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六洲離合集散記  作者: 馮行詰
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カウルエン家のソウシーン<一>

 東方国家ナイエンの民はこの世界を2匹のクジラと4匹の魚に喩え二鯨四魚(アイゲールスープレ)と名付けた。これは、海洋民族であるナイエンは交易範囲を広げる中で、人類の生活はおおよそ東西の2つの大陸と4つの島で営まれていることを発見したことに由来する。

 こうした発見はかなり古いものでナイエン自身も正確には把握していないが、おおそよ500年から700年前とされる。これはナイエンが大航海を可能とする技術と旺盛な探求心を持つ一方で、歴史を記録するような高度な国家の建設にはほとんど関心を示さなかったことによる。しかしながら、この偉業の重要さについては深く理解し、自らの民族名を「繋ぐ者」という意味を持つナイエンに改称した。これは今も変わらないナイエンの誇りとなっている。


「ソウシーン館長、午後から山の手周りです。お願いですからまともな服装をなさってください。」

 と何度目かというニュアンスを含みながらミーシュ補佐官のわざと低温気味にした声が隣室より響く。

「わかっている。2時間も前から大声で言わないでくれ、君の仕事には30男を躾けることは入っていないはずだ。」

 ソウシーン・カウルエンは不機嫌と多少の遊び心の入った声で答える。ここ数年で定番となったやり取りである。

「館長はもう40男です。」

 というミーシュの声はやや寂しい。

 彼女としては自分の主がただただ立派であってほしいという願望であるが、ソウシーン・カウルエンには貴族として身分相応の服装を整えるにはためらいがある。また、徴税館長という職務としても華美な服装は不要なものであると考えている。

 この辺りの機微をミーシュが理解するには、彼女の26という年齢は決して若いわけではない。また、ソウシーン・カウルエンにおいても貴族社会での細やかな配慮や官僚業務の心遣いなどを、つまびらかに部下に説明することはうとましく思っており、いつか自然と気付いてほしいと期待するところだった。

 だから、この主従の関係は数年が経過したにも関わらず、世間から見ればちぐはぐなものに見えた。


 彼の執務室には大型の窓がはめ込まれており、初夏のまぶしい陽光が注がれている。ナイエンは年間を通じて温暖湿潤な天候であるが、4月から6月は南方国ほどではないが気温が上がる。まだ3月であるが、やや汗ばむ日が続いている。

 一方、その主人の表情は餌を抜かれた飼い犬のように暗い。ナイエン人男性の肌としては例外的に日に焼けていないソウシーン・カウルエンは表情を曇らせると、ナイエン人基準ではやや病的な印象となる。徴税業務という仕事も重なって、彼を直接知らない人々の評判は、よくて神経質な官僚貴族様、悪く言えば根暗な陰謀家というものである。


 この日、午後から面談に向かうのは海侯(ソルスセーン)と呼ばれる貴族である富豪らである。

 ナイエンの国家形態は王制であり、王を支える海侯(ソルスセーン)丘侯(タイスセーン)という貴族階級があり、その下に魚民(ブレブル)、平民により構成される。ナイエンでは農業・工業ともに未熟であるから、海洋国家化する過程で労働集約的な奴隷制は王国初期に廃れたと言われている。


 海侯(ソルスセーン)は交易貴族とも呼ばれる特権階級であり、交易により毎年莫大な収益を上げ山の手、すなわち丘区に住む人々である。丘区は約50に区画されており、そのうちの20区が海侯(ソルスセーン)に割り当てられ、残りの30区は丘侯(タイスセーン)に与えられている。海侯(ソルスセーン)の一族は兵役が免除される代わりに、その敷地に対して巨額の税が設定されている。この丘区の土地税が国家収入の4割を占めている。なお、魚民(ブレブル)にも同様に土地税が課されているが、月収の十分の一にも満たないものであり、国家収入の1割にも満たない。残りのほとんどは輸入品への関税である。

 海侯(ソルスセーン)が交易の失敗などにより税が払えなくなった場合、居住権が取り上げられるとともに、同時にそれが売りに出され、新たな海侯(ソルスセーン)を迎える仕組みになっている。平均して5年に一度は入れ替えがあり、新たな海侯(ソルスセーン)登鯱(スーゲールエン)、平民に落ちた者を魚落ち(ブレツーエン)と呼ぶ。


 一方で、丘侯(タイスセーン)は王国の行政を担う世襲行政官僚一族である。しかしながら、海洋国家ナイエンではその人口300万に対してその行政規模は小さく、軍・警察などの夜警国家的な行政を除けば徴税や海難にあった家の孤児や寡婦などへのわずかばかりの福祉政策を担っているに過ぎない。道路の造成や学校・病院などの公共施設の建築・運営は海侯(ソルスセーン)の寄付による場合が多い。よってこの国では海侯(ソルスセーン)の声望は高く、丘侯タイスセーンの肩身は狭い。「海侯(ソルスセーン)に会えた日は幸運だ、小遣いがもらえる。丘侯(タイスセーン)を見たら隠れろ、小遣いを取られるぞ」と、わらべ歌で口ずさまれているほどだ。こうした傾向には魚民(ブレブル)の多くも中小の交易業者であることも影響している。彼らは明日の海侯(ソルスセーン)になるために励んでいるのだ。


 大陸側の農業国家からは「ナイエンは交易商会の寄り合い」と揶揄されるように、国家としての奥行きはなく、国家制度や機能は最低限に抑えられている。そもそも王自体が、100年前の世界(アイゲールスープレ)全体を巻き込んだ50年戦争の際に、仕方なく設けられたものである。


 ソウシーン・カウルエンは丘侯(タイスセーン)であり、現在、最も嫌われる徴税館の運営を担っている。丘侯(タイスセーン)の多くは家長が行政館の館長として行政を行う一方で、その子弟と一族の有望なものに交易を行わせている。国家から支給される予算は最低限のものであり、家格を維持し、担当行政を遺漏なく行うためには、各家の交易事業の上りが不可欠であった。よって、海侯(ソルスセーン)並みの財力を持つ丘侯(タイスセーン)も存在する。各家の後継者候補は40代までは交易に精を出し、その成功を持って新たな家長となる場合がほとんどである。こうした継承文化が背景にあるので、ナイエンでは家自体への拘りがある一方で、血統や長幼の順については他国ほど尊重はされていない。


「俺は海を知らない、生粋の丘侯(タイスセーン)

 これはソウシーン・カウルエンの有名なぼやきである。20年前に先代カウルエン家長とその後継者候補たちは新年会で供された貝毒にあたり、死亡、あるいは健康を著しく害した。分家出身のソウシーン・カウルエンは次代の後継者候補の権利はあったものの、当時は年齢的にも業績的にも全く期待されていない存在であった。弱冠22歳のソウシーン・カウルエンに突然お鉢が回ってくることになったのは、彼が留学に出ており、成人した後継者候補の中で生き残ったことが大きい。

 また、カウルエン家にとって運の悪いことに、その年は丘侯(タイスセーン)間の行政担当交代が行われる20年に1度の年に当たった。ほとんどの大人が再起不能となったカウルエン家は駆け引きする術もなく、その最も嫌われた徴税館が押し付けられることになった。他国においては徴税を管轄することは、平民への搾取を行わなくても、賄賂や付け届けなどにより財を成すことが可能である。しかしながら、ナイエンの税は低額かつ定額であり、海侯(ソルスセーン)への税も一律であるため、ほとんど徴税館の裁量はなく、そうした不正な蓄財をする機会がほとんどない。声望だけが落ちる損な役、それが徴税館の館長である。

 この事件で働き手の多くを失ったカウルエン家の家計は急速に悪化し、世にも珍しき丘侯(タイスセーン)魚落ち(ブレツーエン)が生じるのではないかと、悪趣味な噂が国中ではやし立てられた。こうした声を尻目に、若きソウシーン・カウルエンは一族の面倒と徴税館の運営を手探りで行い、なんとか家業である革製品の交易も立て直した。館の机上でこれを行ったソウシーン・カウルエンの手腕はナイエン以外の地域なら大いに評価されたであろうが、海を駆けることに価値をおくナイエン人の評価は低く、「貝の幸運児」と揶揄された。


 徴税館の仕事の主要な仕事に海侯(ソルスセーン)の税額を算出することがある。国および王室が行う来年の事業、物価の変動、交易関税額、海外情勢などの様々な支出を加味し、誰も妥協できる落としどころを探ることになる。勿論、その税額を直ちに海侯(ソルスセーン)らが納得するわけもなく、徴税館が説明し、説得することで、はじめて数字は意義を持つことになる。徴税館長に就任したばかりの頃は、少しでも税額を安くしようとする海侯(ソルスセーン)に頭ごなしに怒鳴られ、右往左往したものであった。


 先月ようやく王と丘侯(タイスセーン)に「内諾」された今年の税額を、海侯(ソルスセーン)に各家に説明しに行くのが午後からの業務である。あくまで「内諾」であるのは、税額を決定する権限は徴税館にあり、王や丘侯(タイスセーン)会議にはないからだ。様々な権限が分散しているのも大陸国家から「寄り合い」と揶揄される要員のひとつになっている。だから、海侯(ソルスセーン)にいちいち説明に回らなければならない。税というより、寄付を募るようなものだ。しかし、今年で徴税館長20年目のソウシーン・カウルエンに取っては緊張は伴うものの、そこまで厄介な仕事ではない。


 ソウシーン・カウルエンは執務室で揚げた鯖をパンで挟んだものとぬるい炭酸水で軽い昼食を済ました。海洋国家ナイエンでは朝は早く、昼は海に出ていることが多いため、朝食・昼食はごく簡単になりがちである。

 着替えのために私室に戻ると、ミーシュが持ち出してきた、かつてのカウルエン家長が用意した足元まである刺しゅう入りの最高級の蒼い羽織が目に入った。生地はナイエンでは製作できないシルクであり、左右に家紋の白い渡り鳥が金糸や銀糸を用いて丁寧に縫い込まれている。

「だいぶ古いものを持ち出してきたな。」

 こうした正装ともいうべき羽織はソウシーン・カウルエンが家長となった最初の5年で次々と売り払われ、今では3着のみとなっている。彼は衣裳部屋に入り、先日どこかの商会から進呈された麻の羽織を取り出した。この羽織は袖や襟に革が重ねられており、シルクの羽織よりも格段に耐久性が高いが、極めで無骨なものである。さっと着替えを済まし玄関ホールに出ると、ミーシュが待っていた。彼女はソウシーン・カウルエンの姿を確認すると残念そうな顔を見せた。


「またそのような服装を。時間が迫っております、馬車へ。」

 と、ミーシェは急かす。

「馬車を用意してもらったのにすまないが、今日は馬で行こう。」

 当然、この言葉は彼女を落胆させた。荷馬車を除く馬車の所有は貴族の特権である。乗馬も官僚だけに許された特権ではあるが、仮にも丘侯(タイスセーン)の家長が馬車を使わないのは、家が傾いているのではないかと、魚民(ブレブル)に笑われると彼女は考える。

 館の使用人たちは、この主従のこうしたやり取りを年中見せつけられており、「なぜ御屋形様はミーシュ様を解任なさらないのか」と口々に噂する。彼女が補佐官に任じられた当初は男女の仲ではないかと勘繰られたものであるが、すでに6年を経過した二人の間にそうした関係はなさそうであるというのが使用人たちの総意である。


 主従の無言の緊張を無視して、執事長はまだ若い庭番に耳打ちして、厩舎から老馬と小型の若い馬を連れて来させた。そして、若い方をミーシュにあてがう。

「御屋形様、老けかかってますが、今日の天候ならこいつを走らせてやってはくれませんか」

 と、馬を引きながら執事長は言う。彼はナイエン人として申し分ない褐色の肌を持ち、おおよそ執事長には相応しくない、齢60を越え精悍な顔つきと体躯を維持している。

「わかった、ありがとう。今日が何の日かわかっているのだな。」

「何をおっしゃいます、私が前職をお判りでしょうに。」

 執事長はソウシーン・カウルエンが徴税館長に就任すると最初の10年を補佐官として支えた。ソウシーン・カウルエンは一族の中で行政部門寄りの人物よりも、当時まだ小船団を率いて交易部門に貢献していたハク・カウルエンを抜擢した。

「あの頃は毎日が戦いだった、おかげで私の青春は腹黒い駆け引きの政治劇に変わってしまったよ。」

「まったくです、海での戦いは交易にしろ、いざこざにしろ、胸躍るものでありましたのに、丘での戦いは実につまらないものです。私はもう10年は大海原を駆けていられましたでしょうに。それが家に縛られ、補佐官の次は執事長、すべては御屋形様のせいでございます。」

 と演技染みてハクが答える。

「その埋め合わせはいつか必ず。」

「期待せずにお待ちしております。ミーシェ殿が先を急いでいるようですよ。」

「うちには誇るべき家格も財産もないのに、どうにも世間体を気にしすぎている。」

 と、ソウシーン・カウルエンはぼやく。

「彼女なりに世間を学習した成果なのでしょう。その辺りをあまり期待しますな。」

「わかっているのだがな。私もこんな境遇であるからおおよそできた人物ではないし、どうしてもハクには愚痴ってしまう。たぶんあの異才をもてあましているのだろう。そろそろ急かされそうだ、では、行ってくる。」

 ソウシーン・カウルエンは騎乗の人となり、ハクは水筒や常備薬、ナイフなどが入った革袋を馬に結び付け、一礼した。

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