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六洲離合集散記  作者: 馮行詰
4/6

カウルエン家のソウシーン<四>

 カギウルの執務室は、巨大な円卓と何脚かの椅子という、おおよそ貴族に似つかわしくないものであった。そして、その円卓上にはまんべんなく紙の束が積まれている。これらの資料の内訳は、3割ほどが各商会からの報告書で、そちらは目さえ通していないようで山積みされている。残りの7割はその山の周辺に読み散らかされている。ソウシーンは20年前の当主就任挨拶の際にもこの部屋に通されたが、そのことが彼自身の人生を変え、ナイエン、さらには世界にも大小さまざまな変化をもたらしたことは、当人は最後まで認識できなかった。


 20年前のトールエン家への挨拶は、海侯(ソルスセーン)の中でも最後であった。

「我が家もついに没落の兆しを見せるようになったのかな」

 挨拶そこそこにカギウルはにやにやしながら嫌味を言う。いつものカギウルの諧謔であるのだが、今のソウシーンにとっては悪魔の舌なめずりのように聞こえ、脇下に不快感を覚えた。これまでの19侯は、ほとんど噂にもならなかった新当主の値踏みに終始するか、これから衰退へと向かうであろうカウルエン家とのよしみには興味がないかで、形式的な挨拶に止まった。ソウシーンもそんなものだと考えていて、国内最大の海侯(ソルスセーン)への訪問を気軽に考えていた。

「申し訳ありません、丘侯(タイスセーン)の方々より、国家への貢献甚だしいカギウル閣下への挨拶は最後にせよとご助言いただきまして。」

 ソウシーンは恐縮しながら答える。

「ははは、卿は嫌われておるのだな。あるは嫌われてるのは私なのか。まあよい、嫌われ者同士ということで大目に見ておこう。」

 ナイエン、大陸問わず一般的な常識から考えれば、挨拶の順序は重要度が反映される。その程度のことに気が回らないほど、ソウシーンの帰国から当主就任までの流れはあわただしく、それを補佐する親族や家臣も貝毒により死んだか、まだ病床にあった。

 もともと面倒見のよいカギウルは、大雑把ながら当主の心構えや海侯(ソルスセーン)への対応の機微について半時ほどソウシーンに語った。

海侯(ソルスセーン)丘侯(タイスセーン)との大きな違いは競争心だ。われわれに言わせれば丘侯(タイスセーン)の競争は見栄の範疇だ、どこかの家を潰そうとまではしない。だが、われわれは違う、競合すれば相手の家を潰してでも勝たなくてはならない時がある。変に聞こえるかもしれないが、それ故に丘侯(タイスセーン)以上に海侯(ソルスセーン)は序列を重視する、なぜか分かるか。」

 ソウシーンは少し耳に手を当てて考えてから、答える。

「それはこういうことでしょうか。上位であることが人を引き付ける。たとえば、上位の商会に信用を見出し取引を望んだり、あるいは上位の商会に安定を見出し所属したいというような気持ちでしょうか。」

「その通りだ。トールエン家はナイエン五指には必ず入ると自負しておるが、その取引や人材の半分はトールエンが盛況であるから付いてきているだけだ。残念ながら儂や儂の商会の質に付いてきているわけではない。」

「ということは、今回の私の失敗は、丘侯(タイスセーン)側からのトールエン家への牽制というわけですか。」

「半分正解だな、問題は牽制ではなく、実力行使というべきであろうな。トールエン家が丘侯(タイスセーン)衆に侮られたという風聞は明日には噂になるだろう。重傷ではないが、軽傷程度にはなるかもしれない。」

 カギウルとソウシーンの実年齢差は20歳ほどであったが、ソウシーンはそれを上回る格の差を痛感していた。大学で多少ちやほやされて、今回の件もどこか他人事として考え、その割に楽観視していた自分を恥じた。そして、すでに自分がナイエンの特異な対立構造に巻き込まれているうかつさを呪った。


「とにかく、カウルエン家の現状は穴の開いた巨船だ。建て直すにしろ、店仕舞するにしろ、まずは事業を卿の両手の範疇で処理できる規模に縮小するのがよかろう。あとは先代の事業に関係ない財は早めに換金しておくことだな。どうも人間というものは金を盗むよりも物を取る方が気が楽らしい。」 

「閣下のご配慮感謝します。ようやく丘侯(タイスセーン)となったことを痛感しました。」

「そう真面目に考えるな、真面目さだけで侯の地位は守れぬ。儂を含め侯とは一族の者や他者を踏み台にして得るものだからな。その点、卿の手は汚れておらぬ、それがこの国でどう思われるかについてもよくよく考えておくべきであるな。」

「閣下のお言葉、肝に銘じます。」

「かしこまるな、かしこまるな。そうだ、閣下というのもよろしくないな、われわれは同輩だ。卿、呼びにくかったらカギウル殿とでも呼ぶがよい。最後の挨拶ということは今日は予定はなかろう、少し酒につきあえ。」

 カギウルは自らガラス製の盃を取り出し、琥珀色の酒を注ぐ。非常に糖度の高い果実酒で、ソウシーンにとってははじめて味わいものであった。おそらく高価なものであるのだが、留学先では学生としての本分を邁進したソウシーンにはまだその価値は分からなかった。この果実酒の特異なところは価格ではなく、姫酒という名を冠しており、年若の女性がたしなむものであり、成人男性はほとんど嗜まないという点にあった。しかし、カギウルは大の甘党で、酒においてもこのあまったるい果実酒を飲むことを好んだ。貴族・市井を問わず、男性客に姫酒を勧める行為は失礼とまではいかなくとも、なんらかの勘繰りをすることろである。当時のソウシーンにはそのような知識はなく、緊張で乾いた喉を潤すために、2杯立て続けに飲み干した。このせいで、ソウシーンはカギウルが没するまで姫酒に何度も付き合わされることになる。

 

 二人だけの執務室に給仕が軽食を持ってきたことで、ソウシーンの緊張はようやくほぐれた。カギウルは海の男が樽を運ぶように、円卓上の紙片を適当にまとめあげ積み上げていった。そのうちの小さい文字で書きこまれた一枚がソウシーンの足元に落ちる。

「悪いが、拾ってくれるか、宝物でな。」

 その紙片をつまみ上げると、大陸の帝国辺境での宗教がらみの民衆蜂起の顛末が書かれていた。

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