顔とは言えないエノクの無言の圧力によって彼らが声を発することはなかった。
エノクは私の右側を歩いてくれている。
エルとは洞窟内でのことがあって以降、話をしておらず、私とエノクの後ろを少し離れて歩いている。
私が自分の治癒を後回しにしたことを、エルは怒っていた。当たり前だ。正直私の考えが甘かった。後で治せると思っていたけれど、間に合わなかったのだ。私がエルの立場だったならきっと私も同じように彼に怒っただろう。
でも私は今まで治癒者として生きてきた。治癒を最優先として生きてきた。それは自分自身を疎かにするいう意味ではない。治癒者は力の限界を超えてはいけないことを嫌というほど教え込まれている。それが生命に関わることだからだ。力が尽きてしまえば他者も己すら救うことが出来なくなることを本能で理解している。だから耳については私の判断ミスであることも、私自身が誰よりも理解している。
でも……私はどこか、感情が欠落しているのかもしれない。
この力を使い果たし早々にこの世界を去る運命を幼少期に悟った私は、常に何かを諦めてきたのかもしれない。でも本当にそうかどうかは私にも分からない。私の身に起こるすべてを、抵抗もせずただ受け入れることを当たり前として生きてきた私にとっては、この耳のことでさえも「通過点」のひとつとして捉えている自分がいることは確かだ。それが私自身を大切にしていないという意味だとしたなら、きっとそうなんだろう。それでも、私はそうした思考で生きてきた。そう考えなければ治癒者としての私を全うできないと思ったからだ。
4歳で覚醒したあの日、私の世界が急速に色褪せていったことを、誰も知らない。知りたくも見たくもないこの世の真理が私を無垢な子どもという世界から永遠に引き剥がした。覚醒によって私が愛する人達、大好きな森、あたたかいこの世界に彼らと同じ未来に存在出来ないという絶望に似た諦めさえも、この覚醒の力によって早々と私の心の中に封じ込めることが出来たことに感謝すべきなのかは分からない。
この力を恨んだこともない。恨む隙さえ与えられないまま更に覚醒は進んでいく。一番愛する人に思いを伝えられない自分を哀れだとは思わない。
でも、孤独だった。ただそれだけが寂しかった。
そんな私を私は受け入れているだけなんだと、傍観している自分がいた。
ーーーーーーーーーー
私たちは村へと戻る道なき道を選び、慎重に進んで行く。
私は悩んでいた。
ーーエルに謝ろうか、どうしようか……。
でもこんな所で話し合ってる場合でもない。
このまま順調に森を進めばもうずぐ村に着くだろう。その前に何とかしたいけれど……。でも声をかける勇気がない。
隣を歩くエノクを見上げると、彼は私の気持ちに気づいているのか笑顔を向けてくれる。拳にぎゅっと力を込めて私は息を吸い込み、後ろを振り返った、その時。
「伏せろ!!!!」
人の声とシュンッという音が連続して聞こえてきた。
身体に激しい衝撃を感じて私は倒れ込んだ、と思ったらいつの間にか身体が浮いていた。
「走れ!!!!」
身体が激しく揺れて、何が起こったのかが分からない。
エルが私を抱えて……いや、私を担ぎながら全速力で走っている。
その横をエノクが走っている。
ーー何? 何が起こってーーー
進行方向とは逆を向いている私の瞳の先に映ったものは、森で見た知らない言語を使うあの人達だった。彼らが長く鋭い刃物を振りかざしながら迫ってくるのが見える。その向こうには大きな火が上がり、彼らの後ろからは矢のような物が飛んできた。
ーーお、お父さんは!?
みんないない……!!!!
相当な速さで走るエルに担がれているため身体も激しく揺れ、声を出す余裕もない。
「お……っ、おと……」
「リア、大丈夫だ。大丈夫だから」
息を切らしながらエルがそう言った。
「サエル!!」
先を走っていたエノクが手を上げ、私たちを小さな洞穴へと引き入れた。
村まであと少しの場所まで来たようで、眼下には村へと続く小道が見えた。
エノクが私たちを引き込んだ場所は大人3人が隠れるにはあまりにも狭い場所だった。エルとエノクは背も高いし身体も大きいため、見つかるのも時間の問題のように感じられた。
エルは私を抱えたまま地面に座り込んだ。
その肩は上下に大きく動き、額からは汗が流れ出ていた。私が女性とは言っても、人を1人抱えての全力疾走をした体力消耗は計り知れない。
エノクが小声で私たちに言った。
「怪我はないか? 村まであと少しだ、見てくるから待ってろ。でも危なくなったら逃げるんだ、いいな? サリア、連絡するから」
うん、と私は頷く。
エノクは周りに落ちている木々や葉でバサバサと私たちを覆い、穴の入り口を塞いで村へと降りていった。
「エル……大丈夫? 抱えて走るから……」
私はエルの額の汗を拭った。
エルはまだ大きい呼吸を繰り返していた。汗で顔に張り付いた前髪を分けると、柔らかい髪の隙間から彼の深く青い瞳が私を捕えるかのように真っ直ぐに見つめてきた。
いつもより深く濃く感じるその瞳に、私は一瞬吸い込まれるような感覚になった。
「……怪我は?」
鋭い視線と絞り出すような低い声で聞かれて、私は驚いた。
念のため見える範囲で身体を確認してみるが、怪我はなさそうだ。というか、エルの膝の上に座っている状態のためちゃんと確認はできていない。
「え? ……えっと、だ、大丈夫みたい」
私がそう言うと、エルの瞳に明るさが増していくのが見えた。
「……はあーーーー、よかった……」
エルは大きくため息を吐いて私を抱きしめた。
私を抱きしめるその手が小刻みに震えていることに気づいた。お互いの恐怖と震えを分かち合うかのように、私もその大きな背中を抱きしめた。
久しぶりに感じた、いつもと変わらない彼の温もりが今日私に与えた今までの恐怖を打ち消していくように感じられた。こうしてエルといられることが私には何より嬉しかった。
ーーああ、よかった……。
そうだ、お父さん!!!!
「ねぇ、お父さんたちは!?」
エルから身を剥がし、つい声をあげてしまった。
「しーーーー!!!!」
エルが慌てて私の口を手で塞ぎ、小声で言った。
「大声出さないで……」
私はモゴモゴしながら頷いた。
「ごめん……」
「……実は洞窟を出る前におじさんたちと決めていたんだ。何かあれば俺がリアを抱えて走るって。エノクも知ってる。今、俺たちは戦えるものを持っていないからまずは分散するとにしたんだよ」
「抱えて走るって……私だって走るくらいは……」
「……悪いけど、リアの足じゃ今頃捕まってたよ」
「……!!!! そ、それはそうかもしれないけど……言い方!!!!」
懲りもなく声を荒げそうになる私の口が再度彼の手によって塞がれる。
エルの視線は洞穴の入り口に向けられている。
私がコクコクと頷いてもエルは首を横に振り、私の口を塞いだままこう言った。
「おじさんは……きっと大丈夫だよ。他のみんなも。誰よりもこの森に詳しいだろ? ……だから大丈夫だよ」
エルは私の口を塞いでいたその手を、ゆっくりと離した。
もう私が叫ばないと思ったのだろうか。
私を諭すような話し方は、いつもの彼と何ら変わりない。
「大丈夫だよ」
安心できる声が私に届いた。いつもの声だった。
いつもの穏やかな瞳が私を優しく見つめている。
勝手に溢れてきた私の涙をエルの優しい指が拭ってくれる。
「……耳のこと……私が悪いの。ごめんね」
「……うん」
エルは私の左耳に手を触れながら言った。
「……俺はただ、大事にして欲しいんだよ。それだけでいいから」
消え入りそうな声だった。
それはエルが私に無理なお願いをしているかのように聞こえた。
まるで叶わない願いであるかのように。
あなたは私が私を大切にできないことを知っている。そしてこれからもそうであるかのように。
ーーあなたは何でも分かってるのね。
嬉しいような、切ない気持ちが私に押し寄せてくる。
「左耳は……エノクは治せるって言ってたけど、本当に治せるのか?」
私はエルの手に自分の手を重ねた。
ーーあたたかい手……私たちもう、震えてはいない。
「……うん、力が全回復したらすぐ治療するから大丈夫」
あなたを安心させる優しい嘘をついた。
本当は……私の為だったかもしれない。
それすらもあなたにはお見通しだったのかな。
少しして、村の様子を見に行ったエノクからの通信が私の耳に届いた。
ーー「エノク?」
ーー「……サリア、村の様子がおかしい。こっちに来て欲しい。神殿も見に行かないといけない」
ーー「……分かった、すぐ行くね」
ーー「気をつけて来いよ」
エルが私を真っ直ぐに見つめている。
私はエルの手をぎゅっと握り締めた。
「エノクが呼んでる、行こう」
私たちはエノクの待つ村へと降りて行った。




