第4話 サリアの記憶
【私】がサリアという女性とした生きていた時代のお話です。
天に届きそうなほどの高地に豊かに繁る深い恵みの広大な森が、地平線のはるか先まで続いているのが見える。
真っ直ぐに高く聳え立つ乳白色の色をした岩肌の間に緩やかに流れる清らかな水流。
人が造ったとは信じ難いほどに、細部まで完璧に計算された建造物。
美しい緑はどこまでも広がり、色とりどりの花たちが咲き誇るも豊かな土地。
動物たちが穏やかに生命を育み、森と共に命を巡らせてゆく。
森に生きる私たちすべてを見守る存在と共に生きる、豊かで美しい世界。
かつての【私】が暮らしていた、あの森の記憶。
植物も動物も人も、聖なる存在もすべての命あるものが平等に生き、そして平和に暮らしていたあの頃。
【私たち】もその場所に生きていた。
生まれ育った世界を去り、私たちは同じ時代を生きる人として生まれ変わった。
けれど星の世界での記憶はこの世界に持ち越すことは出来なかった。
私たちを優しく見守る家族や仲間、自然や動物、聖なる存在たちと共にこの豊かな森で成長していった。
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【私】の名前はサリア。愛称はリア。
緩いカールのついたハニーブロンドの明るい金髪にサファイアのように青く透き通った瞳を持つ19歳の女性。
現代に生きる私からすればまるでファンタジーの世界に登場する女性のように感じられるけれど、かつての私はそんな風貌をしていた。ヨーロッパ系女性の外見に似ていると思う。姿形は現代の私たちと変わらないけれど、今世日本人の私としてはその風貌に少しだけ違和感を感じるのは否めない。
私を含め、ここに登場する人たちは限りなく人間に近い存在だったと感じている。ただ、私たちが住んでいたその世界が地球だったかは定かではなく、私にはそこまでの正確な記憶を持ち合わせていない。もしかしたらそこは地球に似た星だったのかもしれないけれど、とても美しい世界だったことを憶えている。
当時の私の服装は、スルスルとした良い肌触りのする白い生地を身に纏っていた。服の素材は絹でも綿でもないと感じる。時代で言えばギリシャ時代のようなイメージをしてもらうと想像しやすいかもしれない。服としては非常にシンプルなものだった。その代わりに私たちは好んで装身具を身につけていた。
スノーフレークに似た白く光る小さな花を、私は髪をまとめる時によく使っていた。葉と柔らかい茎を使って髪を結い、花の部分が髪飾りに見えるように上手く整えて完成させる。小さな花がさりげなく輝き、葉と茎の緑色との鮮やかなコントラストがとても綺麗で、私はその花が大好きだった。
私の耳には極めて精巧な細工が施された金のピアスがついていて、ピアス全体に美しい幾何学模様が彫られていた。その模様の中心に深い光を持つラピスラズリの石が留められており、そのい石は私の守護石でもあった。
ウエストの腰紐には、光の祝福を受けた植物の蔦と耐久性のある繊維を丁寧に編み込みんだ紐を巻いていた。左腕には幅3センチ程のシンプルな金の腕輪をひとつ身に付けていたが、金特有の重さを感じることはなく、まるで身につけていないかのように軽い。その金の腕輪は太陽が輝くように光を放っていた。その光は夜が訪れても輝き続けるほどに強力な光の力を宿していた。
私は治癒者としてこの森に生まれた。
土地や森、生きるものすべてを癒す治癒者。
生命あるものが傷を負い、病を患えば必要な分だけ治療をする。私が出来ることは癒すことのみ。必要な癒しを与えるのみが、生まれながら私に授けられた力だ。
癒す対象に命があるのなら、私は癒すことが出来る。けれど一度旅立ってしまった身体にその命を戻すことは出来ない。生命が巡るということは、そういうことだ。肉体から魂が旅立つということこそ、その生命が廻り続けるということだ。
自然に対しても同じことが言える。
私たち人が意図して森や動物を始めとした自然に手を出すことはしない。本当に必要な時だけ自然は癒しを求めてくる。私たちもその求めに応じて彼らを癒す。森に暮らす人は彼らの恩恵を分けてもらいながら自然と共に生きている。
森に住む住人の中で、一定数の治癒者が存在するということを幼い頃に祖母から聞いたことがあった。治癒の能力があることは幼いながらにも理解していた。けれどその力があるからと言って周りと何かが違って優遇されたりするわけではなく、ここに暮らす人々すべてが平等に過ごすことの出来る環境だった。
人々は土地を耕し、種を植え作物を育てながら日々を育んでゆく。傷を負ったり死をもたらすような大きな争い事もなくはるか昔から穏やかに暮らしてきた私たちだった。
この森には心優しくあたたかい人ばかりが暮らしていて、その性格を表すかのように皆穏やかな顔をしていた。私たちはいつも笑って過ごしていたし、毎日が楽しかった。朝は笑顔で挨拶をし、日中はそれぞれが仕事をして昼時になれば近くの人達を誘ってランチをする。夕暮れ時には片付けを始め、それぞれが家族の待つ家に帰っていくような、穏やかに時間が流れる日々だった。
お祭りの時期には皆、随分前からいそいそと準備を始めていた。皆、お祭りが大好きでお祭りの数週間前から至る所に照明や飾りがつき始め、村はキラキラと輝いていた。お祭の装飾を担当している彫金師や細工師たちはその時期は特に忙しそうにしていて、寝る間も惜しんで美しい飾りやアクセサリーを創り上げていた。
年に数回開かれるそのお祭りは、感謝祭のようなものだった。日々穏やかに過ごせることや自然の恵みへの感謝、未来への安寧を願うもので、お祭りは3日間続く。お祭りのメインイベントは神殿前の広場で行われる祝福の儀式だった。儀式といっても堅苦しいものではなく、私を含めた治癒者たちが神殿前の大きな広場で祝福の歌を披露することだ。この森の人達は、その歌を聴くのが大好きだということを私は知っていた。歌う私も、もちろん大好きなイベントだ。
祝福の歌は始めに最初のひとりが歌い出し、それに重ねるようにして順番に歌を足してゆく。歌と共に様々な音色のする鈴や楽器を使い徐々に調和の旋律を増やし奏でてゆく。
治癒者が歌い始めると辺りに小さな光が舞い降りてくる。この森を祝福するかのように無数の光が私たちと村全体にゆっくりと広がってゆくのが見える。その光景はまるで空の星たちがこの村に落ちてきてしまったかのように感じるほどに、私たちは光に包まれる。皆が私たち治癒者の歌を聴くことが好きだといってくれるように、私もこの光景を見るのが大好きだった。
治癒者になって8年、この光景を楽しんできた。皆が癒されていくように、私自身も癒されていくこの時間がとても好きだった。
私たち治癒者は歌を歌うことで癒しの力を発揮する。
治癒者の歌の内容は、残念ながら治癒者外の人は理解することが出来ない。独自の言語が存在し、治癒者たちは生まれつきその言語を理解しているのだと言う。
治癒者としての能力が開花するきっかけは人それぞれだが、大体7歳前後で治癒者であることが判明するという。
私に治癒の力があると分かったのは、私の父の姉で治癒者でもある叔母が父の誕生日に祝福の歌を歌った際に、父の膝の上に座っていた私が突然一緒に歌い出したことで発覚したらしい。
私は4歳だった。
当時私の両親が驚きと同時に嘆き悲しんだことを、神殿所属の治癒者となった11歳の時に神官長から聞いた。
治癒者はこの森に一定の人数は存在するけれど、その数は決して多いわけではなかった。そしてどんな理由があるのかは解明されてはいなかったが、私たち治癒者の寿命が短命だということだ。
あの日父の誕生日にお祝いの歌を歌った治癒者の叔母も、私が神殿に入る直前に34歳で亡くなった。長くとも40年の寿命と言われている治癒者の運命を、4歳の我が子が背負うとは思いもよらない形で知ってしまった両親を思うと心が張り裂けそうな痛みを感じた。そして姪の運命を自分の意思とは関係なく生み出してしまった叔母も辛かっただろうと思う。もちろん叔母には何の罪もない。私が治癒者として覚醒するのがただ早かっただけだ。私の両親も叔母を憎んだり辛く当たることはなかった。我が子の運命を受け入れることができた両親だった。どれほど辛かっただろうか、どれだけ二人が隠れて涙を流しただろうか。計り知れない悲しみを子どもの私には微塵も感じさせないくらいに、彼らは私を愛してくれた。本当に本当に、愛の深い人達だった。
当の本人はというと実際4歳の私は何にも分からなかったけれど、成長するにつれて自然に、当たり前のことのように何かを理解していた気がする。
短命だということも、神殿に入るまでは私たちには表立って知らされることがない。その辺は閉鎖的な感覚を覚えたけれど、「あなたは治癒者だから長く生きることが出来ない」 などと10歳にも満たない幼い子どもに誰が言えるだろうか。
ただ私は何となくだけど自分の寿命を感じ取っていた。物心ついた頃から治癒者が歌う歌の内容は理解は出来ていたし、私はそうなんだとただ感じていた。【私】はただこの人生を生き切るだけなんだと理解していた。
その時の私には短命を嘆く理由は一つもなく、それは心がどこまでも自由だったからだ。ただ、両親には心から申し訳ないと感じていた。
今思えば治癒者の思考はなんて憐れなんだと感じる時がある。それでもすべてを受け入れることを知った上で、私は自ら望んで治癒者として生まれたんだと言い切れる。寿命が長くともそうでなくとも、それもすべて私が決めてきたことだから、私がそれを受け入れられるんだ。
小さな頃から人生を達観して生きてきたような私だけれど、普通の子どもとして遊んだ記憶もたくさんある。私は家族同然に育った友達といつも森へ遊びに行っていた。
私たちはその森を「ガルジュナの森」と呼んでいた。「ガルジュナ」は「生命」という意味だ。
鮮やかな緑が生い茂る森の奥深くを進んで行く。ガルジュナの森の上にある丘へとたどり着くと森の木々たちがカーテンを開けるように私たちの目の前の道を明るく照らしてくれる。丘に出ると、柔らかく優しい太陽が近くに寄ってきては私たちにあたたかい光を注いでくれる。淡い黄緑色をしたふかふかの植物たちが、私たちの足の裏を優しく包み込んでくれる。
この丘は、私とその子だけの秘密の場所。
子どもながらに、この丘から見える夕陽はとても美しかった。
昼間は私たちを優しく照らし、光と命を与えてくれる。この世界での希望と癒し、愛と喜びを教えてくれた。
やがて成長し、大人になってからも私はこの丘で過ごす時間が大好きだった。
地平線の向こうに沈みゆくオレンジ色の夕陽は言葉に表すほどができないほどに美しく、眩しかった。表現する言葉が見つからないことに感謝したいくらいの美しさであって、この光景をこの身体で感じられること、歓びと限りない感謝が溢れた。この胸に弾ける感動は、むしろ言葉で表す必要はないのだろうとさえ感じていた。
この世界に生きる私がただすべてを感じられていれば、それで十分だということに気づく。この夕陽を見るだけで歓びの涙が溢れ出す。それは私たちが常に愛と光に包まれていることを教えてくれている。
この緑豊かで美しい世界を、私はどこまでも自由に生きていた。
この森に住む誰もが幸せを感じて暮らしていた。
何の疑いもなく生きてきたこの美しい世界が色褪せることはない。
私たちの森が一夜にして真っ赤な炎に飲み込まれたあの夜の記憶が、まるで昨日のことのように思い出される。
2度と思い出したくはない絶望と恐怖の叫び、目の前で起きた崩壊の記憶が頭にこびりついて離れない。
あの日私は、この世界から……。
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サリアへ
どんな記憶があろうと、今世の私は前へ進むことを決めたでしょう。
すべてが私にとって良い記憶だけではなかったことは分かってる。もう分かってるよ。
どの時代の私が経験したかも分からない痛みも悲しみも、苦しみや怒りでさえも全部受け入れなければ私は前へ進めないんだよ。
そんなこと、分かりきったことだよ。サリアももう、分かってるよね。
私たち泣き切ったなら、今こそ溢した涙で優しく包んでしまおう。
今まで流してきた涙の量なら、すべてを包むことが出来るはずなんだ。
サリア、もう安心していいよ。私と一緒に歩いていこうよ。
消したい記憶も痛みを受けた心も身体も全部、いつか私に溶けていくことを未来の私は知っている。未来の私が、手を広げて待っていてくれる。
第4話をお読みいただきありがとうございます。
まだまだ続きます。




