002.元後輩ミイナの言い分
「ちょっと先輩! なに急に仕事辞めてるんですか!?」
リュウイチのクビ、もとい自主退職が決まり、ハローワークで失業保険の手続きを行い、ハローワーク内の端末で求人募集を眺めて特に何もせず帰った日の晩。
日が沈む前に、一人の女性がリュウイチの住処である賃貸アパートの部屋を訪ねてきていた。
「わたしの計画がおじゃんなんですけど!」
「いや、知らねえよ? 計画ってなんだよ」
スーパーの袋に食材を詰めてリュウイチの部屋に乗り込んできてキッチンまで踏み込みエプロンを身に着けてから袋の中身を並べ流しの下の収納から包丁を取り出しながらリュウイチを怒鳴りつけているのはリュウイチの元同僚であり、後輩だったミイナである。
恋人ではないが見ての通りリュウイチの部屋を知っており、勝手に料理を始める程度の仲だ。ほかにちゃんと掃除しているかとか、洗濯物がたまっていないかとか目を光らせる。そんなことをするのはかーちゃんか恋人かというところだろうが、どちらでもなかった。
ではどういう関係かといえば極めて仲の良い友人、だろうか。
この二つ下の後輩は、職場の新人研修でリュウイチが担当したうちの一人で、その後も同僚として普通に関わっていたのだが、一年経ったころから急に距離を詰めはじめ、今に至る。
明確に恋人関係を結んだわけではないが、客観的にみれば通い妻と評してもおかしくない。飲み会では必ず隣に座るし週に何度か部屋に乗り込んでくる。
しかしながらそうではないのは確認済みだ。
酔った勢いでやっちゃった翌朝に責任を取ると言ったら、まだ駄目ですと断られたのである。
まだってなんだよとリュウイチは思ったが、その後も関係は変わらなかったのでそういうものだと受け入れたのだった。
「計画って決まってるじゃないですか。先輩に出世してもらって収入が増えたら結婚して退職して専業主婦になって悠々自適に暮らそうって計画ですよ!」
ミイナはトントントンと小気味いい包丁とまな板の音を立てながら言う。
ならんでいる食材から今日のメニューは自分の好物の筑前煮だろうかとあたりをつけつつ、リュウイチも言い返す。
「そんなんはじめてきいたわ」
「そりゃ言ってないですもん」
「聞いてない計画なんか知らねーよ」
「むきー!」
ミイナは料理をしながらはっちゃけた。
ミイナの計画はダンジョン協会入社前から始まっていたらしい。
ダンジョン協会の管理職の収入は一家五人程度を養うには十分なものである。
したがって、管理職の男性と結婚すれば共働きである必要はない。
専業主婦を目指すミイナとしては、これは都合のいいことであった。
そこで、結婚してもいいなという許容範囲内かつ、出世できそうな能力を持っている男性を一年間見極めていたのだそうだ。
ダンジョン協会を選んだのは、今後ダンジョン業界が発展すると見込んでいるから。そうすればその重要性がますます上がるだろうと。そしてダンジョン関連の職種で最も安定しているのがダンジョン協会職員だと考えた結果らしい。
「計算高いやつだなあ。醤油変えた? これもうまいな」
「それも先輩がやめちゃったからご破算ですけどね! 変えたのはみりんの量です」
醤油とだしのうまみのしみた鶏肉が実にうまい。れんこんとたけのこの歯ごたえもたまらない。にんじんはあまり好きではないが、ミイナの手で料理されたものなら気にせず食える。ほかの食材もいいところを残し味がしっかりついている。自分が作るものと何が違うのか、やはり雑なところだろうか。リュウイチが気づかない小さな気遣いが積み重なってこの味を生み出しているのだろう。
「それにしても専業主婦志望とは昨今珍しいな」
「そうですかね。口に出さなくても結構いると思いますよ。働きながら家事をするのと家事だけするの、生活できるなら楽なほうがいいじゃないですか」
独身であれば仕事と家事を両立する必要がある。
結婚して仕事をパートナーに任せ、家事に専念すればお互いに楽になるはずだ。
というのが、ミイナの主張であった。
「自分で出世して稼いで楽しようとは思わないわけだ」
「管理職って面倒そうじゃないですか。今日だって部長も課長もずっと顔色やばかったですよ」
今日はまあリュウイチのせいかもしれない。
管理職が大変なのは事実である。他人の面倒を見るだけでも大変なのに、何かあれば責任を取らなければならないし。だがその分収入に反映されるものだ。
というかこの後輩はその面倒そうな管理職にリュウイチをあてがおうとしていたわけなのだが。
「わたし料理好きなんです。掃除や洗濯も嫌いじゃないし。それに子どもの面倒も自分で見たいんですよね」
自身が子どものころ親が共働きでさみしい思いをしたのだとミイナは言う。晩御飯を一人で食べていたとか。ミイナの家は親子仲は良好なのだが、その分逆にさみしかったのかもしれない。
だから自分は子どもを甘やかしたいのだと。
「でも最近、専業主婦って少ないじゃないですか。公言したら嫌な顔で見られるし。高校の進路に書いたら現実を見直せって怒られたんですよね」
「それは相手がいなかったからじゃねえの?」
「まあそれもあるんですけど。現実として、家族を養える収入がある相手じゃないと専業主婦はできませんからね」
好きな料理を仕事にするのも嫌だったのだそうだ。わがままである。
実際今の時代の若者の平均収入を考えると、結婚して子どもを複数育てようと考えれば共働きは必須になるだろう。平均を飛び越えたところにいる相手となると今度は接点がないし持てても選ぶ側に回れない可能性が高い。親と同居すれば負担を分担できるだろうが、それで増える負担もある。
「だから今まで黙ってたんですよ。ぎりぎりまで隠しておいてその間に胃袋つかんで離れられなくしたところで必要十分な収入を確保させてから言えば許してくれるかなあ、と思いまして」
「こわっ。お前この三年間そんなつもりで俺に近づいてきてたのか」
食事が終わり、洗い物をしながらリュウイチは大きく息を吐いた。
こいつ重いなあ。
「それでミイナ、おまえどうすんの」
「それはこっちのセリフなんですけど……。わたしとしては先輩が一か月以内に必要十分な収入のめどが立ったら結婚してもいいと思ってます」
「いや結婚はまあおいといて。なんで上から目線なの?」
「無職相手なので」
「そうでした」
別に恋人でもないミイナの都合をそこまで斟酌する必要があるかというとリュウイチとしてはそんなことないよなと思っていた。
要するにミイナはずっとリュウイチをキープしていたのだから。
その恩恵にあずかってきたとはいえ、そこまで義理を感じる必要はないだろう。
とはいえ、これまでのミイナの努力は実を結んでいた。
ミイナの料理はうまい。それに外見も地味目だが愛嬌があるし、何よりここまで懐に入られているのに離れられると寂しいかもしれない。
義理はなくとも愛着は感じていた。
「3か月は失業保険でのんびりするつもりだったんだけど」
「再就職するなら動くのは早いほうがいいと思いますよ」
「それはまあそう」
転職先の当てがあって辞めたわけではない。自主退職あつかいだが実際はクビなのである。
やっちまったよなあ、とリュウイチは改めて思った。
退職理由は口止めされているので言えないし、面接で何で辞めたんですかと問われたらそれっぽいことを言ってごまかすしかない。適当言っていることは面接官にはバレバレだ。嘘感知スキルに引っかかるだろう。嘘感知スキルを導入していない程度の就職先では収入に不安があるだろう。
まともに再就職して十分な収入を得るのはなかなか難しいだろう。
知り合いのところに世話になるという手もあるが。それであまり多くの報酬を要求するのもどうだろう。
これまでの生活で得たものもないではない。それを利用すればそこそこは稼げるかもしれない。そこそこで足りるかどうかは問題だが。
それにクビになった件で得たものもある。ただ、これを利用するとせっかく隠蔽されてなかったことになった事件が表に出てしまいかねない。そうなると何かしら責任を取らされることになるだろう。考えられるのは逮捕されたり、多額の賠償金を支払う羽目になったりだろうか。
隠ぺいに関わった元上司や元上司の上司なども巻き込むことになるかもしれない。
それはリュウイチとしても都合が悪い。
やるならうまくやる必要があるだろう。
「ミイナ、愛してるから手を貸してくれるか?」
「愛してますから前向きに本気でやってくれるならいいですよ」
二人は軽口をたたきあって協力関係を確認した。
ミイナはこんなに時間と労力を投資したのにこれでおじゃんは勘弁ですといい、リュウイチは損きりは早いほうが被害が少ないんだぞとは言わなかった。
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