第19話 忘れていた誰か
宮内の地下へと続く階段を私とサイラス、そして侍女のラーレとアスランが静かに降りていく。先を進むほどに辺りの空気はひんやりと冷たく感じる。薄暗い地下には、倉庫と称したいくつもの部屋が存在している。もちろん実際に倉庫として使用している部屋もあるが、いくつかの部屋は王宮の外、外部へと繋がっている通路が存在する。その部屋の鍵を所有しているのはこの宮の主人である私だ。鍵の在処は侍女のラーレ、その母親のネリも知らない。鍵は私が母から譲り受けたものであり、私以外にその鍵を使用することは出来ない。
地下のある部屋の前で足を止め、ドアノブに手をかけながら後ろを振り向いてラーレに声をかけた。
「早めに帰るから。アスランも待っててね」
「行ってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしております」
そう答えたラーレの声も表情も、いつもの彼女に戻っていたのを見て安心した。だがラーレの横にいるアスランがそっぽを向いているのが目に入った。
「アスラン? どうしたの?」
私が再度声をかけても、アスランの反応はなかった。
ーー機嫌でも悪いのかな?
「サラ様、早くご出発されませんと時間が……」
ラーレが出立を催促する。時間は午後をとっくに過ぎていたからだ。
「……そうね。サイラス、行きましょう」
「はい」
私の後ろにいる変装したサイラスが返事をした。
重い扉が開き、私とサイラスが中へと進む。
その扉はギィいう鈍い音を立てながらゆっくりと閉まった。
___________
暗く冷えた地下通路にラーレとアスランが閉じた扉の前で立ち尽くす。
目の前の扉を見つめながら、ラーレがポツリと呟いた。
「本当に美男美女だわ……」
街へと送り出した自身の主人とその護衛騎士の姿を思い出していた。
「今はお二人とも変装をしていらっしゃるから見た目は仕方ないものの、正装したお二人を想像するだけで……! 大変だわ! 騎士様の正装パターンをいくつか考えないと。あぁ、わくわくする。アスラン様もそう思いません?」
横にいるはずのアスランに問いかけたが、彼はすでに地上へと向かう階段を上り始めていた。
「待って!! アスラン様!! 置いていかないで……!!」
ラーレは焦ってアスランを追いかけた。ラーレにとって地下という場所は何度来ても好きになれる所ではなかった。大抵は王女と行動し、一緒に街へも出掛けていた。王女と母が街へ行く時もアスランがそばにいてくれたため、彼女は安心して見送ることが出来た。
ーーでも、アスラン様が私を置いていくなんて……!!
今まで誰にも見せたことのない俊足を披露しながら階段を一気に駆け上がり、アスランへと追いついた時にはゼイゼイと息が上がっていた。
アスランは途中で足を止め、横目でラーレをチラリと見た。
「ア、アスラン様っ。な、何かご不満でも……?」
はぁーっと、まるで人間のようにアスランが息を吐いた。
「……え?」
ーー今明らかに、ため息ついた!?
「な、何ですか!? アスラン様!! そのため息はどういった意味なんでしょうか?」
軽く憤慨しているかのようなラーレをよそに、アスランは階段の歩みを進めた。地上へはまだ半分の距離がある。
「えっ、待って。置いていかないで!」
地上まで後少しという所でついにラーレの俊足は止まり、その場にしゃがみ込んだ。ハァハァと肩で大きく息をしながら、酸素の行き届いていない小さな頭で考え始めた。階段に座り込んで動かないラーレを、アスランは身体を伏せた状態で地上から見下ろしていた。それはラーレが上がってくるのを待っているようだった。
しばし考え込んでいたラーレが何か閃いたようだった。地上にいるアスランに顔を向け、ラーレが言い放った。その顔は真剣だった。
「アスラン様、もしかして……焼きもち、でしょうか?」
まるで人間と会話しているかのようにアスランに話しかける。そしてその言葉を理解し、図星であるかのようにアスランは身体を起こし、その場から走り去った。
その姿を見て、ラーレは呆気にとられた。アスランの後ろ姿を追いかけようとしたが、長い階段を一気に上がったせいもあってすぐには立てず、階段横の壁に背をもたれながら浅い呼吸を繰り返した。
「焼きもち、かぁ……。そうだよね。いきなり自分以外の人が来て側にいられたら、寂しいよね……」
深く息を吸い、身体が落ち着いた所でふと我に返ると、地下の薄暗い空気がすぐそこまで迫って来ているように感じた。思わず身体に寒気が走る。ここはまだ、階段だ。あまり力の入らなくなった足をバタバタと一生懸命動かし、勢いよく地上へと飛び出す。地上の明るさにやっと安心することが出来た。ラーレは地下階段へと通じる扉を閉め、今後の予定を考える。
「姫様がお帰りになるまでにやることが山積みだわ。そうだ、まずはアスラン様を探しにいかなきゃね」
ふぅ、と息をつきラーレはアスランのおやつを取りに調理場へと走り出した。
___________
「まずは街での呼び名を決めないと」
地下室の閉じられた扉を背にし、街へと繋がる通路を歩きながら王女が話しかけてきた。
「はい。何とお呼びしましょうか」
「私のことはそのままサラでも、お嬢様とでも呼んでもらえれば良いわ。街でもサラと名乗っているし、変装のおかげで誰にもバレないの。まさか王女が街にいるとは思わないでしょ。それより……」
変装した自分を上から下まで見つめられていることが何だかむず痒くなった。
王女はしばし考えているようだった。
「マティアス……なんてどう?」
「仰せのままに」
「決まりね。それと騎士のような動きは控えて欲しいの。あくまで街の用心棒で」
「お任せください」
「ほら、騎士だってバレバレよ。気をつけてね」
いつものように胸に手を当て敬礼をした身体が一瞬固まった。
「ふふ。ほら、ここを出れば街に着くわ」
地下の部屋から続く狭く細い通路を5、6分歩いた先に見えたのは古びた扉だった。
今にも壊れそうなドアノブに王女の手がかかり、その扉を開けた。
「さぁ、どうぞ」
王女に促され、開いた扉の先に足を進めると目の前に見たこともない光景が飛び込んできた。
そこには眼下に広がる街の風景が広がっていた。街のその先にはさっきまでいたはずの王宮が遠くに見えている。あり得ない現象が起きているようだった。街へと続く通路を5分歩いただけでこの距離を移動できるはずがなかった。しかも今いる場所は小高い丘であり、歩いてきた通路は平坦だった。さらに庭で起きた異空間のこともいまだに理解出来ておらず、それについて王女からの説明はされていない。
「不思議でしょ?」
柔らかい声がする方に目を向けると、隣にいる王女が街を見渡していた。その横顔は変装のために眼以外をローブで覆われているため、表情を読み解くことが出来なかった。だがその瞳は街を愛おしむように見つめていた。
「申し訳ないけれど、詳しくは話せないの。ラーレもネリも知らないこと。だから彼女たちがこの不思議な現象について聞いてこないことに感謝してる。……信用している人にだけこの場所を見せるの」
この現象が何なのかをどうしても知りたいわけではなかったが、全く知りたくないわけでもなかった。ただ説明の仕様がない上、誰かに話したとしても恐らく信じてもらえないだろうと思うのも事実だ。そしてこの不思議な現象に対して不快な思いを感じることはなく、頭では理解できなくともむしろ心地よく感じられていた。
そして彼女は……この現象について聞いてほしくないんだろう、例え聞いたとしても答えてはもらえない。今の彼女の言葉がすべてを語っているような気がした。誰にも話すことはないと。それが信頼する者であろうと、彼女以外が知ることはない。
ーーなぜ俺を信頼するのか?
「……なぜ私を信用されるのですか? 王命とはいえ、一介の騎士である私を信頼するのは……」
街を見つめていた二つの瞳が、不意にこちらを向いた。
変装のせいか、王女の瞳は王族特有の青緑色ではなく深い海のような濃紺の色をしていた。
その瞳でこちらをじっと見つめてきたことに少したじろいだ。しかしその瞳は俺の眼ではなく、視線を少し下に落とした胸の辺りを凝視していた。
今日の幾つもの不思議な現象とまではいかないにしてもただ胸の辺りを見つめられるというこの時間が、なぜかひどく困惑した。それにあの瞳で見つめられるとなぜか心の奥底を見透かされているように感じた。それが嫌というわけではないが、正直あまり見られたくはなかった。
「サラ様?」
自身の心臓部へと向けられる視線に耐えきれず、声が出た。
その声に王女は視線を戻し、俺の眼を見て微笑みながら言った。
「……私には分かるのよ。だって私たちは同じだから」
「同じ……? 何が同じなのですか?」
王女はその瞳を逸らし、身を翻した。そして街へと続く道を下り始めながら言った。
「それも聞かないで欲しいわ。私にしか分からないことだから。答えてあげられなくて申し訳ないと思ってる。でも他の理由なら……誰でもないお父様がつけてくれた人だから」
ーー同じ? 王女と俺の何が同じなんだ? 奴隷出身の俺が?
聞くなと言われたように、俺がその答えを知ることはないだろう。それでも……知りたくなる。
「用心棒さん、置いていきますよ!」
少し下った先で王女の声がした。
「は……」
再度騎士の癖が出そうになり、開けた口をつぐんだ。今日は王女の護衛騎士ではなく街の用心棒。
ーー何も問題ない、元の言葉遣いをするだけだ。
ただ自分が思うよりも騎士という職業に馴染んでいることが不思議だった。
「今、行きます」
___________
今日初めてサラ王女と対面し、自分が勝手に思い込んだ印象をその日のうちに撤回するとは夢にも思わなかった。王宮で子どもの頃から窮屈な思いをし、いずれは国のために嫁ぐことが決められている弱き存在、そして守られるべき存在。
ーー撤回する、彼女は少しも弱くない。むしろ自身が生きる力を身につけるために、臆せずどこへでも飛び込んでいく人のようだ。まさにか今日の彼女の行動がそれを物語っていた。
彼女が街へ出る際に荷物として俺が持たされた袋が3つある。袋の形状からして硬貨と宝石が入った袋がそれぞれ1つずつ、3つ目はあまりにも軽く何が入っているのか不明だったが、袋の中から少しだけ漂ってくる香りからして、それらは薬草のようだった。
まず最初に金貨であろう硬貨の入った袋を街の金融機関の地下金庫に預けた。地下金庫などの金融機関では身分証の提示が必須ではあるが、彼女が受付に向かうと待っていたかというように奥へと案内された。帰り際にも何やら話し込んでいるようだったが、様子からして彼女はこの金融機関にとってかなりの太客であることは確かだった。しかし彼女の正体を知っているのかは定かではない。その後は裏路地にある、明らかに若い娘が近寄らなさそうな怪しい宝石商のような店に入って行った。その店は安全だからと俺が店の中まで入ることは許されなかった。そして彼女が店外へ出てきた時は、持って入った袋は空になっていた。彼女が持ち込んだ物に対しての対価をもらった痕跡も見当たらなかった。
そして最後の店、そこは何十年も昔からあるようなかなり年季の入った薬草専門店に俺たちは来ていた。
「この間と値段が違うわ。ちゃんと計算をして」
「これが適正な値段だ! 薬草の値段が変動することは知ってるだろう?」
「そんなことは知ってるわよ。でもあまりに安すぎる。まさか……転売なんて馬鹿なことしているんじゃないでしょうね?」
かれこれ10分近くこのやり取りをこの店の店主と彼女は続けている。店主も負けじと理由をつけて譲らないようだった。
「実はこの薬草がこの間から出回り始めるようになってさ、薬の価値が落ちてきたんだよ。もっと量があればそれなりの値段は払えるんだが……」
店主の言うことが明らかに嘘だと感じたのはこの店に何の関係もない俺だけではない。
ーー誰もが嘘だと分かるようなことを簡単に言うとは……。
その言葉を聞いた彼女は沈黙し、店主の前に置かれている薬草を袋にしまい始めた。それに応じて俺も手を伸ばし手伝い始めた。
「な、何をするんだ!」
慌てた店主が薬草を掴む彼女の手に触れようとする前に、俺の手が先にその男の手を捻り上げていた。
「うああっ」
「無闇に女性の身体に触れないでください」
店主の男は身じろぎながら痛みに悶えている。
「マティアス、もういいわ。離してあげて」
彼女はこちらを見ようともせず、残った薬草を何事もなかったように袋に詰めている。
俺が手を離すと同時に、床に倒れ込んだ男は彼女を睨んでいた。薬草をすべて袋に詰め込んだ彼女が床に尻餅をついているその男をじっと見つめた。そう、あの時の俺を見るのと同じように胸の辺りを見つめていた。
ーー彼女には何かが、見えるのだろうか。
しばらくして彼女はため息をつき、店主には聞こえないような小さな声で呟いた。
「信じてたのに」
そう言うと彼女は黙って足早に店から出て行った。
___________
店から出ると街は夕方を迎えており、鮮やかな夕陽が街をオレンジ色に染めていた。
行き場を無くした薬草袋を大事そうに両手で抱えながら彼女はその場に立ち尽くしていた。
「お嬢様」
そう声をかけると、
「サイラス、今日はもう帰りましょう」
俺から唯一見ることの出来るその深い濃紺の瞳が、わずかに揺れたような気がした。
「袋をお持ちいたします」
王宮への通路が存在する丘へと上りながら王女に声をかけると、彼女は素直に薬草袋を手渡してくれた。そのタイミングで話を続けた。
「この薬草はもう使えないのですか?」
「……まだ使えるけれど、調合方法が特殊でこの薬草を扱える人が少ないの。だから探さなきゃいけない」
「見たことのない薬草ですが……何に効果があるのですか?」
「……」
「申し訳ございません、口が過ぎました」
出過ぎた真似をしたと後悔した。深入りすべきではなかった。恐らくこの薬草についても俺が知る必要はないのだと感じた。聞かれても教えられない、そんな言葉が返ってくるはずだった。
しかしーー。
「この葉は……命を助ける薬になるの」
答えが返ってくるとは思わなかった。しかし薬草であるという時点で何らかの薬、治療に使用することは分かりきっていたため、王女の当たり障りのない答えにただ頷くしかなかった。
「適切に調合し処方すれば大抵の病なら治すことが出来る薬草なの。でも……」
その後の言葉は発さないまま、王女は丘へ歩みを進める。やがて丘の頂上に辿り着いた時、まさに赤い夕陽が沈もうとしていた。丘の上は強風が吹いており、その風のせいなのかまたは王女が外したのかは定かではない。王女の顔の大半を隠していたローブは外され、長く赤い髪の毛が流れるように宙に舞った。
「見て、サイラス。夕陽が眩しくて綺麗ね」
はるか先の地平線に沈みゆく眩しい陽の光が、王女を金色に染めていた。赤い髪がゆっくりと淡い金色に変わっていく。顔の近くで舞い上がる髪を彼女は左手で押さえながら沈む夕陽を眺めていた。顔は見えなかった。けれどどこかで見たはずの人、俺はこの人をずっと知っているはずなのに。
頭の中で警鐘の音が鳴り響く。まるで思い出すことが罪であるかのように。
「サイラス?」
金色の髪の間から覗く青く透き通ったサファイアの瞳が、微笑みかける。最愛の瞳の中に映る自分を憶い出す。
忘れもしない、なぜ忘れていたのか。
誰よりも愛した人、全てから守りたかった人を失ったあの日の記憶が蘇る。
そうだ、目の前のこの人はーー。
「……リア」




