第20話 目覚め
「イルファン、奥の部屋に運んで」
「サラ様、こいつは騎士団室へ運びますので……」
「いいの。騒ぎになると困るし、医者を呼んであるからここで診てもらうわ」
「……かしこまりました。失態続きで申し訳ございません」
イルファン騎士団長は自身の腕に抱えた、意識のない部下を指定された部屋の寝台にそっと寝かせた。
コンコン、と扉を叩く音とラーレの声がした。
「サラ様、カンダナ様がいらっしゃいました。お通ししてもよろしいでしょうか」
「入ってもらって」
静かに開かれた扉の奥から1人の老人が現れ、サラに頭を下げた。
「姫様、お久しゅうございます。私をお呼びと伺いました」
「カンダナ……。突然呼び出してしまってごめんなさい。あなたに診てもらいたい人がいるの」
年老いた医師のカンダナが部屋を見渡した。私の視線の先の寝台にはサイラスが横たわっており、その脇にはイルファン騎士団長が直立している。
「姫様のお頼みであれば聞かないわけにもいきませんな」
カンダナは穏やかに微笑みながら寝台へと歩み寄り、椅子に腰掛けた。
「……このような状態に至った理由はお分かりかな?」
カンダナは意識のないサイラスの身体を観察しながら聞いてきた。
「それが……よく分からないの。街に出掛けた帰りに丘の上で夕陽を見ていたら突然表情が変わってしまって。困惑? 驚いているような顔をしていたわ。それからーー」
言葉を止めた私にカンダナとイルファンの視線が集まる。
「姫様、この方は患者です。身体の治療が必要ならばこの方について教えていただかなければなりません」
「……彼が倒れる直前、泣いていたの。あと、誰かの名前のような……《リア》? と言って倒れたの」
カンダナはサイラスの衣服を元に戻し、目線はサイラスに落としたまま私に話を続けた。
「筋肉疲労は見受けられますが、他に目立った異常は見当たりません。この方は健康そのものです。姫様のお話からすると何らかの精神的症状が身体に現れてしまったのでしょうが……意識を失うほどの何かがこの方の身体に負荷をかけたのでしょう。そうなると原因に対しての治療が必要となってはきますが……お心当たりはございますか?」
イルファンと私は顔を見合わせたが、今日サイラスとまともに顔を合わせたばかりの私が知る由もない。私が首を横に振った後、イルファンが口を開いた。
「……可能であれば外でお話してもよろしいでしょうか」
サイラスに聞かれては困る話があるのだろう。
「ラーレ、少しだけサイラスをお願いしてもいい? 隣の部屋にいるから」
「はい、お任せください」
部屋に控えていたラーレにサイラスを頼み、私たち3人はこの部屋から2つ先の書斎へと移動した。
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部屋を出た廊下の窓枠から上を見上げると辺りはすでに夜の空となっていた。夕方に丘でサイラスが倒れてからそんなに時間は経っていないはずなのに、すでに何時間も経過したような気がした。
「それで……イルファン、サイラスについて何か知っているの?」
私の質問に対し、イルファンは目線を下に落としたまま重い口を開いた。
「まず《リア》という名が誰なのかは私も存じ上げておりません。私が知る限りですがあの者は……サイラスは平民枠から試験を受け騎士団に入団した者でして、その後急遽サラ様の護衛に任命されました。このようは事は異例のことであり、私含め誰も予測しておりませんでした。しかし王族の護衛は諜報機関の調査を通過しなければ付くことが出来ません。そのため急ぎ調査を進めていたのですが……」
イルファンがこちらを伺うように話を続ける。
「……調査終了の指示が諜報機関へと入りました」
ーー調査の打ち切り……。
「……指示を出したのは誰?」
「……王からの指示と伝え聞きました」
ーー王の指示……。騎士団に入りたてで素性の分からない騎士を私の専属騎士に任命したのはお父様本人だ。そこには何らかの意図があるとは分かっていた。けれどサイラスは私に対しての敵意は全く感じられず、だから私は彼の護衛を受け入れた。私の知らないところでお父様とサイラスには何かしらの繋がりがあるのだろうか。ただ私が彼を視る限り、その存在が私に危険を及ぼすことはないはずだ。あくまで今のところは……。
私たちの話を椅子に腰掛けて静かに話を聞いていたカンダナがこの部屋に入って初めて言葉を発した。
「まったく……王も面白いことをなさるお方だとは思ってはいたが、変わっておられないようだ」
カンダナは自身の白く長い顎髭に触れながら優しく微笑んでいる。
カンダナは私の母、セマの侍医だった。母が亡くなった後、年齢を言い訳にして王宮外れの医学研究室へと隠居してしまった。高齢とはいえ医学に関しては大陸最高峰の知識と経験を兼ね備えており、研究室へ引きこもってしまった現在も国内外問わず研究者や弟子志願の者たちが殺到していると噂では聞いていた。そんな彼にまさか何年も経って会うことになるとは思ってもいなかった。
「カンダナ……要請に応じてくれてありがとう。騒ぎにしたくなくてあなたを呼んでしまったの。……5年ぶりね、元気にしてた?」
カンダナの子どものようにキラキラと輝く瞳は5年前と何も変わってはいなかった。そこには年齢など関係なく、自身の探究に身を投じている尊敬に値する人間の姿はとても強い光を発しているように見えた。
「この通り、研究に没頭するだけの体力だけは残っとります。私などまだまだでございます。それよりあの姫様が随分と大きくなられて……お母上に瓜二つでカンダナは驚きましたぞ」
「そうね……カンダナがそう言うのなら、私はお母様にそっくりなはずね」
私の幼少時代を知る数少ない人。小さな子どもをただ純粋に慈しむようなその眼差しが、今の私にはとても心地良く感じられた。
「そうですとも。私は長いことセマ様とサラ様にお仕えしてまいりました。お二人のことでしたら大抵はこのカンダナが知っておりますぞ」
自身の胸に手を当てながら自信満々に答えるカンダナを見て、なんだか私は嬉しくなった。
侍女のラーレとその母親のネリ以外に、私と母のことを知る人物はカンダナくらいだった。そんな彼に久しぶりに会えたことで、私がこの王宮で滅多に感じることの出来ない安堵感を覚えた。
「……ところでイルファン、調査が打ち切られたということは彼の素性は全く分からないってことなの?」
イルファンは目を伏せたまま答えた。
「いえ……。早い段階で調査が終了したものの、一部の情報は入っておりました。しかしその資料もその時点で処分されております」
ーー知られてはまずいことがあるのかーー。
「あなたがその資料を見たことは?」
「……一度だけございます」
「覚えていることを話してもらえる?」
「……」
「誰にも言わないから安心して。もちろんサイラス本人に言ったりもしない。彼の情報をこのまま知らずにいることが私と彼にとっても良いことではないはず」
「……サイラスは西大陸で生まれ、幼少期を近隣諸国で過ごしました。……唯一の肉親である母親は彼が幼い頃に亡くなったそうですが、詳細は不明です。……その後奴隷として貴族に売られたとの話です。それ以降の情報はございません」
ーー奴隷。
彼が奴隷だったと。けれどそれが根拠のない嘘だと言い切れないこの時代に、強い吐き気が襲ってくる。何百年前より進化している時代とはいえ、商業の発展や技術は進化を続けていても、私たち人間の進化はあまりにも遅い。
「入団時の身体検査にてサイラスの足首に奴隷印として焼かれた痕が残っていました。恐らく奴隷印を消すためにその上から自ら焼いたのでしょうが、奴隷印はそうそう消すことができるものではありません。印を消すほど焼いてしまえば、足が使えなくなります……」
イルファンは堰を切ったかのように話を続けた。
まるで彼を庇うかのようにーー。
「彼が受けた入団試験は剣の技術が優秀な者を選出するためのものであり、出身は一切関係ありません。彼が貴族でも平民でも、何であっても彼自身の剣術を正しく評価されて入団したのです。どうか……過去がどうであれ、騎士として認めていただきたいのです」
懇願するようにイルファンは頭を下げていた。彼が固く握りしめられた自身の拳がミシミシと鈍い音を立てる。
奴隷として生きてきた彼を差別せず見捨てないで欲しい、またそのような目で見ないで欲しいということだろう。
私がいくらこの王宮で異端な存在だと思われようとも、彼らにとっては私は強力な権力を持つ『王女』という存在以外の何者でもない。私が持つ本当の望みも考えすらも彼らが知る日など永遠に来るはことはなく、また彼らに届きもしない。私は恐怖と崇拝の象徴である王の所有物でしかないのだ。
人望が厚いと言われる目の前にいるイルファン騎士団長にさえ、王女という立場が恐怖を与えているのがひしひしと伝わってくる。本当の私を通り越して王女というもうひとりの自分自身に嫌気が差す。
……私が思う人の世界には、上も下もない。けれどこの世界では『身分』という脆くも鋭い鎧を身につけて生きている。そして私はこの世界でこの国で、王女という身分を持つ人間だ。生まれた時から王女である私など、まさに滑稽な鎧を優雅に纏っている人間に違いない。現に私は王女という恩恵を全身で受けており、街で生きる人たちの世界も、この数年で知った程度だ。私はまだまだその程度で、世の中を甘く見ているに違いない。黄金の象徴である王宮から出て行きたいと思う私の思惑を知ったら、彼らは無知な私を嘲笑うだろう。何不自由なく暮らす王女の馬鹿げた戯れだと、きっと相手にもされない。そんなことは、私が一番分かっている。
ーーそれでも私は……自由になりたい。
「……あなたのような上司を持って、サイラスは幸せね」
驚いたようにイルファンが顔を上げる。
「安心して……あなたが心配するようなことにはならないから」
優しい笑顔を心掛けたつもりだったけれど、笑えていたかは自信がない。
「感謝いたします……!!」
ーーもう、すべて投げ出してしまいたい。
カンダナは何も言わずにただ私を見つめていた。すべてを理解した上で言葉を発さないことを選んだ瞳がそこにいた。その優しい瞳が私の儚い夢を汲んでくれているように感じられた。それが嬉しくもあり、なぜか寂しくもあった。
その時、部屋の外から足音が聞こえ、ラーレが現れた。
「サラ様、サイラス様がお目覚めになりました」
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遠い昔から知っている柔らかく響く懐かしい声。
美しい旋律と穏やかな歌声が心地良い眠りを誘う。
この歌を歌っていたのは誰なんだろう。
小さな頃から隣で聴いていたはずの声。
子守唄を歌うように話をする誰か。
俺はその人といつも一緒にいた。
この歌の意味は知らない。
歌詞を理解することは出来なかったから。
ただこの上ない幸福感に包み込まれて眠りに落ちていく。
眩しい太陽の下、この世界で一番幸せな時間を誰かと過ごしていた記憶。
……誰かがいる。誰かが、こちらを見ている。
霧がかかっているのか、顔の下半分しか見えない。
涙がとめどなくこぼれ落ちている。なぜ、泣いているのか。
誰だ? 何か言葉を発している。声が、聞こえない……。
何だ? 何を言ってーー。
「……置いていってごめんね」
光の速さで意識が現実に引き戻される感覚で目が覚める。
「は、あっ!!」
反射的に上体を起こし、周りを見回そうとするが息が上がって苦しさのあまり咳込む。
「大丈夫ですか?」
聞き慣れない声に無意識に身体が反応し、剣を探したがどこにもない。そして、なせまか身体が思うように動かない。
「どこか痛みますか?」
敵意のない声に目をやると、ぼやけていた視界が少しずつ鮮明さをとり戻していく。
「あ……あなたは」
こちらを心配そうに覗き込んでいるが、その人はあくまで距離をとりながら話しかけている。
「サラ様付きの侍女のラーレです。サイラス様、私のことは覚えていますか?」
そう言われてほとんど働かない頭で必死で考えようとするが、この状況が飲み込めない。
それを察したのか、その侍女は答えを待たず話を続けた。
「大丈夫ですよ、安心してください。それよりどこか痛みませんか?」
言われた通り身体の確認をしてみるが、身体がだるく重いだけで辛くはあるが痛みはどこにも感じなかった。
「痛みは……ない」
そう答えると侍女は眼を一瞬丸くした後、寝台脇の小さな机に置いてある手拭いを持って俺に差し出した。
「お使いください」
差し出された手拭いの用途が分からなかったが、無意識に動いた手が受け取っていた。
それを何に使用するのか考えあぐねていた時、見ていた侍女が言いづらそうに口を開いた。
「……涙をお拭きください。私は別室にいらっしゃるサラ様を呼んで参ります。アスラン様、よろしくお願いしますね」
侍女は部屋の隅に寝そべっているライオンに声をかけ、足早に部屋を出ていった。
ーー涙?
まさかとは思ったがずっしりと重く感じる腕を動かして指で自分の頬に触れてみた。すると触れた指からいくつもの涙の感触が伝わってきた。まるで号泣したかのように自身の左眼から涙が流れていた。薄い布で緩く巻かれていた過去の傷によって閉じられている右眼でさえからも、瞼の間から涙のようなものが滲み出ていた。
この人生で涙を流した記憶はほとんどない。
どんなに酷い痛みをこの肉体に受けたとしても泣いたことはなかった。子どもの頃右眼に受けた傷の痛みでさえも耐えられた。ましてや精神的に疲弊して泣くなどの経験などない。そもそも肉体も精神もすべての痛みなど耐える他なかった。耐えてこそ生きてこられたからだ。足首の奴隷印を消すために皮膚を焼いた痛みでさえ辛くはなかった。すべては生きるためだ。
ーーそれなのに、なぜ……。
手拭いで涙を拭いた。あの侍女は誰かを呼んでくると言っていた。
誰か、サラ……サラ様……とーー。
ーー!!
唐突に意識が戻っていく。
それは誰の意識なのかーー。
俺の、それともーー。
部屋の外から足音と話し声が聞こえてくる。
扉が開き、数人が入ってくるのが見える。
その内のひとりが声を発する。
「サイラス、身体はどう……」
声を発した人物は驚いていたようだった。
その人は今の状況を飲み込めず、ただその美しい瞳をこちらに向けている。
俺が知っている瞳が、そこに存在していた。
もう他の誰も目に入らない、他はどうだっていい。
「サイラス……?」
待ち望んでいた人。
ずっと探していた声。
俺の名を呼んで欲しいたったひとりの人。
あぁ、止められるわけがない。
何度拭いても溢れてくるんだ。
この世界で初めて涙を流すほどの歓び。
たった一つの願いが今、叶った。
もう一度君に逢いたいと心から願ったあの日ーー。
この世界で、君に出逢えた奇跡。
ただもう一度君の名前を、誰よりも愛する人の名前を。
「……サラ様」




