カウルエン家のソウシーン<五>
ナイエンを中心においた二鯨四魚という世界観において、東に大大陸、北西に東者もよりやや小ぶりな小大陸ある。帝政はいくつかの国で取られているが、一般的に帝国と呼ばれた場合、小大陸のウーズ帝国を指す。小大陸は有史以降単独の政体で支配されることがほとんどで、国家規模としては最大である。ナイエン商人の視点から見ると巨大な穀倉地帯であり、米や小麦をナイエンを含めた島嶼国家に供給している。
「気になるかね。どうも帝国がきな臭くなっている。豊作であるがどうも思ったほど小麦の価格が安くならない。」
カギウルは、軽食には手を出さずに、果実酒を喉を鳴らしながら飲んでいる。
「宗教がらみというのが気になりますね。良くも悪くも国家宗教的な性格が強いスーシタ教が民衆に手を貸すのは実に奇異なことです。」
ソウシーンは緊張が解けたせいか、20代の若者らしく魚をパンで挟んだものなどに手を出している。
「ウーズ帝国、もっといえば小大陸が小国に分裂せずに統一できるのは、比較的平坦な地形であること以上に、スーシタ教の影響が強いのです。よって帝国はスーシタ教を保護し、スーシタ教は積極的に帝国を支えるという仕組みがあり、巨大な国家を支える官僚機構と中央と地方の支配構造を支えているのです。」
「ソウシーン閣下は随分、帝国を買っているのだな。あの白き人々の一神教はそんなにいいものかね。」
カギウルはじろっと眼球をソウシーンに向けて動かしやや厳しい表情で尋ねる。ソウシーンは酒と腹が満たされつつある事でやや饒舌になってしまったことを後悔した。
「いやいや、そういうことではないのです。正直なところ、スーシタ教には抵抗があるのですが、その力は評価しなければならないと思います。例えば、良い点はお金のかからないことですね。われわれは神々に祈る際に様々な供物を捧げますが、そういうことはスーシタ教では禁じられており、貧富に関わらず、誰でもどんな時でも祈ることができます。これによって皇帝とその係累から小作人・奴隷に至るまで信仰を広げました。」
「そんなことでご利益が得られるのかね。」
「まさしくその点ですね。われわれが神に祈るときは、交易で大勝負に出る時や結婚・出産や留学の際で、自分の力に加えて運を招こうとする気持ちが強いと思います。ちょっと罰当たりな言い方になりますが、神々の力はわれわれの力の付属物なのです。交易の民たるナイエン人は運の重要性を理解はしてますが、事がうまくいったら自分の行動を評価し、そうでなかったら自分の努力不足を呪うというのがナイエン人の考え方です。神々は決定的な力は持ってないのです。だいたい神官も丘侯家の持ち回りですしね。」
カギウルは目線は戻しつつも、変わらぬ表情のまま聞いている。
「しかしながら、帝国では朝晩神に祈り、吉事も不幸も神の思し召しと考えます。特に面白いのは帝国の民は不幸を神の試練と考えることですね。不幸を乗り越えてこそよき来世が保証される信じています。これが政治と融合すると……」
「善政も悪政も神の思し召しか。」
カギウルは盃を置き、ソウシーンを直視する。ソウシーンは大学時代の論説発表を思い出し、適度な緊張にありながらも、自分が興奮しつつあることを自覚した。
「その通りです。こう言っては何ですが、ナイエンの巷間ではほとんど逆恨みのような愚痴から、的確な指摘まで、日々丘侯への文句で溢れていますが、帝国ではそういうことはありません。飢饉などの国難の際でも、全国に派遣されている神官たちが必死に民衆に神の試練を耐えることを説くことで、爆発を抑え込んできました。また、彼らは経典を読ませるために各地で読み書きを教え、優秀な子らを官僚として輩出しております。
ただ、逆に言えば、帝国はスーシタ教と結びつくことで民衆から帝国および皇帝の絶対的な権力というものを捨てることにもなりました。例えば、外征の際には皇帝の意思だけでなく、教主の同意が必要となります。しかし、それでも民衆の不満がスーシタ教よって霧散されるという仕組みは国家のとってこの上なくありがたいことです。この帝国とスーシタ教の結婚は比類なき安定性を持つ国家を作ったのです。」
都市国家的な性格が強いナイエンではこうした話を真剣に聞く人物が少なく、ソウシーンにとっては不満のひとつであった。しかし、カギウルは鷹揚な先輩の顔を捨て、商会連合総帥あるいはトールエン家当主として集中して聞いてくれているようで、彼にとってはありがたい経験となった。
「卿の考えを信じるなら、地方の小反乱と言えど、この事件重いな。まさか離婚が近いか。」
カギウルは前のめりになり、結論を急かした。
「重い事件ではあるのですが、それでも帝国の統治がそう易々と瓦解されるとも思えません。スーシタ教と結んだ帝国は3つ目ですが、先の二朝が見限られた時は悪政や外圧に苦しみ相当に荒廃した状態でした。そういった明らかな兆候はないですよね。」
ソウシーンとしては帝国は下り坂になっても20年から30年は平気で持ちこたえると考えている。
「そうだなここ数年大きく変わったことはないな。若き皇帝は優秀であると聞くし、国内行政や外交に大きな変化もないな。なにより今年は豊作であるしな。現時点では原因は分らぬか。」
やや不満そうな顔をしてカギウルは腕を組む。変化を予感しつつも何も行動をしないというのはカギウルだけでなく機に聡いナイエンの民としては耐えがたいものである。
「そう、分からない。ただ、そうであるなら、スーシタ教の方で変化があたかもしれません。もしお調べになるなら、その点を留意された方が良いかもしれません。」
両者は再び盃に手をかけ、この夜の熱は冷めていった。
「最後に一つ聞きたい、卿の見識はお父君やカウルエン家の薫陶なのか、あるいはどこかで学んだものであるのか。」
カギウルは目線を外しながら小声で尋ねた。鷹揚な彼であるが20も年下ながら同格の貴族に興味を持ったことを悟られたくはなかった。
「父親もカウルエン家もよくある貴族のそれです。初対面かつ目上の方にこのように喋ってしまったのは、留学先で学んだ比較国家論とそれ唱える師のせいでしょう。貴族らしからぬ失礼、再度お詫びします。」
ようやく読み書きを覚え始めた長男のために名前を聞こうかと思ったが、さすがにせっかちも過ぎると思い、耐えた。