第6話 終わりの始まり
自然災害、天変地異、人的災害、戦争。人知を超えた現象。
どの次元、どの時代、どの世界にも起こりうる破壊と崩壊、そして再生の瞬間が繰り返されてゆく。
すべては流転し、消滅と誕生を繰り返しながら尊い生命が繋がれてゆく。
ひとつの終焉を迎えたその瞬間、新たな世界の幕開けがあることを私たちは気づいている。
完璧で美しい円を自らの手で描くように、私たちの生命はいつまでも廻り続けてゆく。
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流星の月29日、収穫祭前夜ーー
普段であればとっくに寝静まっているはずの私たちの森にはまだいくつかの明かりが灯っていた。収穫祭を翌日に控えた私たちの森は、職人たち渾身の金細工の装飾品や子ども達が作った人形や花の輪が至る場所に飾り付けられていた。
キラキラと繊細に輝くその飾りが、天から差し込む月明かりに照らされながら私たちの森を黄金色に染めてゆく。
誰もが豊かな明日を夢見て過ごしていた、いつもと変わらない静かな夜。
私たちの森の、最後の始まりーー
深夜、【私】は森に住む動物達の声で目が覚めた。他の住人たちも気づいただろう。私は飛び起きた。父と母も起きたようだ。
森から聞こえる声、それは決して真夜中に聞こえるものではなかった。いや、今までにこんな声を聞いたことがない。森を駆ける音、一頭や二頭ではない相当数の動物が森を移動している。
ーー何かが起きている。
窓を開けて音のする方に目を凝らす。
ーー何かが見える……。
北の森の、かなり先の方にオレンジ色の光と立ち昇る煙が見えた。
ーーあれは……火だ!!
私は急いで寝巻きの上にガウンを羽織り、部屋を飛び出し1階にある居間へと向かった。両親はすでに居間にいて、父は着替えを済ませ家を出る直前だった。
父に声をかけようとした時、玄関のドアがドンドンと叩かれた。
ドアを開けると、近くに住む住人たちが数人集まっていた。
その中に友人のエノクがいた。彼は私と同じ治癒者で、私を妹のように可愛がってくれているお兄さん的存在だ。するとエノクが私を見て神妙な面持ちで合図をしてきた。私はコクンと頷いた。
ーーやっぱり何かが起きているんだ。
父は彼らと少し話をして、私と母に言った。
「森の様子を見てくる。状況が分かるまで出歩かないように」
私と母は何も言えずにいた。
父を見送ろうと家の外へ出ると、北の森に行くために集まった住人達の先に、エルがいるのが見えた。
その瞬間、背筋がゾッとした。
ーー何?この感覚……。
身体が震え出しそうな感じがして、思わず自分を抱き締めた。
「行ってくる」
父の声に顔を上げると、エルがこちらを見ていた。
いつもの優しい顔はなく、少しだけ強張った顔をしていた。私は急に不安になった。
父と住人達が森の方へ歩き出し、エルもその流れに押されるように遠ざかって行く。エルが振り返り、片手を上げて少し頷くのが見えた。
それに応えるように私も手を上げたけれど、なぜか頷くことが出来なかった。
私はどうしても家の中に入ることが出来ず、母と近所の住人達とただ森の方を見守るしかなかった。
北の森の方からは変わらず動物の足音と鳴き声が聞こえてくる。空を見上げると無数の鳥が森を覆い尽くすかのように飛び回っている。
森に住む動物達が一斉に移動を始めたかのように、森と空気がざわついている。
森の住人たちが今まで持たなかったであろう感情が溢れ出してくるのがひしひしと伝わってくる。恐怖という感情を知らない私たちは、すでに怯え始めていた。近所の小さな子ども達が、母親や兄弟にしがみつきながら必死でこの未知の感情に耐えている。
ーーこのままではだめだ、何とかしないと。でも、どうしたら……。
私はまず村にいる治癒者達にテレパシーでメッセージを送りながら、村に残っている近所の男性達と話し合った。状況が分かり次第何かあれば安全な神殿に移動出来るように地域一帯に伝達を頼んだ。治癒者にも同様のメッセージを送った。
神殿はその名の通り、私たちにとって聖なる場所だ。滅多に起こることではないが、神殿には動物の侵入や子どもが間違えて入り込まないように神殿の神官長が結界を張ってある。もし何かが起こったとしても、神殿内にいれば私たちは安全を確保できるはずだ。
私と母も簡単に荷物をまとめ、いつでも神殿に行けるように準備をして再度家の外へ出た。近所は騒がしくなっており、荷物をまとめ終わった住人達が不安そうに集まっている。
数軒先の家の前から、男性達の言い争う声が聞こえてきた。私たちが初めて聞くような不安と恐れに満ちた声がした。
村に残った男性達のうち、2人が父達の後を追いかけると言っていた。
このまま何もせずにはいられないと言う彼らを引き止めることも出来ず、私たちは何かあればすぐ引き返すようにと何度も伝えて森へと向かう2人を見守った。
ーーそうだ、このまま何もしないわけにはいかないんだ。
他の治癒者からのメッセージからは、特に森の異変は伝えられていない。
ーー大丈夫、まだ大丈夫……。
どのくらいの時間が経過しただろうか。すでに何時間も経ったようにも感じるけれど、1時間も経っていない気がする。微かに震え続ける手を、私は今も身体に押さえつけている。
その時ジジッ、と私の耳にノイズが走った。
父と一緒に森へ入った治癒者のエノクからの信号だ。
エノクが森へ向かう前、彼は私にメッセージを送っていた。森の状況を連絡してくれるという内容だった。
「エノク?」
ーー返事がない。ジジッという耳に障る音だけが聞こえる。
「エノーー」
「……ア……っだ!! 火が…………って……っげろ!!」
今までに聞いたことのない、叫び声。
全身の産毛が浮き立つほどの戦慄が私を襲った。
「エノク?」
声が震える。
エノクがテレパシーを送ってくるが、激しいノイズが邪魔をして聞き取れない。
私もテレパシーを送るが届いてないようだ。
「エノク!! エノク!!」
怖くて叫んだ。
周りにいた住人達が不安そうに私を見ている。
隣にいる母が何かを言っているけれど、聞こえない……。
激しいノイズが私の耳と脳を圧迫してくる。
耳の奥に鋭い痛みが走る。神経が、焼き切れる……。
「エノク……」
顔を歪ませるほどの痛みに私が思わず地面に膝をついた瞬間、エノクの声がはっきりと聞こえた。
「逃げろ!!!!」
エノクの叫び声に私が目を見開いた瞬間、北の森の奥から耳をつんざくような爆音と爆風が私たちの村まで響いた。
空高くまで上がった真っ赤に燃える無数の火柱、森を覆いつくす黒い煙が私たちの目の前に一瞬で広がった。
鼻をつくような、何かが燃える臭いを感じた。強制的に命を奪われかのような生命の叫びを表すかのように、真っ赤な火の粉が上空から降り注がれた。
私たちは呆然とその光景を眺めていた。
この世の終わりのような光景を目の前にして、すぐに冷静さを取り戻すことができる人はそれくらいいるのだろうか。
今私の瞳に映る炎は、辺りを優しく穏やかに照らしてくれていた馴染み深い私の知っている炎ではない。一度も恐ろしいと感じたことがなかった炎が、私たちの森を赤黒く染めていく不思議な感覚。
ーー目の前が、真っ赤だ……。
「神殿へ走れ!!!」
誰かの叫び声で、私は我に返った。
地面に膝をついた私を支えようとした母が私の身体を掴んだままガタガタと震えていた。母の顔は爆風と共に飛んできた煤で黒くなっていたけれど、明らかに顔面蒼白な顔をしていた。そんな母を見て、私は冷静を少し取り戻した。
「あ……あの人、が……」
母が泣き出しそうに言った。
ーーお父さんとエルが、あの森にいる……!!
息を吸えない感覚。
赤黒く燃えるその森を目の前にして、私たちに絶望の波が押し寄せてきた。
それも束の間、辺りを逃げ惑う人達が私たちを現実へと引き戻す。駆けつけてきた男性が私たち親子を無理やり立ち上がらせ、神殿へと向かう人達の中へと放り込んだ。足がもつれながらも、私と母は互いに腕を絡ませ支え合いながら森の奥にある神殿へと向かった。
神殿がある場所は私たちの村からはそんなに遠くはなかった。
村を中心として南側の森の少し奥に私たちの神殿が存在した。何千年も前に建てられたであろうこの聖なる神殿が厳かな雰囲気を漂わせるのは当たり前だが、そんな中にもあたたかさを感じることができた。いつでも私たちを迎え入れてくれるような感覚がこの神殿から感じられていた。
ーー昨日まではこんなに冷たくは感じられなかった……。
天井から差し込んでくる月光が、収穫祭のために美しく飾り付けられた神殿内の装飾品を青白く照らしている。
神殿にはすでに村から逃げてきた人でごった返していた。100人近くはいるだろうか。力のない女性や子ども達、年を重ねた人ばかりだ。すでに何人かの治癒者が怪我をした人たちの治療を行なっており、見る限り大きな傷を負った人はいないようだ。軽い傷であれば簡単に治癒することは出来る。
神殿の奥の方では神官長のラタが他の神官たちに指示を出してるのが見えた。ラタは私が神殿に入る前から神官長を努めてきた人であり、いつも凛とした姿勢で私たちを導いてくれる尊敬すべき人だ。
私もこうしてはいられないと、近くの人に母を頼んだ。
ーー私がやるべきことをしなければ。
母を置いて立ちあがろうとした瞬間、母が私の手を掴んだ。
その顔はあまりにも怯えていた。何かを失ってしまうかの様な、そんな怯えた瞳をしていた。母の手は震えていた。
私は母の手にそっと自分の手を重ねた。
重ねた私の手も、震えている。
「……お母さん、私は大丈夫だよ」
母は首を横に振った。
森を見に行った父がどうなったのかも分からないこの状況で、私を引き止める以外の選択肢がなかったんだろう。
私は自分を落ち着かせるように、吸えない息を吸った。
「お母さん」
母の手に重ねた自分の手に力を込めた瞬間、母の震えが止まった。
私の腕を強く掴んでいた母の手が、少し緩んだ。
母の瞳からはいくつもの涙がこぼれ落ちていた。私の瞳からもいつの間にか涙が流れていたことに気づいた。
膝をついて母の両手を握り、母と向き合った。
「……大丈夫、すぐ戻ってくるよ。私、行かなきゃ。知ってるでしょ? 私、治癒者なんだよ。大丈夫だよ……」
母が私をまっすぐ見つめる。
「待ってる……」
声にならない声で、母はそう言ってくれた。
母の優しい手が、私の涙を拭ってくれた。
こぼれ落ちる母の涙を、私が拭う。
私は母を抱きしめた。
母も私を抱きしめてくれた。
ーー行かなければ。
私は立ち上がり、涙と煤で汚れた顔を拭いながら仲間の元へと走った。
この時、私は後ろを振り返らなかった。
正確には、振り返ることが出来なかった。
ラタの指示で神殿には負傷者対策として何人かの治癒者を残し、私たちは治癒者と神官、村人の20人程で村へと戻って行った。
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