第10話 サエルの記憶
ねぇ、エル
神様がね、私にプレゼントをくれたの。
あなたの瞳を通して、一度だけこの世界に戻って来れるの。
その時あなたは、この世界で何を感じているんだろう。
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【愛してる】
生き急いだ君に最後に伝えた言葉。
それが純粋な愛の言葉だったのか、それともただのエゴだったのか。その言葉が伝わったのかも分からない。ただ、一方的に言っただけだ。君の瞳から流れた涙がどんな意味を持っていたのかを俺が知ることは出来ない。
いつも感じていた。君は生き急いでいるように見えた。
君に見える世界を、君が感じる世界を俺は知ることが出来ない。
終わりを知った上で生きる君は、誰より深く強くその命を生きていた。そう遠くない俺の未来に君が隣にいないことは分かっていた。それを心で嘆き悲しみ、絶望しながらもそれを当たり前のように受け入れ続けてきた俺たちはなんて残酷なんだろう。
未来にいない君を、未来にいる俺を見ないように生きてきたんだ。君がいなければ、この世界は何の意味も持たない。
君によって癒されたこの肉体、元通りに再生したかのように見えるこの世界は、君がいなくなったあの日からもう何の意味も持たなくなったんだ。
【君との想い出】
1歳年下の君とは小さな頃から一緒に過ごした。
親同士が仲が良く、家も近かったからだ。朝食を済ませたら君の家のドアをノックするのが僕の日課だった。君は奥から駆けてきては笑顔で僕に抱きつくんだ。君の小さなその手を引いて歩くのがとても好きだった。
僕が物心ついた5歳の頃、君が変わった気がした。
君であることに変わりはないのに、年下の4歳の君が急に大人の人のように見えたんだ。
その頃から君は不思議な歌を歌うようにもなったのも覚えている。何が不思議かというと、その歌の歌詞が僕には理解できなかったからだ。僕の父さんや母さんに聞いてみても、2人も分からないって言うんだ。でも君の歌う歌はとても綺麗で優しくて、柔らかかった。
歌の意味を知りたくて君に聞いたこともあったけれど、まだ小さな君は上手く表現できなくて困っていたね。そんな時は君の叔母さんが歌の意味を教えてくれたっけ。叔母さんは歌の意味を知っていたんだ。
そうだ、君も君の叔母さんもこの森の【治癒者】だったんだ。
子どもの僕にとって君が治癒者だろうが何だろうが大したことじゃなかった。治癒者が何なのかも知らなかったから。ただ君と過ごす毎日が楽しくて仕方なかった。
でも君は、どうだったんだろうか。僕と同じように幸せだったんだろうか。今はもう、それを君に聞くことさえ出来ない。
僕たちはガルジュナの森にある丘の上で遊ぶことが多かった。その丘は僕と君だけの秘密の場所だった。僕ら以外はここに辿り着くことが出来ない。僕はその理由を知っていた。ここは妖精の案内がないと入れない場所だったから。僕の周りにはいつも妖精たちがいて、僕が君をここに招くことを彼らが受け入れてくれた。僕はそれがとても嬉しかったんだ。君はここにひとりで来ることも他の友達とも来れないと口を尖らせていたけれど、僕はそれでいいと思っていたんだ。この場所は、君とだけいる場所であって欲しかったから。
優しい陽の光に溶けてしまいそうな程に明るく光る、繊細な色をした君のハニーブロンドの髪がとても好きだった。雨が降ると柔らかいその髪が湿気で絡まり、解くことが一苦労だと真剣に悩む君が本当に愛おしかったよ。
神聖な泉のように深部まで透き通って見える真っ青な瞳が、君の芯の強さを表しているようでとても魅力的だった。
繊細で柔らかい外見とは違い、性格はとてもさっぱりしていて決断力のある人だった。でも大人になってもどこか抜けていて、危なっかしいところがたくさんあった。考え事に集中し過ぎては目の前の木にぶつかり、森の動物と遊んでは擦り傷を増やして帰って来ることもあった。そんなことがあっても君は「わぉ!」と一言で終わらせてしまう。そして何事もなかったように忘れてしまうんだ。
俺はそれを心配するけれど、君はこう言う。
「ふふ。私はね、私が面白いの。だから大丈夫」
屈託のない笑顔で子どもの様にクスクスと笑う君を見ると、俺は安心する。そのゆっくりな話し方も、優しい子守歌を聞いているように心地良かったんだ。
【治癒者】だからという前提ではなく、君はそんな人だった。ただただ、可愛い人だった。
君と丘の上で過ごす時間はかけがえのないものだった。
穏やかに流れるこの空間がとても好きだった。小さな時から俺とずっと一緒にいたこの森の妖精たちも君のことを気に入ってくれたことが嬉しかった。君をこの場所に連れてくることが出来たし、妖精たちのおかげで誰にも何にも邪魔されず、ふたりこの森で過ごすことが出来た。
何より睡眠が大好きだという君に、膝枕をするということがいつの間にかこの丘での俺の役割になっていた。膝の上で眠る君の柔らかい髪に触れ、撫でるのが幸せな時間になっていた。君はいつも俺の手を握りながら眠っていた。何故なのかを聞くと、安心して眠れるのだと言う。それを子どもみたいだと笑う俺を無視して、君はさっさと俺の膝を陣取って眠りについてしまう。本当は、嬉しかったんだ。君の眠るその姿が小さな子どものように見えても、君なら何だって愛おしいんだ。
君が口ずさむ歌を聴くのが好きだった。その時だけ、君は膝枕を交代してくれた。
歌詞の意味を聞いても森の子守歌と言うだけで、教えてはくれなかった。しつこく聞くと嫌がるだろうから聞かなかったけれど、本当は知りたかったよ。君の歌を聴くとなぜか涙が出てきてしまうから、その歌の意味を知りたかったんだ。泣いたことはもちろん君にバレないようにしたけれど、君の歌は俺がずっと求めていた何かに包まれているように感じられて、ずっと聞いていたかったんだ。
それくらい、君の歌う歌が好きだった。
安心して身を任せるように眠る君を俺がどんな風に思っているか知らないだろう。
君が俺を聖人君子かのように見ているのは知っていた。
それでいい、それでいいんだ。そうでなければ、俺の理性なんてとっくに崩壊していたはずだ。俺は君の安心であり、安全の存在でありたかったから。
暗黙の了解のように受け入れなければならない【治癒者】との関係性。
君が神殿所属になったその日、俺は初めてこの世界を恨んだ。【治癒者】である君の未来を知った日。
君の未来に俺がいないこと
俺の未来に君がいないこと
そう遠くない俺たちの未来にお互いが存在しないことを知った日。まだ来てもいない未来に絶望した日。
儀式を終え、治癒者の服を着て神殿から出て来た君の顔を今でも憶えている。今まで以上に大人びた表情とこの先の光を失ったかのように見えた。それでも光輝くその青い瞳が、君が神聖な治癒者だと言っているかのように君の存在は眩しかった。
俺は君への思いを心の奥深くに閉じ込めた。
俺の気持ちなんてどうでもいい。
君の気持ちを
君にのしかかるこれからの人生を
俺が代わることもどうすることも出来ないのなら
この思いをなかったことにするくらい容易いことだ。
ただ、ただ君のそばにいたい。
恋人になれなくても、未来を一緒に過ごせないことが分かっていても君のそばにいたい。
君が少しでも安心できる唯一の場所でありたい。
その場所が、どうか俺であって欲しい。
約束する。いつも、いつだって君のそばにいる。
治癒者である君の叔母さんがその短い生涯を閉じた時、君は表情を変えずただ涙を流していた。他の治癒者と共に鎮魂の歌を歌う君の歌声を俺は生涯忘れないだろう。厳粛で清らかな旋律と共に君の涙は光に変わり、還ってゆく魂に寄り添って天へと高く昇っていくその光景は奇跡だった。
治癒者の、君の持つ力が奇跡そのものだと感じたんだ。天から授かった純粋な力だ。限りなく美しい力、君に相応しい力だ。
それでも、君じゃなければ良かったのにと思うよ。
俺はただ、何も話さず静かに涙を流す君の手を握ることしか出来なかったんだ。
俺に出来ることを、教えて欲しい。
どうしたら、君を救うことが出来るのだろう?
どうしたら……君が俺に助けを求めてくれるのだろうか。
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ーー眩しい。辺りがあたたかく感じる……。
とても明るい、眩しい光だ。
そうだ。村で襲撃があって……俺は怪我をしたんだ。
光が和らぎ、少しだけ目を開けた。晴れ渡った朝の空が目の前に広がっていた。右手に力を入れてみると、何の問題もなく動かすことが出来た。傷を負った腹部にも触れてみたが、痛みが消えている。
ーーもしかして……生きている?
恐る恐る起き上がってみると服は血で赤く染まっていたものの、負ったはずの傷はすべて消えていた。
ーー何で、傷が治ってるんだ?
周りを見ようと目線を上げた時、少し先でエノクが誰かを治療しているようだった。
「エノ……」
エノクの手の先に、明るい金色の見慣れた髪が見えた。
ーー嘘だ。
ーー嘘だ!!
「リア!!!!」
エノクの元に駆け寄ると、その前にリアが横たわっていた。意識はなく、ただそこに横たわっている。
「な、何で……。どうなってるんだ!?」
「知らねえよ!! 目が覚めたらサリアだけが……!!」
見たこともない形相でエノクが自身の治癒力を注ぎ込んでいる。
ーーリアだけ……?
「サリアが力を使ったとしても……こんなことはあり得ない……!!」
ーーこんなこと……?
リアを抱き起こし手を握ってみるが、その手からは何も力を感じられない。頬に触れても何の反応もない。身体は脱力していて、体温が……低くなっている。
「エノク!! 何とかしろ!!」
「うるさい!! 効かねえんだよ!! ……何で効かない……?」
エノクが施す治癒の光は、リアの身体を通り抜けるように消えていく。まるでその治癒が無意味であるかのように、儚く消えていった。
エノクの手が一瞬止まった。その視線はリアには向いておらず、何故か俺の肩越しに向けられていた。
「まさか……」
エノクがそう呟いた時、リアの瞼が動いてゆっくりと目を開け始めた。
「リア!!」
どこか焦点の合わない君の瞳が揺れている。身体中どこも力は入っておらず、握った手の反応もない。君の瞳だけが宙を動いている。
「リア!!!!」
今君の瞳に映る俺を見てどれだけ嬉しく、どれだけ悲しいか。君が俺を見えているのかも分からない。もしかしたらただ目を開けているだけで、その瞳には何も映ってはいないのかもしれない。
それでも透き通るほどの真っ青な君の瞳が、最後に俺の口を開かせた。
「愛してる」
何度も伝えた。ただその言葉だけを繰り返した。
君の青い瞳に向かって何度も言った。
君からの反応は何もなかったけれど、そんなのは構わなかった。
目の前のエノクが呆然として俺を見ていたのも、そのうち彼が泣き出したことにも気付いていた。
こんな最後に想いを伝えるなんて、あまりに滑稽だ。
そしてあまりにも残酷だ。
こんなことになるなら、最初から言えば良かった。
今さら後悔しても遅いのに。
君に伝えたい言葉があった。
ずっと君に恋をしていた。
一緒に未来を歩めないと知っていても、好きだった。
誰よりも君を愛していたんだ。
生涯君だけに捧げると決めた。そしてそれを諦めた。
君の瞳から流れる宝石のような涙を見て、想いが伝わったと思い込んでしまった。それでもこの言葉を何度も言い続けた。
君に届くように、君に伝わるように。
「愛してるよ。愛してる」
俺が君にこの言葉を伝られるように、君が最後にその瞳を開けてくれたんだと解釈するよ。君は俺のことをよく理解しているから。
だからどうか伝わっていて欲しい。
伝わっていることを願う。
君を愛してる。
今までも、これからもずっと。ずっと愛してるよ。
〜その後〜
晴れ渡った青い朝の日、君は旅立った。
俺の胸に抱かれて眠る君は変わらず美しいままなのに、君の魂だけがここにいない。もう、あの青い瞳を見ることはない。
君はもう、ここにいない。
リアの使った力によってその場で身体が治癒したのは俺とエノクだけだった。
俺たちを襲ってきた奴らはリアが力を使う前にすでに生き絶えていたため、力が及ばなかったとエノクが言っていた。その力が作用するのは善悪関係なく、命あるものだけだ。
神殿に古くから伝わる神話には、ある一定のサイクルでその力を手にする者が誕生するとされているが、そう記されているだけで詳しい内容は誰も知らないらしい。なぜならその一定のサイクルの期間が何千、何万年単位と言われているからだ。次にその力を持つ者が誕生するまでにこの言い伝えでさえ消失している可能性もあった。つまり、その力を授かる者だけが知り得ることであり、当人がいない今となっては、もう誰も知る由もない。残された者たちが少ない情報を元に語り継ぐしか出来ないのだ。
計り知れない力を持つ者。
救いをもたらす者。
その身を犠牲にしてーー。
君のお父さんとお母さんが君を見て泣き崩れたのを、俺はただ見ていることしか出来なかった。声をかけることすら出来なかった。やがて月日が経ち、ふたりが俺に声をかけてくれたことを思い出す。
君はたくさんの命を救ってくれた。森は新しい命を宿して元の豊かな自然となり、いずれ動物たちも戻ってくるだろう。この村も元通りになって今まで通りみんなが穏やかに過ごしていくんだろう。
でもそこに、君はいない。
救ってくれた君だけが、どこにもいないんだ。
この森を襲撃した奴らはあの後、俺たちがすべて始末した。根絶やしにしたつもりだったが、その後も何度も襲撃があった。その度に俺たちは戦ってきた。あの日から5年が経っていた。
かつての金細工職人たちは武器を作るようになった。森を切り裂いていくつもの要塞を建設した。年齢性別関係なく、村人は剣術を学び、戦いに備えた。それはいつしか習慣となり、この森を守り生きるために俺たちは戦いを繰り返していった。
いつもそばにいた妖精たちもいつの間にか消えていた。気配を感じることも出来なくなった。当たり前だ。彼らは極めて純粋な存在であり、純粋ではない者の前には現れることはない。
真っ赤な夕陽が、この世界を優しく照らすように見えていたのはいつ頃だったか。
強固な要塞を崩そうと、敵味方が下の方でせめぎ合っているのをこの屋上からも感じ取れる。今回の戦いも、長い間続いている。この森以外の場所でもいくつもの戦争や略奪が起こっており、心休まる時などもう何年もない。この場所も、明日まで持つかどうかだ。
「疲れた……」
やがて物音が激しくなり、この屋上へと続く階段を上がる足音が大きく聞こえてくる。扉は破壊され、武装した人間が斬りかかってくる。俺は今までと同じように、向かってきた相手を切り倒していくだけだ。何度も何度も、それの繰り返しだ。やらなければやられる、ならば斬るしかない。倒さなければ、生きられない。いつもそう思いながら、剣を振りかざす。
ーーいつまで続くのか。
突如激しく光る夕陽に視界を奪われた瞬間、俺の前に何かが現れた。それは妖精だった。今までに見たことがない妖精だ。
ーーなぜ? なぜこんな所に……。
意識をその妖精に向けたその時、かつて経験した鋭い痛みを身体に感じた。それは剣が身体を突き抜ける痛みだとすぐに分かった。
「う……ぐっ」
胸に感じる痛みと共に、じぶの身体が地面に崩れ落ちた。周りでは戦闘が続いている。
仰向けになって上に見える茜色の空が、やけに色鮮やかに感じた。顔を横に向けてみると、柱の間から燃えるような夕陽が沈んでいくのが見えた。さっき見えた妖精は、茜色の空に溶けていくように飛び去って行った。薄紫色の羽根を持った、見たこともない妖精だった。
ーーもしかして、俺を迎えに来たのか?
いや、でももういない……。
そう思うと、不思議と笑みが溢れた。
ーーそうか。やっと、そっちに行ける。でも……。
胸に当てていた自分の手を見つめると、その手は真っ赤に染まっていた。それが自分だけのものだけではないことに気づく。この手であまりにも多くの命を奪ってきた。尊い命を奪いながら、ここまで生きてきた。生きるためにしたことであっても、正当化することは出来ない。あまりにもたくさんの罪を犯してきた。
死んでもきっと、君には逢えない。逢わせてもらえないだろう。
それでも、あの日から待ち焦がれていた日。
君がいなくなってから、ずっとこの日を待っていた。
君のいない世界から解放される日。
ーーやっとだ。
君と一緒に過ごした日々が蘇る。
まるで今体験しているかのように、俺の目の前で君が笑っている。笑っていても泣いていても怒っていても、可愛い君が俺の前にいるんだ。
あぁ、何年経ってもやっぱり好きだ。
愛してるよ。
俺の膝枕で眠る君を、誰よりも愛しく思うよ。
俺は何も忘れていない。忘れられない。
俺は君を愛せて、誰よりも幸せだった。
でもずっと、寂しいんだ。
君に逢いたい。
リア、君に逢いたい。
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神様は【私】にプレゼントをくれた。
それは【彼】の瞳を通してかつての世界を見ること。
茜色の空が見える。燃えるような夕焼けがあまりにも美しくて胸が苦しくなる。目の前に差し出されている血まみれの手が見えた。
私は気づいた。今私が見ているのは、彼の最期だーー。
彼の心に流れる走馬灯が、私の中にも流れ込んできた。
想い出のすべてが、私だった。
彼の想いがあまりにも純粋で光り輝く魂のように感じられた。
その深い愛と同じくらいに底知れぬ寂しさが彼を飲み込んできたのかを、この時私は初めて知った。
ごめんね、ごめんね。ひとり残していってごめんね。
私も逢いたい、逢いたい。
あなたを愛してる。
エル、あなたに逢いたい。
第一章 終わり
第10話にて第一章完結です。次回から第二章に入ります。




