第14話 出逢い
「アスラン!!」
私の部屋の前で何があったのかは想像がつく。
廊下に転がったまま助けを求める騎士たちがこの宮に来たのは初めてだろう。王宮の騎士さえも歯が立たない強者が私の宮にいるのは周知されているはずだ。新しく入って来た騎士なのか…。
床に転がる騎士たちと、威嚇する雄ライオン。
ーーこの光景を何度見たことか……。いい加減怒られちゃうかもしれない。
「まぁアスラン様。こちらにいらっしゃったのですか?」
侍女のラーレが朝の挨拶のようにアスランに声をかけた。
その声を聞いて、アスランがこちらを向いた。
「ひぃっ……! な、なんでライオンがっ」
騎士たちは後退りしながら、アスランの前で抜いてはいけない剣を抜いてしまった。
「あ」
ラーレがそう言った瞬間、気配を感じたアスランが騎士の1人に飛びかかっていた。
「うわああああ!!」
宮全体に絶叫が響き渡る。
「アスラン、やめて」
私がそう言うと、アスランはピタッとその動きを止めた。
騎士の腕を噛んだ状態でアスランが私を振り返った。
「こっちへおいで」
私は両手を広げてアスランを手招きした。
アスランは迷っているようだった。この騎士たちが自分に剣を向けた時から敵と認識している。
「アスラン、おいで。大丈夫だから」
騎士の腕に噛みついていた口を外し、アスランはゆっくりと私の元へ歩いてきた
「いい子ね」
私はこの従順で可愛いライオンを優しく撫でた。アスランは喉をグルグルと鳴らして大きな身体を擦り付けてきた。
その光景を見ていた騎士たちは何が起きたのか分からないようで、ただ茫然と私たちを見つめていた。
「な、な、な……?」
「怪我はしていないはずだけど、服を汚してしまったわね」
アスランに噛まれたはずの騎士の腕はちゃんと繋がっているし、服も破れていない。ただ、アスランの唾液でベタベタだけれど。
「大丈夫ですか? 立てますか?」
ラーレが声をかけながら騎士たちを立ち上がらせる。
彼等はヨロヨロとしながらも私に敬礼をし、1人の騎士が口を開いた。
「た、大変失礼致しました!」
私は2人の騎士の顔に見覚えがなかった。
そもそもこの宮には護衛騎士を常駐させていないし、私が宮を出る時に護衛が付くくらいだ。それ以外はいつもアスランがそばにいてくれる。そして護衛騎士は交代制だから彼等の顔は覚えている。
「この子のことは知らなかったと?」
「は、はい! 申し訳ございません! 実は姫様には元々護衛する専属騎士が決まっていたのですが、直前で変更がありまして……。急遽我々が参った次第です。伝達が上手く行かず……失態をお見せしてしまいました」
ーーん? ……専属の護衛騎士?
「専属騎士って……、私の?」
「はい!」
「……ラーレ、専属騎士のこと知ってた?」
「いいえ、存じ上げておりません」
ラーレが首を横に振った。
「……お父様ね」
その場に沈黙が流れ、アスランのゴロゴロという音だけが聞こえる。2人の騎士たちはなぜかいまだに怯えているようだ。
ーー突然の専属騎士の話と直前の変更か……。意図的な何かを感じる。
「直前で変更になった理由は?」
私が騎士たちに向けて言った時、彼等の身体が緊張して固まったのを見た。明らかに言いづらい顔をしている。
「そ、それが……上の決定がございまして……」
ーー上の決定?王女である私の上と言ったらお父様……は恐らく専属騎士を提案した張本人のはずだ。それ以外なら……王妃またはその子どもたちだ。……何となく予想は出来る。
「……ヒラルお姉様?」
その名前を出した途端、騎士の顔から冷や汗が流れ出た。
彼等は黙ったまま立ち尽くしている。
「……決定を下したのがお姉様かどうか聞いてるのだけど」
彼等が姉の名前を出せないのは当たり前だ。肯定することさえ恐ろしいのだろう。そして予め口止めされているはずだ。姉の名前を私に話したことが姉に伝われば、彼等の理不尽な処分は免れない。
ーーどうでもいい。正直関わりたくない。
はぁ、とため息が出てしまう。
私は2人の騎士に伝えた。
「あなたたちはもう下がりなさい。」
「え、いやしかし、姫様の護衛を……」
「……その格好で?」
「……」
「あなたたちは何も心配しなくていいわ。この子が護衛をしてくれるから大丈夫。アスラン、付いてきて」
私のそばにピタリとくっついているアスランを撫でる。アスランが嬉しそうに私を見上げている。
「しかし……!」
「下がりなさいと言ったの。同じことは2度言わない」
「し、失礼致しました!!」
2人の騎士は敬礼し、バタバタと私の宮から出て行った。
私の後ろから一部始終を見ていた侍女のラーレが、瞳をキラキラさせて口を開いた。
「まるで王族らしかったです! サラ様」
「ちょっとラーレ……私れっきとした王女なんだけど?」
「サラ様のセリフ……同じことは2度言わない。私、ゾクゾクしちゃいました!」
ーー私、モノマネされてる。この子、大丈夫かな。まぁ、こういう明るいとこがラーレの良い所なんだけど。
「そうね。ちょっと王族っぽく言ってみたんだけど……上手く言えてた?」
「はい!! ばっちり王族感出てました!!」
「なら良かった。普段言わないから慣れないのよね」
こんなふざけた会話を出来る相手がいることが私は嬉しい。
アスランがじゃれて形が崩れた衣装をラーレが直しながらアスランに向かって声をかけた。
「アスラン様、護衛は構いませんが衣装に触れないで下さいね」
その言葉を理解したかどうかは不明だが、それに答えるかのようにアスランはそっぽを向いた。
「行ってらっしゃいませ」
ラーレが宮の扉前で見送ってくれる。
「行こう、アスラン」
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自分の宮を出て、王宮内部に繋がる先の見えない長い長い渡り廊下をアスランと歩いていく。アスランは私の衣装にギリギリ触れない距離で私の左隣をゆったりと歩いている。アスランなりにラーレの言い付けを守っているのだろう。衣装を汚すと、ラーレが烈火の如く怒るのを私もアスランもよく知っている。
もうすぐ正午を迎えようとしている。
空からの強い日差しが白を基調とした美しい渡り廊下の光度を上げているようで、あまりの眩しさに私は手で光を遮った。
ーー良い天気……。だけどこの暑さじゃアスランが可哀想だわ。早く宮に返そう。……そしたら護衛はどうしようか。
「サラ姉様!!」
渡り廊下に繋がる左側通路から私を呼ぶ声がした。私のことを姉様と呼ぶのはこの王宮に1人だけだ。
彼を止めようとする護衛を見事に振り切り、彼は私に向かって走り出した。勢いよく私に抱きつくその彼を、私も全力で抱き止める。
「カヒル!!」
小さな身体とその腕が、さらに私を抱きしめようと力を入れる。そして彼は満足したように元気よくその可愛い顔を上げた。
「姉様!!」
私を呼ぶその子は、キラキラと輝く青緑色の瞳をさらに輝かせて満面の笑顔を私に向けてくれた。王族特有の綺麗な黒髪が、太陽の日差しに当たって眩しく感じられた。彼は私の父と正妃の間に出来た、1番下の王子だ。
「カヒル、元気だった? 前より背が伸びた気がする」
私は可愛い子犬を撫でるようにカヒルの頬に触れた。
「はい! 僕は元気です。背もすごく伸びました! 姉様もお元気でしたか? アスランも!」
カヒルは身体を横に曲げて、私の隣にいたアスランにも声をかけた。ただアスランはカヒルにはあまり興味がなく、微動だにせずカヒルを見つめている。
ーー王族でアスランを怖がらないのはカヒルだけね。あ、お父様は別として。
私は自分の子どものようにカヒルを見つめた。
この子は本当に可愛かった。
「元気で良かった。たくさん食べて大きくなるのよ。きっとあっという間に追い抜かれちゃうわね。」
「姉様!」
カヒルが声量を上げた。
「何?」
カヒルが怪訝そうに私を見つめながら言った。
「……姉様はお元気でしたか?」
ーーあぁ、元気だったかの答えを言ってなかったからかな。
「……元気に決まってるじゃない。ありがとう、カヒル」
この子は王族に似合わず、心が優しい子だ。小さいながらも私を心配してくれるこの子の頬に、キスをした。カヒルは照れながらも嬉しそうに笑った。王子とは言え、まだ10歳の男の子だ。
それを見ていたアスランがふてくされた顔をしていたのは気づかなかったことにしよう。
私は暑さの中アスランを連れて行くのは断念し、カヒルの護衛騎士たちと共に会場へ向かうことにした。
「行きましょう、姉様。アスラン、またね!」
カヒルが私の手を取り、納得のいかないアスランを見送ろうとした時だった。
「グルル……」
アスラン唸り声を上げた。アスランの視線の先に、誰かが歩いてくるのが見えた。カヒルがぽそっとその名前を言った。
「ヒラル姉様……」
私の手を握るカヒルの手に、少なからず力が入ったのを感じた。
カヒルたちがやって来た通路の奥から、着飾った女性と見慣れない騎士が歩いて来た。
「あら……カヒルとサラ?」
「ヒラルお姉様、お久しぶりです」
私は姉を真正面から見て挨拶をした。私の横にいたはずのカヒルは、いつの間にか私の後ろに隠れている。
姉は上から見るような態度で私を見て言った。
「サラが元気そうで良かったわ。ねぇ? カヒル」
カヒルの身体がビクッとしたのが私に伝わった。
さっきから唸り声を上げているアスランの前脚が一歩前に出た時だった。姉の後ろにいた騎士が剣を抜こうとしたのだ。
ーーえぇ? ここにもアスランを知らない人がいるの!?一体どうなってるの……。
その騎士が剣を抜くより早く、アスランが私とカヒルの前に立ちはだかった。
「サイラス! 剣を抜くな!」
カヒルが連れていた護衛騎士たちが声を荒げたが、彼等は微動だにしなかった。それはなぜか。彼等はアスランを知っているからだ。どんな精鋭の騎士でさえ、アスランには敵わない。私には懐いているけれど、他の人間にとっては猛獣以外の何者でもない。それにペットとして放し飼いにしている訳でもなく、アスランは訓練されたライオンだ。
例えアスランに襲われたとしても、私やアスランが咎められることはない。なぜならアスランはお父様、つまりこの国の王が私に与えたものだからだ。王が娘に与えたものを他の者が傷つけることは出来ない。そして私以外、アスランを止めることは出来ない。
当の姉は思わぬ展開に驚いているようだ。姉はアスランのことを知っている。普段ならばアスランに楯突くようなことはしないはずだ。
ーーとすれば、さっき宮で言っていた私の専属騎士ってこの人のことなのね。
その騎士は途中で止めていた剣をスルリと出した。
それに反応して、アスランの唸り声がさらに増した。
姉は……アスランの迫力に負けて顔面真っ青だ。周りの騎士たちももう、何も言えないし何も出来ないようだ。アスランに剣を向けるということは、私に剣を向けているのも同じだということを彼は知らないのだ。この王宮で無知は命取りになるのに。
「姉様……」
カヒルが心許なさそうに私を見上げた。
「カヒル、大丈夫よ」
私は姉の護衛騎士を見た。
猛獣のアスランに一切怯むことなく、剣を向けている。アスランが襲い掛かれば迷うことなく立ち向かってくることを確信した。
ーー全く…。カヒルが怖がるじゃないの。
「勇敢なのね。さすがお姉様の専属騎士だわ」
私はアスランに下がるよう手で指示をした。それを見たアスランは、姉と騎士を睨みつけながら後ろに下がった。後ろにいたカヒルの護衛騎士たちからは安堵のため息が聞こえた。
姉の専属騎士は剣を下ろしたが、鞘に収めようとしない。
私はそれが気に食わなくて、つい言ってしまった。
「剣をしまいなさい」
私の言葉を聞いたその騎士は、今一度アスランを見た。そして渋々と剣を収めた。
私はその騎士を真正面から見た。
最初に感じたのはその騎士の無表情さだった。ただ彼は驚くほどに、美しい顔をしていた。他国出身なんだろう。この国では滅多に見ない、陽の光のように明るい金色の髪をしていた。長めの髪を後ろでひとつに結び、宝石のサファイアのように透き通った瞳をしていたが、彼は隻眼だった。右眼を覆っている黒い眼帯が良くも悪くも目立って見えた。
ーーお姉様が好きそうな顔ね。そりゃ直前で人の騎士を自分のものにしたくなるのも納得だわ。
姉は未だに硬直したままだ。
アスランが怖いのか、それともこの状況に憤慨しているのかは分からないけれど。
「行きましょう、カヒル」
私はカヒルの手を取り直し、後ろを振り返ってお姉様に声をかけた。
「ヒラルお姉様、お先に」
私は満面の笑みを姉に向けた。
姉の顔を見るつもりはなく、ただ姉の隣にいたその専属騎士は無表情のままだった。
私とカヒルは会場に向けて歩き出した。
尚も後を付いてこようとしているアスランに向かって私は声をかけた。
「アスランは暑いから戻りなさい。そう、良い子ね。お土産持って帰るから!」
アスランの喜びの遠吠えが正午の王宮内に響き渡った。
もちろん離れの宮にいるラーレにも、その声が聞こえたようだ。




