第16話 それぞれの思い
この国の王と正妃である間に2番目の王女として生を授かったヒラルお姉様。
絶対的支配者である実の父に挨拶をする光景が、これほどまでに冷ややかなものであったことはなかったはずだ。そしてヒラルお姉様本人はこの会場の空気を全くもって理解していない。
ヒラルお姉様が王の実子であれ愛されている娘であれ、父の逆鱗に触れればただでは済まされない。
同じように父の愛を受けているこの私でさえも、父を本気で怒らせれば王女という身分はおろかこの命さえ危うくなるのは子どもの頃から知っている。
私たち親族間での不正や裏切りには、必ず大きな代償が伴うことを誰もが知っているし、すべての采配を下すのは王である父だ。その内容が日常の些細なこと、例えば子ども同士の喧嘩、そして治世に関わることなど物事の大小は関係ないのだ。父の怒りの先には相当な罰が下されることを私たちは常に肝に銘じておかなければならない。当人が2度と繰り返すことないようにとの見せしめの罰、そしてそれは周囲の人間への抑止力となる。
数年前に大きな粛清が起きて以来、親族たちはだいぶ大人しくなったけれど……。今回の私の専属騎士の件については騎士団長のイルファンに対する父の態度からして、かなりまずい状況と考えていいはずだ。
父は自身の怒りを周りに当たり散らすことはない人ではあるが、それが私たちにはより恐ろしく感じてしまう。父が凍りつくような眼差しで対象者に裁きを下すレベルならまだマシな方だ。単なる罰や身分剥奪、王宮からの追放など本人に告げられる場合もあるが、最悪は裁きの決定も何も知らないままこの世から消されてしまうことも現実にあるからだ。
いつも通りに笑顔を浮かべるヒラルお姉様の5分後をつい想像してしまい、この暑い季節に寒気がしてきた。
父に対して挨拶をしたはずが、返事がないことにヒラルお姉様が怪訝な顔を見せた。私たちのいる場所一帯、いや会場全体が重い空気に包まれているようだ。
父の後ろに控える騎士団長のイルファンが口を開こうとする前に父が声を発した。
「ヒラル、その騎士はどうした?」
午後の挨拶をした返事とは思えない冷え切った王の返しに、ヒラルお姉様の顔が引き攣ったように見えた。状況を理解したようだ。
それにしても後ろに控える騎士は相変わらず無表情だ。
「お、お父様、この者を私の専属騎士として使いたく……。サラには他に位の高い騎士をつけてあげようと……」
「その者をサラの専属騎士に命じたのは私だが?」
「……え?」
ヒラルお姉様が驚いた顔をして後ろに立つ騎士を振り返った。騎士はお姉様を見ようともせず、ただ前を見ていた。
ちなみに私も正直驚いた。なぜお父様があの騎士を私の専属騎士に任命したのかが理解できなかった。
父はヒラルお姉様の後ろに控える騎士に一瞬目を向けた後、この場にいる者だけに聞こえる声で言った。
「……そんなにこの見目麗しい騎士が欲しいのか?」
「お父様……!!」
父が放った下世話とも言える言葉を聞いて、ヒラルお姉様は顔を真っ赤にして怒りをあらわにした。しかし彼女が怒ったところで事態は何も変わらない。
父の後ろに控える私たちは気が気でなかった。騎士団長のイルファン未だに顔が青いままで、正妃であるお継母様も険しい顔をヒラルお姉様に向けている。その隣にひとり座っている第1王女のアリマお姉様は関心がないかというように優雅にお茶を飲んでいる。可愛いカヒルは父の態度に少し怖がっているようだった。私たちの後ろにいる侍従長に目をやると、彼はさっきと同じように首を横に振った。
父はため息をついて話し始めた。
「ヒラルに監視下によるひと月の謹慎を命じる。分かったら自分の宮に戻れ」
呆然とするヒラルお姉様の後ろに立つ例の専属騎士を見つめて父が言った。
「お前も当分謹慎とする。後はイルファンに任せる」
無表情の騎士は父に対して深く敬礼をしながら言った。
「かしこまりました」
それを聞いた父がそばにいた騎士団長のイルファンに言った。
「連れて行け」
「は!」
イルファンが例の騎士の元に近寄り、彼の腕を掴んだ。
「サイラス、行くぞ」
ふたりの騎士はあっという間に昼食会場から去っていった。1人残されたヒラルお姉様はメイド長と護衛騎士に連れられ、自身の宮に戻っていった。
このたった数分の出来事が、私には数時間にも感じられた。恐らくこの会場にいる全員がそう感じたはずだ。
私が再度侍従長を見ると、彼は大きく縦に頷いた。私はそれを見て、ようやっと安心することが出来た。
侍従長の合図で会場に流れる音楽が大きく、軽やかに響き出した。凍りついていた空気が嘘だったかのように明るい雰囲気に変わってゆく。気を遣った貴族たちが音楽に合わせて踊り出し、招待客をも巻き込んでいる。
父は何事もなかったように、ゆったりと椅子に腰掛けながら注がれたワインを飲み始めている。さっきまでの冷たい表情はすでに消えている。その姿に安心したようで正妃とカヒルの顔も和らいでいるようだ。アリマお姉様は変わらず落ち着いている。私も席に戻り、新たに運ばれてきた料理を食べようかどうかを悩んでいた時だった。
「サラ」
隣に座る父が上品にワインを飲みながら話しかけてきた。
「あの者をお前の専属騎士に命じた。分かっているとは思うがこれは決定事項だ」
そう語った瞳は父ではなく、王の瞳だった。私に断る権利がないのなら、受け入れるしかないのだろう。
「分かりました……。お父様が安心するなら私は受け入れます」
私の言葉が意外だったのか、父の美しく輝く青緑色の瞳が真ん丸になった。その瞳は少し考えているようで、すでに父親の瞳に戻っていた。そして独り言のようにぼそっと言った父の声が、私には聞こえなかった。
「……そうでもないのだが」
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その後の昼食会は驚くほど平和な雰囲気で進み、しばらくして幕を閉じた。今回の昼食会で父が私に新たな縁談話が持ちかけることもなかった。父を始め王族や招待客が帰り始め、別れ際にはカヒルが小さな花束をプレゼントだと言って私の所に持ってきてくれた。カヒルと話をしている時、父がこちらに歩いてくるのが見えた。私とカヒルと共に父に向けて礼をした。
「サラ、カヒル。また一緒に食事をしよう」
「はい、お父様。楽しみにしています。ね? カヒル」
私はカヒルの柔らかい黒髪を撫でて言った。
「はい! 僕もお父様とサラ姉様とご一緒したいです!」
父に似た綺麗な瞳を輝かせ、元気よく答えるカヒルに父も笑顔で答えた。
「そうだな、近いうちに使いを寄越そう。楽しみだな」
そう言って父は去っていった。私はカヒルとお互いの宮に遊びに行く約束も交わした。
私はアスランを呼ぶための笛を鳴らした。
空を見上げると、あんなに眩しかった太陽が少しだけ沈み始めていた。砂漠の先に沈みゆく太陽が白い王宮全体をオレンジ色に染め上げていく光景はいつ見ても圧巻だ。あまりにも美しすぎて言葉が出ないほどに。そしてふと、何かを感じた。
ーーこの光景を、どこかで……。
「ウォン!!」
アスランがオレンジ色に染まった廊下を駆けてくるのが見えた。
「アスラン!!」
アスランは勢いよく飛びついてきた。それでも私は今まで一度だって怪我をしたことはない。アスランは私に触れるギリギリのところで止まってくれるからだ。そうすれば私がアスランを思い切り抱きしめてあげることが出来る。
「アスラン、良い子にしてた? お土産あるわよ」
私は料理長にアスランへのお土産を頼んでいたのだ。彼大好物のお肉をたくさん用意した。
アスランは目を輝かせてこちらを見つめている。
「後で持ってきてくれるそうだから、楽しみにしててね」
アスランの頭越しに、さっきよりも一段と濃いオレンジ色になった太陽が強い光を放ち始めた。目が離せないほどに強く眩しい太陽が輝いている。その光はとても優しくて、あたたかい……。
ーー何だろう、すごく切ない。
一瞬、時が止まったようだった。ただこの光に魅せられているように感じた。
「……クゥン」
アスランに顔を擦り付けられて、私は我に返った。アスランが私の頬を舐めている。自分の頬に触れてみると、指が濡れていた。なぜか勝手に涙が流れていたのだ。
「何、これ……」
アスランが心配そうに私の瞳を覗いている。
「……大丈夫よ。きっと太陽が眩しくて涙が出ちゃったんだわ」
指で涙を拭い、私は顔を上げた。直前まで眩しい光を放っていた太陽は、すでに遠い地平線に沈んでいた。なんだか寂しいような、それでいてホッとした気持ちになった。
「アスラン、帰ろう」
私は頼もしい護衛と共に、自分の宮に戻っていった。
ベッドに寝転がると、頭上に見える星空を眺めながら眠りにつくのが日課だ。
ベッドのすぐ下にいるアスランは子どものように可愛い寝息を立てながら深く眠っている。お土産のお肉がよっぽど美味しかったんだろう。食べた後は上機嫌で宮を走り回っていた。
今日はなんだかんだで疲れた1日だった。ヒラルお姉様の件もそれほど大事にならなくて良かった。縁談話も一切ない不思議な日だった。
父が決めた、私の専属騎士になるあの人を思い出していた。
「……初めて見た。あの人も透明なのね」
つい声に出してしまい、慌てて口をつぐんだ。この事は誰にも知られてはいけないことであり、それは侍女のラーレにさえもだ。いくらこの宮が離れとはいえ、誰かがどこで聞き耳を立てているか分からない。幸いにも辺りには誰の気配も感じられなかった。
安心すると同時に、私がそれ以上を考えさせないかのように強烈な睡魔が襲ってきた。私の部屋には深い眠りに誘う、心地良い風が流れ始めた。瞼が強制的に閉じられるような感覚がした。もう、起きていられないほどの眠気に包まれるように。
ーー今日はもう寝よう、おやすみなさい……。
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〜王の宮殿〜
寝付けずにバルコニーで星降る夜空をひとり見上げながら、王はかつて妻のセマが言った言葉を思い出していた。
『金髪に青い瞳をした、隻眼の若者があなたの前に現れます。その人を必ずサラのそばに置いてください。それが私とあなたの最後の約束です。必ず守ってくださいね』
夜空を優しく照らす下弦の月が、青緑色に輝く瞳に映る。
王はふと笑みを浮かべた。
「……セマ、君はいなくなってからも私を驚かせるんだな。本当に君が言った通りの男が現れたよ。……彼は一体誰なんだ? 君との約束を守ることしか出来ない私は……」
王は月を見上げた。
セマという名は【月】という意味を持つ。
「セマ……。君はあの日本当に……」
セマが死んだあの日を思い出そうとしたが、やめた。思い出しても無駄なことだ。彼女はあの日、確かにこの世を去った。2度と思い返したくない記憶。それなのに、どうしても腑に落ちないのは何故か。私には彼女がまだどこかにいるような気がしてならないのだ。そうだとしても、また逢えるとは思えない……。
ーー囚われているのは君ではなく、私だ。私は今でもずっと、君に囚われたままだ。
「……おやすみ、愛しいセマ」
王はバルコニーを後にし、扉を閉じた。
彼は今日もひとり長い夜を過ごす。




