第7話 再会
神殿から村へと向かう間も北の森の方から聞こえてくる爆発音。
その音があたり一帯に響くたびに、私の身体がより強張っていくのが感じられる。
村へと戻る私たちの最優先事項は北の森へ入った父達の捜索と負傷者の避難だ。この出来事の原因究明は後回しでもいい、とにかく全員を神殿へ避難させ安全を確保してからでも遅くはない。
空は赤い火柱と黒い煙で覆われており、生命が燃える臭いが私たちの鼻をつく。村と森全体がジリジリとひりつくような空気で澱んでいる。
私たちは布を水で濡らし、顔と身体を保護しながら村を突っ切って北の森へと入ることにした。神官と治癒者を含めたいくつかの班を作り、捜索班と待機班に分かれた。私はもちろん捜索班だ。
神官たちが負傷を防ぐための結界を各班毎に張り、捜索班が北の森へと足を踏み入れる。結界は重傷を負わないための予防線であり、効果が切れてしまえば私たちの身体は炎にさらされることになる。今は結界が切れる前に、父達を探し出すことが目的だ。
捜索班の治癒者と神官はテレパシーで待機班と連絡を取ることにし、危険が迫った場合は各自が神殿へと避難することとなった。命を守ることが最優先だ。
神殿から北の森の捜索のために集まったのは20数名。その中で神官4名、私を含めた治癒者4名、残りは体力のある男性達だ。私たちは4つの班に分かれ、それぞれに神官と治癒者を割り当てた。3つの班は森への捜索、1つの班は待機とした。
私たちは北の森へと静かに足を踏み入れた。
結界に護られているおかげで私たちは空中に漂う火の粉や煙を吸い込まずにいられた。あんな爆発があったかとは思えないほど、森の入り口は不気味なほどに静まり返っていた。その異様な静けさが、私たちの足取りを一層重くさせた。
パキッ、ミシッと枝を踏む音が辺りに響く中、私たちは慎重に足を進めていく。ゆっくりと進んでいくしかない現状に焦りを感じ、結界で護られているのに息苦しく感じてしょうがない。
捜索班である私たちの先頭を歩いているのは、近所に住む同い年のロエルだ。ロエルのお父さんも、父と北の森に向かったメンバーだった。
ーーお父さん、エル……。
みんな……エノク……。
爆発以降、エノクからは連絡がない。
こちらからメッセージを送っても返事が返って来ない。もしかしたら私が聞き取れていないだけかもしれないと不安になり、私は自分の左耳に触れる。私の聴力はまだ大丈夫なはずだと信じるしかない。
私の左耳は爆発前のエノクとの不安定な通信に耐え切れず、神経に負荷がかかったようだった。その直後からキーンという耳鳴りがずっとしてはいるが、この左耳が完全に聞こえないわけではないし、右耳はきちんと聞こえているから心配することはない。
ーー大丈夫。
「待て」
先頭を歩いていたロエルの手が後ろを歩いていた私たちの動きを止めた。
「声が聞こえる……」
私たちはロエルが見据える方向に耳を傾ける。
「*○◆#◇:§★※」
直後、私たちはお互いを見合った。
複数人の声がした、しかしその言葉が理解出来なかった。
瞬間、私たちは本能で命の危険を感じた。
【戻ろう】
班のうち2人がジェスチャーで歩いて来た道を指差した。
ーーそ、そんなのは分かってる……。だけど……。
心臓の鼓動が速くなる。
ーーどうしよう。
このまま引き返すことなんて出来ない。
そんな思いとは裏腹にドクドクと脈打つこの心臓が、今すぐここを離れよと警告している。
「進みたい奴はいるか?」
重苦しい空気を打ち破るかのように、ロエルが静かに口を開いた。
誰も返事をしなかった。
ーー私はこのまま帰れない。
「……私は、行く」
私はロエルを見つめて言った。ロエルは驚かなかった。
私は他の3人を見れなかった……怖かった。
ロエルは私たちを見回して言った。
「俺とサリアはこのまま進む。最初に決めた通り、その後の判断は各自で」
私とロエル以外の3人は何も言わずに頷き、来た道を戻って行った。
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「参ったなー、どうする?」
この場に不釣り合いに思えるほどのあっけらかんとした声でロエルが私に聞いてきた。私はその声に驚いたけれど、不思議と緊張が和らいだ。その声はいつものロエルの話し方だった。
「……お父さん達見つけて、帰ろうよ」
私のあまりにも落ち着いた声に意外だったのか、まん丸になったロエルの瞳が私を見下ろした。
「そうだな、行くか」
ロエルの手が私の頭にポンと乗せられた。
他のメンバーと別れた後、この森に私たち以外の存在がいること、私とロエルはこのまま先へ進むことを治癒者の仲間にメッセージを送った。彼らからは「くれぐれも気をつけて」という返事が返ってきた。
私とロエルは声が聞こえた方向を避け、森の左側から奥へ進むことにした。
森の奥へと進むにつれ、辺りが赤く染まり空気の温度が上がってくるのを肌で感じる。さっきまで私たちを保護してくれていた神官の結界はなく、燃える炎の熱さで空気中がゆらゆらと揺れるほどに私たちは爆発のあった森の奥深くへと進んで行った。
辺りを目を配りながら慎重に歩いていると、進行方向の右端で何かが見えた。私は咄嗟に左側を歩くロエルの身体にタックルしながら木陰へと身を隠した。ロエルは驚いたようだがすぐ状況を把握したようで、私が指差す方向を凝視した。
ーー誰かいる。
息を潜めてその方向を見つめる。
2人、いるようだった。1人は地面に横たわっており、すぐそばでもう1人が座っているように見えた。
「ロエル、お父さん達を追っていったあの2人かもしれない」
私とロエルは小声で話し合った。
「そうかもしれない…。でもはっきりするまでは近づけないな」
「うん……」
ーー森の住人だったらすぐに駆けつけないと……。
ーーでも、そうでなかったら……?
2人がいる方向を注視し始めてから数分が過ぎた頃、私とロエルにひとつの結論が浮上した。
ーーこの数分間、あの2人に動きがない……。
2人がいるあの場所だけ、時間が止まっているように見えた。
「見てくるから、ここで待ってて」
ロエルがそう言い、私は頷いた。
ロエルが少しずつ2人に近づいていく。
私も辺りを見回すが、周りに他の生き物の気配は感じられない。ロエルを認識できるほどの距離まで近づいても、その2人が動くことはなかった。しばらく立っていたロエルが2人のそばに腰を下ろし、その身体に触れながら何かを確認しているのが遠目からも確認することができた。
ーーそんな。
身体の力が抜けていくようだった。
私は何とか立ち上がり、ヨロヨロと歩きながらロエルがいる方へ向かった。
身体が重く感じる。
ロエルの背中越しに、見覚えのある2人がいた。
お父さん達と一緒にこの森へ入った2人の青年で、彼らは兄弟だった。兄の方は座った状態でうなだれたまま、動かなかった。地面に横たわっている弟の首に手を当てたまま、ロエルの肩は震えていた。
目の前に突きつけられた信じ難い光景に、私たちの思考は停止した。悲しみなのか恐怖なのか、絶望なのかさえも分からずロエルと私の瞳から流れ続ける涙だけが、この停止した空間で唯一動きがあるもののように感じられた。
弟の首からロエルの手を離そうとした時に私の手が弟の身体に触れた。
私は人が死ぬということを肌で感じた。私が触れたのはかつてその身体に温かい血が流れていたはずだと思い込まなければならないほど、何か別の存在かのように冷たかった。
その身体に命があれば、私は助けることが出来た。
死んでしまったら、私でも助けることは出来ない。
今この2人の死を前にしても、私たちに悲しんでいられる時間はない。
今は前に進まなければならない。眠る2人をその場に残し、私たちは森の奥へと進んでいく。
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最初の爆発があってから動物達はすでに逃げてしまったようで、この森からは生き物の気配が消えていた。いつも私たちのそばにいた妖精や精霊達の存在も感じられない。
ーー「サリア?」
突然、声が聞こえた。
別ルートの捜索班の仲間からの通信だった。
森へと入った人達を見つけたらしいが負傷者が多く、治癒者が数人必要とのことだった。森にいくつか存在する洞窟に隠れていることを聞き、私は位置情報を送ってもらいロエルとともにそこへ向かった。私は見つかった人たちが誰なのかはあえて聞かなかった。怖かった。お父さんやエルがいるのかどうか、怖くて聞けなかった。
その洞窟に着いた私は、安堵とともに驚愕した。
父とエルがそこにいてくれたことが本当に嬉しかった、本当に。すぐにでもふたりの元へ駆けつけたかったが、治療を必要とする人たちの状態が思ったよりも悪く、私は洞窟に着いてすぐに治療を開始した。
話を聞くと、怪我は最初の爆発によるものと爆発の直後に武器を持った数人が突如現れ、襲ってきたという。深い傷を負いながらも彼らはこの洞窟へと辿り着いたのだった。その時の状況を話してくれたその人の身体は、鋭い刃物で切られたような傷を負っていた。
ーーあの人達のことだ。知らない言葉を話していた。
あの瞬間、死を感じた。
私は恐怖に震えながらも傷を負ったその身体に触れ、治療を続けた。
洞窟には私にテレパシーを送ってくれた治癒者のエノクもいたが、彼は最も重症だった。先に着いていたもうひとりの治癒者と神官がエノクをある程度治癒したが、それによって全回復し、彼がすぐ他者を治癒出来るようになるわけではない。
治癒者や神官の力は気力・体力と同様に使えば減っていくものであり、治癒対象の傷が深ければその分治癒者の消耗も激しくなる。治癒者といっても、私たちは万能ではないのだ。私たちの力の使い方の判断を誤れば、今後の状況によっては最悪全滅となることも考えられる。
まず全員が自力で歩けるようまでには回復させないといけない。
幸いにもエノクは思ったよりも少ない治癒で動けるようになった。
父とエル、他の負傷者の傷もこの森を自力で歩くことが出来るまでには治療を施せた。
怪我人を治療し終わった私のところに、父がやって来た。
常に優しく逞しかった父の顔は変わり果てたようにやつれていた。
父の服は真っ赤な血の色で染まっており、それがどれだけ深い傷を負ったのかを私に想像させた。
そんな父を見て、私の瞳から涙が溢れ出した。
私自身も治療で疲れていたのか、地面に座ったまま動けなくなっていた。
父は屈んで膝をつき、私を強く抱きしめた。
父は、泣いていた。
「怪我は……? どこか痛いところは?」
長い間触れられなかったのような生命の温かい体温を感じて、無理やり抑えつけていた感情が溢れ出してくる。
私はただうんうんと頷いた。
「大丈夫……お母さんも、神殿にいるよ」
私は心から安堵した。
しがみつきながら泣く私を父は小さな子どもをあやすように優しく撫でてくれた。
父の肩越しに、治療を終えたエルが立っていた。彼の優しい瞳から涙が溢れているのが見えた。
ーーああ、よかった。本当に、本当によかった。
私たちが治療をしている間、ロエルが洞窟の入り口を見張っていてくれた。
ロエルは別言語を持つ人達、亡くなった兄弟のことを話してくれていた。
そして今回見つかった負傷者の中に、彼のお父さんはいなかった。爆発と襲撃の際に何人かと離れてしまったらしく、その行方は分からないという。父達を追って森に入ったはずの2人とも会えていないという。
ーーどうかみんな、無事でいて欲しい。
私たちは南の森にある神殿へと向かうことを決めた。
他の班が来た道を少人数で戻る計画を立て、通信のために1つの班に1人の神官または治癒者を組み込ませた。
私はもちろん、父とエルと一緒だ。
体力が少しだけ回復したエノクと話していたとき、エノクが私の左耳の異常に気づいてしまった。左側から話しかけられていたことに気づかなかったのだ。
ーー失敗した。身体の右側を人に向けることを意識していたはずなのに。
エノクは目を見開いていたが、何も言わず治癒しようと私の左耳に触れた。
でも彼の手はすぐ止まり、その手をぎゅっと握り締めた。
私の左耳は治癒の力に反応しなかった。
治癒力に反応しないということは、もう治らないということだ。
エノクが悔しそうに言った。
「……絶対に、治してやる」
「ありがとう、エノク」
私は自分の左耳に触れてみた。
指先から耳の神経を感じられなかった。
神経が、壊死していた。
私は気づかなかった。洞窟に来るまで聞こえていた耳鳴りも、いつの間にか聞こえなくなっていたことに。
その時、エノクと私を遠目から見ていたエルが物凄い勢いでこちらに向かってきた。
「なんで、……なんで自分のことを治療しなかったんだ!!」
私は呆然とした。
いつも穏やかな彼が、怒っていた。
一度も見たことのない彼がそこにいた。
あの彼が私に、怒っていた。
私は何が起こったのかが分からなくて、声が出なかった。
「サリアを責めるな、分かってるだろう? 俺たちは治癒者なんだ」
私を隠すように、エノクが私の前に出た。
【治癒者】という言葉を聞いて、エルがビクッと身体を固まらせた。
「……だから何だ? 治癒者だからって、自分の治療を優先しないのか!? 何で……」
普段のエルからは想像できないほどの強く低い声が聞こえた。
エルが、怒ってる。
エノクがため息をつき、口を開いた。
「……治癒者が力を使用する最優先事項は他者の治癒だ。俺たちは後でいくらでも自分を治癒することができるからだ……自らに命の危険が迫らない限り、他者を優先としている」
「そん……なの、おかしいだろう……。左耳、治ってないんだろう……?」
エノクの身体越しに聞こえるエルの声が、変わったような気がした。
怒りの声ではなかった。
ーー胸が苦しい。
エノクが後ろにいる私を見た。私はコクコクと頷いた。
「……サリアは俺が必ず治してみせるから、心配すんな」
ーーエノク……優しい嘘を、ありがとう。
「おーい、3人とも。ここを出る準備をするぞ」
気まずい沈黙を破るかのように、何も知らない父がこちらを見て手招きしている。
「サリア、おいで」
父が私を呼ぶ。
私は手を上げて父に答えた。
ーーエノク、ありがとう。
私は目の前のエノクにメッセージを送った。
彼は目で合図を返してくれた。
エルの前を通り過ぎるとき、私は小声で言った。
顔は見れなかった。
「誰にも言わないで」
返事はなかった。
しばらくして、私たちは洞窟を出て神殿へと向かった。




